玉音放送
戦後67年と聞くと、途方もない感じがする。
私が戦争について学校でいちばんよく話を聞いていた頃、
つまり小学校高学年では、まだ戦後50年だった。
学校で話を聞いたと言っても、それは具体性のある話だった。
戦争を知らない世代の子である私たちにとっても、
まだ手が届くというか、地続きの歴史であると感じていた。
修学旅行では広島に行き、語り部さんからピカについてお話をうかがった。
もしも広島でなく呉が投下地だったら、祖父母は亡くなり父は生まれない。
今や8月6日も9日も、新聞の紙面はオリンピックだらけ。
まぁ、流石に今日は大抵の新聞の一面には掲載されていたけれど。
今のこどもたちにとって、あの戦争はどれほどの存在なんだろうか。
「伝える」ということに対して、上っ面でなく、本気で意識的にならないと、
教科書の中の出来事になってしまう。
(学生の頃、塾講師のバイトをしていて危機感を感じた)
玉音放送の全部を、恥ずかしながらこの年になって初めて聞きとおした。
NHK「戦争証言アーカイブス・戦時録音資料」
感じたことを何もまとめられていないけれど、
聞いたということを書き留めておく日記。
おやすみなさい。
私が戦争について学校でいちばんよく話を聞いていた頃、
つまり小学校高学年では、まだ戦後50年だった。
学校で話を聞いたと言っても、それは具体性のある話だった。
戦争を知らない世代の子である私たちにとっても、
まだ手が届くというか、地続きの歴史であると感じていた。
修学旅行では広島に行き、語り部さんからピカについてお話をうかがった。
もしも広島でなく呉が投下地だったら、祖父母は亡くなり父は生まれない。
今や8月6日も9日も、新聞の紙面はオリンピックだらけ。
まぁ、流石に今日は大抵の新聞の一面には掲載されていたけれど。
今のこどもたちにとって、あの戦争はどれほどの存在なんだろうか。
「伝える」ということに対して、上っ面でなく、本気で意識的にならないと、
教科書の中の出来事になってしまう。
(学生の頃、塾講師のバイトをしていて危機感を感じた)
玉音放送の全部を、恥ずかしながらこの年になって初めて聞きとおした。
NHK「戦争証言アーカイブス・戦時録音資料」
感じたことを何もまとめられていないけれど、
聞いたということを書き留めておく日記。
おやすみなさい。