焼き場に立つ少年 | 注ぎ込まれる言葉

注ぎ込まれる言葉

障害者雇用で働いてます

今朝も早起き。

軽く食事をして、ウォーキングへ。

スマホで録音したTBSラジオを聴きながら1万歩歩いた。

オフの日の3日間で3万歩は歩く。

今月の総歩行距離は98kmだった。

我ながらよく歩いたと思う。

 

歩き足らず、9時過ぎになって再び散歩。

久しぶりにカメラを持って。

あまり動物の種類に恵まれず、出会うのはカラスばかりとなった。

 

家に戻ってすぐに携帯電話が鳴った。

就労支援センターのスタッフさんからだった。

今日がzoomの面談日であることをすっかり忘れていた。

慌てて着替えてパソコンでzoomを起動して繋いだ。

スタッフさんとzoomで話すのは初めてだった。実際にやってみると、会っている時とほとんど変わらず違和感もなかった。

今回は感染予防のためにzoomにしたが、便利で使い勝手が良いことがわかったので、コロナが終息しても活用しようと思う。

 

面談の中で、障害年金の更新のことで不安であることを話してみたが、大丈夫だと思うと言われた。

スタッフさんが言うには、今まで働きながら障害年金をもらっている人を見てきたなかで、支給停止になった人は年収300万だったそうだ。

だから、僕の場合はおそらく大丈夫と言われて安心した。

 

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昨日から今日にかけて、NHKオンデマンドでETV特集「焼き場に立つ少年」を観た。

 

 

 

原爆が落とされて焦土と化した広島で、立ちすくむ10歳くらいの少年の写真が残っている。アメリカ兵が撮った写真だ。

背負っている幼児は既に息絶えていて、目を閉じぐったりと首を落としている。

少年はきちっときをつけをして、正面を見つめ、唇を噛み締めているように見える。

少年はそうやって弟の火葬の順番を待っていた。

その後、少年がどこへ行ったのか誰も知らない。生きているのかも死んだのかもわからない。

だだ、終戦後の日本はそういう戦争孤児はいくらでもいたらしい。

親戚中をたらい回しにされたり、迷惑な存在として疎外されたり、差別やいじめの対象になったりした。

親を亡くした子供たちにはそういう過酷な日々が待ち受けていた。

当たり前のように物を盗んだり、中には売春をしたりする子もいた。そうしなければ食べていけなかった。

夢や希望などなく、きょうという日の飢えをどうしのぐかが一番の問題だった。それ以外のことを考える余裕は全くなかった。

 

終戦から77年近く経つ現代、親がいないからといって生き死にの瀬戸際に立たされることはめったになくなった。

児童養護施設の全てが子供たちにとって良い環境であるとは言い切れないが、昔よりはずっとましになっている。

僕のように17歳で父を亡くしても、残してくれた生命保険金や、今住んでいる低所得者用の住宅を確保できたことで救われることもある。

 

あの焼き場に立つ少年も、大人の誰かに手を差し伸べてられて保護されて、世の中に自分の居場所を見つけることができていたら良いなと思う。強く生きていてくれたらいい。それはあの写真を見た全ての人の思いというか願いではないだろうか。

もし、この子の写真が見たい人がいれば検索すればいくらでも出てくるので見てみてほしい。

 

孤児であることで差別を受けることは当たり前のようにあるという。

僕は障害者であることで差別を受けたことがない。何か別の原因で差別をされたこともない。

でも、僕は障害をオープンにしている(障害名はオープンにしていない)ので、働いていてもいつか差別されるんじゃないかとビクビクしていた。実際何年か働いてみると差別のさの字も全くなった。

どうやら僕は運良くここまで生き延びてきたらしい。そして今の世の中においても過酷な毎日を過ごしている人たちが僕の預かり知らないところでいっぱいいるらしい。

 

自殺してしまう人、そうでなくても生きるのがつらい人は現代においても無数にいる。毎日どこかで人身事故。僕はそういう人たちに何もできない。無力だ。

僕らは自分が生きていくのに精一杯で、倒れていく人々をある意味見殺しにしながら生きている。それが今の時代であると言うのであれば、今は戦後まもない頃と何も変わっていないといえる。いつの時代にも救われない人たちがいる。

 

自分は無力だ。何もしてやれないのだ。でも生きていかなければならない。

そうやって誰もが唇を噛み締めて今日を生きていくしかないのだ。あの焼き場に立つ少年のように。

 

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コロナ禍でどうせ出かけられないので、これと思う本を再読しようと思う。

神谷美恵子、若松英輔さんの本など。そういえばアイヌの本(児童書)も一度読んだきりだっけ。

本というのは再読するとまた違った味わいがある。まあ単に忘れているだけだともいえる。

 

大型自動二輪の免許も取りっぱなし。コロナ禍で試乗会は皆無。オートバイに乗る機会は失せた。

中古の単車を物色したいが、よく考えたら置く場所があるのか?そんな金があったら貯金したい。

何のために免許を取ったんだか・・・。でも後悔はしていない。

暖かくなったら久しぶりにレンタルバイクに乗ってみようかな。

 

休みは明日まで。日々何か楽しみを見つけたい。

なるべくお金を使いたくない。消費社会から逃げたしたい。

なんてことのない石ころのようなものに、面白さを見出せる感受性を育てたいものだ。

 

とりとめのない文章を書いてしまった。

めったに思索しなくなったけれどたまには考えることも大事だと思う。

そうやって自分の心の中を整理する。

生まれ変わったら思想家になりたい。

 

そんなことを思った。