夢の中のゆめ
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自分の感受性くらい

茨木のり子さんの詩が好き。

はっ、とさせられる。


   自分の感受性くらい

                           茨木のりこ

        ぱさぱさに乾いてゆく心を
        ひとのせいにはするな
        みずから水やりを怠っておいて

        気難しくなってきたのを
        友人のせいにはするな
        しなやかさを失ったのはどちらなのか

        苛立つのを
        近親のせいにするな
        なにもかも下手だったのはわたくし

        初心消えかかるのを
        暮らしのせいにはするな
        そもそもが ひよわな志にすぎなかった

        駄目なことの一切を
        時代のせいにはするな
        わずかに光る尊厳の放棄

        自分の感受性ぐらい
        自分で守れ
        ばかものよ



いじいじしだすと、この詩を思い出します。

背筋がピンとして、がんばる元気がわいてきます。


だれかのせいにする、という、甘えを完全に否定されながらも、

その裏側にある、果てしない自由を感じ取れます。


それはもう損なわれてしまった。

一度損なわれてしまったもののなかには、もう修復できないものがあります。


私は両親をとても尊敬し、愛しています。

でも、かれらは私に無償の愛を与えてはくれません。

もちろんわたしを愛し、大切に思ってくれていることはよくわかります。

どちらかというと親ばかです。

でもそれは、「無償」のものではないのです。


私の両親はとても教育熱心で、私は小学校から、公文と日能研に通い、

進学校の中高一貫の女子高にはいりました。そして、小学校からの夢だった(だったはずの)弁護士になるべく、一流大学の法学部にすすみました。


私は本当によく勉強する子でした。親に、「勉強しろ」といわれたことは今まで生きてきて一度もありません。

でも、勉強なんか大嫌いでした。

ただ、勉強すると、両親はとても私をほめてくれました。

私は、ほめられたくて、愛されたくて勉強していたんです。

机にむかう背中で、自分の両親の愛が「無償」のものではないことを薄々感じとりながらも、

「無償」でないことを知ることが恐くて、私は勉強をしつづけました。

勉強をし、努力をする限りは、両親は私を愛してくれる。それの愛は、愛が「無償」ではないのではないか、という不安を隠してくれたのです。


大学に入って、司法試験の勉強を始めました。

でも、私は本当に弁護士になりたい思っているのか、段々わからなくなっていました。

このまま、ほんとうに自分のやりたいことを探すことすらしないままにしてしまっていいのか、と思ったのです。


「将来は、弁護士か薬剤師になりなさいね。」


小学校のときに母がいいました。数学の苦手な私が弁護士を選び、目指したのは、ただ、それだけの理由でした。


「べんごしになったら、わたしをもっとあいしてくれるんだ。」


そう思ってここまで来てしまったのです。



ある日、意を決して母にいってみました。


「本当に弁護士になりたいのかわからない。」


すると母は、私の目を見ないで言ったのです。


「弁護士にならないのなら、生んだ意味がない。」


そのとき、決定的に損なわれてしまったのです。

もう、どうつくろっても、修復できないのです。

私の、絶望的に悲しい予想は、あたっていたのです。



愛してくれてありがとう。大事にしてくれてありがとう。

でも、ほしかったものはそれではない。

そしてそれはもう、損なわれてしまった。



自分の好きな体の部分

私は自分で自分の自慢はしません。ほんとは自慢したいのに、絶対にいいません。

謙虚だと思われたいからかもしれません。いい人だと思われたいからかもしれません。

嫌われたくないからかもしれません。


でも、自分でも、自分の好きな部分はあるんです。

誰にも言ったことがないのですが、いろいろここで書いてみます。


・目 大きい。メイクのしがいがある

・肌 キメがこまかい

・髪 つやがある。直毛

・鎖骨 くっきり

・胸 小さいけどかたちはいい。乳首も黒くない

・おなか くびれている。おへそも縦長

・手の指 長い


書いてみるとそんなにないもんだなぁ。では嫌いな部分


・ほっぺた お肉がついている。

・足 太い。なかなかやせない。

・背中 にきびができやすい

・おしり 安産型

 

きらいな部分のほうが少ないなw


そうなんです。私、自分でけっこうかわいいと思ってます。

雑誌にのったりして客観的に評価されることで、ここ数年とくにそう思っています。

もちろん、メイクしたり、努力したりもしましたが、実際


「神様、きれいに産んでくれてありがとう」


って思ってます。



でも、エビちゃん位の、超ど級の美人に出会うと、ほんとうに萎縮します。

なにをしゃべったらいいかわかんないくらい。


そして、ちょっと嫉妬します。自分がどうしても手にいれることの出来ないものをもっていることに。

そんな風に思ってしまう自分がほんとに嫌です。

なぜ、純粋に美しいものを美しいと思って称えられないのだろう。

自分が汚いなぁと思います。











はじめまして

bomiです。

きょうからいろんなことをこのブログにはきだします。

ブログをやろうと思った理由は、ほんとの自分を表現する場がほしかったことと、

ミクシーが息苦しくなってきたこと。


ミクシーは、段々嫌いな人たちがマイミクに増えていって、その人たちに自分の思ってることとか日常とか知られたくなくて。でもそうしたら、なにも書くことなんてなくなってしまった。


でも、普段八方美人のわたしは、マイミク申請を拒否できないんです。人間関係考えるとね。


だから、このブログで、自分のことを自由に表現しようとおもいます。


今までだれにも言わなかったことも書いてみようとおもいます。


これはある意味、私の中で大きな試みかもしれません。


自分の中の、言葉にしてこなかった感情や思考や想いを言葉にしていく作業を、してみんとてするなり。