エッセイのようなもの | 注ぎ込まれる言葉

注ぎ込まれる言葉

障害者雇用で働いてます

 

10kmランから帰宅。

 

ウィークデーは移行支援ですが、ちょいちょいオフの日もあるので、散文詩的に書いてみる。長くすみません。

 

5/22
今日は横浜地方裁判所に行ってきた。4回目。
見てきた裁判は、賭博と薬物取引。

まずは賭博。犯人はテナントを借りて、中で違法カジノを経営していた。公安に摘発されないように、何台もの監視カメラを設置していたという確信犯。犯人は証言で、服役後は弟の紹介で大型トラックのドライバーになると言っていた。トラックドライバーという職業をしている人の中には、「前がある」人もけっこういるのだなと僕は思った。

次は薬物取引。犯人は男で、見た目の年齢は30前。ヤクザの組長だそうだ。不謹慎を承知で言えば、精悍な顔立ちで真っ直ぐな目をしている。どうして道を誤ったのだろう。彼は自宅の上階で大麻を栽培していたのを摘発され御用となった。

別々の法廷で審理された賭博の犯人と薬物の犯人、双方共に証言台には女性が立った。どちらも交際相手だ。二人とも、これからも被疑者を見守っていくと言う。これらの証言は、被疑者の社会復帰のために必要な後見人の存在を、裁判官にアピールするという、情状酌量のためのひとつのテクニックであると僕は思った。

ふたつの裁判はどちら共、課外活動らしき小中学生が大人数で傍聴していた。良い試みだとは思うが、退屈そうにも見える。この子らはあまり事件のもたらした社会的な影響などというものが、わかってないように見えた。でも最初はそんなものだと思う。ぜひ何度も裁判所に通ってほしいものだ。

5/25
地元の地域ケアプラザで面談。施設の人に、母の介護認定の方法や、今やるべきことを聞いてきた。

母はウォーキングするし、自転車にも乗れる。週一で都内まで鍼治療に行ってるし、月一で友達とカラオケに行く。家事は全部自分でやる。よく寝てよく食べる。飲んでる薬は高血圧の薬とドライアイの点滴くらい。

それらのことを施設の人に話したら、母は要介護やその一段下の要支援にも程遠いと言われた。母が介護認定を受けるのは、まだずっと先になりそうなことがわかって、ひと安心。
どうやら母が今やっていることが良いということらしい。これからは、今やれていることを続けていくことが大事だそう。

人はなぜボケるのか。それは筋肉を使わないと筋力が落ちていくのと同じように、脳も使わないでいると機能が落ちてボケていくのだそうだ。だから、脳にもどんどん筋トレをさせてやらないとならない。

他の原因としては、精神的なもの。喪失感というやつ。
それは例えば、モーレツ社員が定年退職した時になりやすい。あとは肉親や愛するペットと死別した時など。
僕も大型自動二輪免許を取った翌日、一日だけ鬱になった。目標を失ったのだ。これが喪失感だ。

施設の人が最期におっしゃったことが一番重要だった。
脳に一番いいのは、「計画を立てる」ことらしい。
旅行でもいいし、料理のレシピを考えるのでもいい。もちろん仕事のことでもいいが、退職したときのことを考えると、もっとプライベートなことを計画したほうがいいと思う。

ただ、これらのことをやっても、ボケる人はボケるし、ボケない人はボケないという。酒、たばこをやり、全く運動してない人でも、ボケない人もいる。でも、心身の健康がボケないことの基礎にあることもまた事実。
とにかく、節度を持った生活をしつつ、計画を立てて生きていくことが一番いいということがわかった。

もちろん、これらのことは母にも話した。納得してもらえたと思う。

と、こんな近況でした。

この文章は図書館でポメラという端末を使って書いてみました。

図書館は落ち着いて文章が書けるので、これからも使おうと思います。

 

さて、終わろうかな。

おわり。