Q:なぜ自殺してはいけないのですか?
自殺しても苦しみは去りません。
自殺しても何の解決にもなりません。聖書の教えでは、人は一度死ぬことと、死んでから裁きにあうことが定まっているのです(ヘブル9:27)。だから神に会う準備が出来ていないうちに自らの命を奪うと、それは実に悲惨で悲劇的な結果をもたらします。
死後はあります。苦しみの場所、地獄を選択しないで!
神は愛である。
あなたは神に愛されています。神は愛をもってあなたを作られました。神様の目から見ると、あなたの人生に素晴らしい計画が待っているのです。そこに自分の考えを合わせる必要があります。
いかなる問題であっても神にとっては大きすぎる問題はないのです。八方塞がりでも、頭上には青空が開けています
◎天使がマリヤに言った言葉
(ルカ1:37)神にとって不可能なことは一つもありません。
イエス・キリストがあなたの友となってくださる。
あなたは孤独ですか?傷をもっていますか?不安を感じていますか?生きることが無意味ですか?絶望していますか?さまざまな事があるでしょうが、イエス・キリストという方は私達が人生で体験するこれらすべてを通過した上で、あなたを招いています。
イエス・キリストは地上生涯の最後に十字架にかかり、あなたや私の為に祈って下さったのです。
(ルカ23:34)父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。
イエス・キリストのもとに近づき重荷を降ろしてください。(マタイ11:28-30)
(Ⅰコリ10:23)あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
神が愛であることが分かると自殺する必要はなくなります。
Q:聖書は、自殺についてどう教えているのですか?
人がいつ、どのよういして死ぬかを決めるのは、神である。
なぜなら命は神からの賜物、プレゼントです。
(ヨブ1:21)私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな
自殺は、神の権威への挑戦である。
自殺は、聖書的には殺人です。加害者と被害者が同じだというだけで、これは殺人であることには変わりありません。ですから自殺は罪です。さらに自殺は周りの人達に癒しがたい傷を残します。
聖書いは、自殺願望を抱いた人たちが登場する。
・ソロモンという王。(伝2:17)私は生きていることを憎んだ
彼は全ての富や名声を手に入れた後、むなしくなり、もう生きているのが嫌になったと言っているのです。
・預言者エリヤ(Ⅰ列19:4)主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから
彼の場合は、燃え尽き症候群です。彼は勝利した後、ガックリきちゃったわけです。
◎2人は自殺願望をもったのですが、幸いなことに自殺しませんでした。
・エリヤはその後休息を与えられ、食物を与えられ、また同僚(友人)を与えられたのです。
・ソロモンの場合はむなしさの彼方に何を見たかと言うと、神を恐れることを学んだのです。”人生とは神を恐れ神と共に生きる”ところに意味があることを学んだわけです。
私達の選択肢は1つです。”生きる(命)”ほうを選ぶことです。
そう決めた時に必ず逃れの道が用意されます。ですから聖書を開き読んでください。教会に行ってみてください。イエス・キリストという方が生きていてあなたを助けてくださいます。我らの神は生きています!