少数意見の過度の重視

日本企業には、少数意見の尊重、という美しいカルチャーがあり、経営会議等で、誰かが思い付きでちょっと言った意見についても、その議案の提案部門は持ち帰って、その意見を取り入れられないかを検討し、次の会議で報告するのです。
そのプロセスが何度も何度も繰り返されます。
民主主義を絵に描いたような仕事の進め方です……。

経営会議で、役員の言った意見を取り入れることが出来なかった、ということは言いづらいので、提案部門は何とか取り入れるよう努力します。
当然ですが、いろんな人の意見、単なる思い付きレベルの意見まで含めてどんどん取り入れていくと、もともとそれを提案するに至った背景・目的がどんどん薄れていき、無難な、そして、複雑なものとなってしまうのです。

私の専門分野である、人事制度を立案、導入する際には、これに労働組合の同意を得るというプロセスが加わります。
友好的な労働組合ならばまだいいのですが、会社との関係があまり良くない組合であれば、やはり重箱の隅をつつく要求、指摘を繰り返してくるため、同意を得るには相当の時間と労力を要します。

人事部門の直接の交渉相手である組合幹部もまた、少数意見の過度の尊重というカルチャーに縛られているため、組合員から反対意見が少しも出ないような形で会社と合意する必要があり、彼/彼女らもまた必死なのです……。

そして、このように、役員と労働組合からの少数意見を一つ一つ取り入れていった結果、あらゆるニーズやケースに対応できるような包括的なものではあるけれども、人事担当者すらも理解や説明が難しいような、複雑な人事制度が導入されてしまうのです……。
メッセージ性が薄れてしまい、当初の背景、目的はしばしば忘れ去られます。

外資系企業では、議論の段階では、意見は活発に出されます。
しかし、全員が納得する制度や施策はない、という当然のことを、多くの人が理解しています。
そして、ひとたび自分の上司や社長が決定すれば、それに従うのです。
少数意見を一つ一つ拾い上げていくこと、個別にキーパーソンやうるさいタイプの人に根回しをしていくことに時間と労力を費やすことはありません。

この点についても、日本企業のやり方を好む人と、外資系企業のやり方を好む人と、分かれるところでしょうね……。