前へ…

前へ…

自分の気持ちを整理するために。
前を向いて生きていくために。

一昨日の2月18日は赤ちゃんの出産予定日でした。それまでに、これまで少しずつメモしてきた思いを投稿してしまいたい、そんな思いがありました。

 

49日の後も、いろいろなことがありました。

最初は悲しみとの戦い、その後、自分は役に立たない人間だという自己否定との戦い。復職した後はやはり、自分は役に立たない、必要ない人間だという不安感。その気持ちを払拭するためにがむしゃらに働いてしまう私。自分の行動がほかの人のどう思われているのか、どのように影響してしまうのかが以前に増して不安になる日々。

 

赤ちゃんに会いたい。でも会えない。本当だったら今頃…と考えてしまう私。

妊活したい。赤ちゃんが諦められない。でもすでに8週間産後休暇を取ったのに、また妊娠したら職場に迷惑をかけてしまうことへの罪悪感。

 

妊活検査薬の陰性の結果を見て、がっかりする私と、職場に迷惑をかけないですむと安堵する私。そんな自分が…家族のことを第一に考えられない自分が、嫌になる日々。

 

それでも前を向いて歩いていかないと、私のところに来てくれて、大切なことをたくさん教えてくれた赤ちゃんに申し訳ない。

いつも私を励まし、支えてくれる夫、いつも私を笑顔にしてくれる子どもに申し訳ない。

 

感謝の気持ちを持って前に進むことが今の私にできること。

そんな思いで日々過ごしています。

赤ちゃんが死んでからずっと、

 

「夢でもいいから赤ちゃんに会いたい。もう一度抱っこしたい。」

 

と思っていました。

でも、一度も夢には出てきてくれませんでした。

 

火葬する前日の夜、たった20センチの小さな体の赤ちゃんにおむつをはかせて、服を着せ、おくるみでくるんであげました。とてもかわいくなりました。

おくるみでくるんだことで、てのひらに載せるだけでなく、ちゃんと腕で抱っこすることができました。

とても軽い、たった223グラムの赤ちゃん。

でも、ずっしりとした重みがある赤ちゃん。

 

毎日、最後に抱っこした時の重み、感覚が忘れられず、思い出しては赤ちゃんをもう一度抱っこしたいと思っていました。

 

そんなある日、産後初めて夢の中に赤ちゃんが出てきました。

新生児サイズで、おむつを替えたり、抱っこをしたりしている夢でした。

夢の中でとても幸せでした。

 

夜中に目が覚めても、とても幸せな気持ちで、その夢の続きが見られたら…と思い、もう一度目を閉じました。

 

その後、再び赤ちゃんが出てきて、そこでもおむつを替えたり、抱っこしたりしていました。でも、2回目の夢は少し違いました。

「本当は赤ちゃんは生まれていないんだよ」と誰かが言っている。

私は「でも、ここに赤ちゃんがいるのに。すごくリアルに、ここにいるのに」と思っている。

 

目が覚めました。

やっぱり赤ちゃんはいない。でも、夢の中だけれど、赤ちゃんに会えた。抱っこできた。おむつも替えてあげることができた。

幸せな気持ちになりました。

 

その後、ふと気になりカレンダーを見ました。

 

赤ちゃんの死後、49日はどこから数えて49日なのかなとずっと考えていました。

心拍が停止した日なのか、生まれてきた日なのか。私の中で、何となく生まれてきた日かなと思い、49日はまだ1週間後だと思っていました。

 

夢を見た日は、心拍が停止してから49日目の夜でした。

 

もしかしたら赤ちゃんが挨拶に来てくれたのかな。

今までずっとそばにいてくれたのかな。

そう思うと、赤ちゃんが愛おしくて、涙が止まりませんでした。

 

産後休暇に入り、何もやる気がでない私が、自分のためにしたこと、逆にできなかったことがあります。

 

休みに入ってすぐにしたことは、「『ママ、さよなら。ありがとう』を購入し、読む」ということでした。私の中で、妊娠中の赤ちゃんとの向き合い方にずっと後悔があり、自分の気持ちを整理するためにも本を買って読みました。そして、短い期間だったけれど赤ちゃんが私のところに来てくれた意味を考え続けました。答えははっきりとは出ませんが、この数ヶ月で赤ちゃんから教えてもらったことがたくさんあります。

 

赤ちゃんのアルバムづくりも始めました。エコー写真を貼って、その時の気持ちを綴っていきました。でも、アルバムも心拍が停止した後、分娩前に撮った最後のエコー写真で止まっています。産後の写真もたくさん撮ったのですが、これ以上アルバムを進めることができずにいます。

 

休みに入って少し経ったころからは食事改善をしました。「自分を大切にする」ということがいかに大切なことなのか今回の出来事で強く感じ、体を作る基本となる食事の見直しをしました。

 

後、家の掃除をしました。いらないものを全部捨てました。掃除は心を無にしてできるので負担もなく、逆に徐々に部屋がきれいになっていくので気持ちが安定した気がします。

 

それ以外は、息子とたくさん遊びました。いつもは仕事が終わってから保育園に迎えに行っていたけれど、産後休暇の8週間は4時に迎えに行けたので、たくさんの時間を一緒に過ごしました。そしてたくさん話をしました。これまで気がつけなかった息子の思いや考えもたくさん知ることができました。

 

逆にできなかったことは、人と会うのがしんどくて、夫と息子以外の人には会えませんでした。親やきょうだいに会うのもしんどかったです。心配してくれている親やきょうだいに対し、最初は感謝の気持ちを持つことさえできませんでした。

自分の前を歩いている人が落としたものを拾って渡す、それもしんどくてできませんでした。とにかく、人と接することへの精神的な負担が大きかったです。

 

何か自分のために時間を使う。それもできませんでした。今思うと、あれだけ時間があったのだから、いろいろできたはず。でも、当時は何もする気になれませんでした。美容院も、行かないといけなかった病院も、時間があれば行きたいと思っていた整体や鍼灸も、行こうという気持ちには全くなれませんでした。

 

家事もできない。仕事もしていない。赤ちゃんもお腹の中で育てることができなかった。世話をする赤ちゃんがいないのに休んでいる私。産後休暇中の私は、自分は役に立たない人間だという思いが強くなり、自己肯定感は下がる一方でした。

今、ここまでを振り返って後悔していることが大きく2つあります。

 

1つ目は、りんご病に感染してしまったこと。

りんご病は症状が出たときにはすでに感染力はなく、感染予防対策が難しい感染症でした。子どもが通う保育園で流行っている期間も、インフルエンザのように数週間ではなく、数ヶ月(数名ずつ順番に罹っている印象でした)だったので、余計に感染を防ぐ対策が難しかったです。

なので、その時に思いつく範囲で、できる対策をしました。

 

でも今思うと、もっとできることがあったんじゃないかと思ってしまいます。外に出るときはマスクをしていたし、手洗いもしていました。子どもと食べ物や食器のシェアは避けました。子どもとの距離が近いので、唾が飛んでくることもあります。そんなときは顔や手を洗ったりふいたりしていました。でも家の中でマスクはしていませんでした。もしかしたら、家にいるときもずっとマスクをしていたらよかったのかもしれません。

 

子どもがいる中で、ずっとマスクをして過ごすのは難しいかもしれません。私の表情がずっと見えないのは良くないでしょうし、一緒に食事もします。お風呂にも一緒に入ります。でも、特に近距離で触れ合う寝る時間だけはマスクをしていたら、違う結果になっていたのかもしれません。

 

もっと免疫力を高められるような食事、生活をしたらよかったのかもしれません。つわりがひどかったので、当時食べられるものは限られていました。でも、もっといろいろと探せば栄養価の高い食べられるものがあったかもしれません。もっとゆっくりと休めば、りんご病をはねのけるぐらいの免疫力を付けられたのかもしれません。

 

今となってはそんな「たられば」を考えてしまいます。

 

2つ目は赤ちゃんとの過ごし方に対する後悔です。

一人目の時、妊娠中も出産も順調に進みました。なので、今回も普通に育つものだと思い込んでいました。大きくなって、生まれて、その後もずっと一緒に過ごせると思っていました。

 

心拍が停止してからたくさん赤ちゃんの名前を呼びました。たくさん話しかけました。その時にふと思いました。

 

どうして生きている間にもっとたくさんお話をしなかったのだろう。

 

まったく声をかけなかったということではありません。声はかけていました。3日に一度はレンタルエコーで赤ちゃんの様子を見ながら声をかけていましたし、歩きながら、ご飯を食べながら、日常のいろいろな場面で声をかけていました。

でも、こちらが思っていることを一方的に伝えていただけで、赤ちゃんとの対話ではなかったです。赤ちゃんの思いを感じようとは全くしていませんでした。

 

胎児浮腫がわかり、胎児輸血をするときも、赤ちゃんに声をかけて「一緒に」準備をすることはできていませんでした。

赤ちゃんからすれば、何の準備もないまま突然輸血用の針が自分に向かってくるんです。すごく怖い思いをさせてしまったと思います。もっと赤ちゃんが心の準備ができるように話をすればよかったです。

 

そして、心拍が停止した日。胎児輸血が終わった後の私は、赤ちゃんはもう助かると思い込んでいたので、リラックスして休もうと思い、少し本を読んでそのまま寝ました。

赤ちゃんが苦しんでいる時、心拍が停止した瞬間、私はリラックスしていたんです。そして何も気づかずに寝ていたんです。

 

どうしてもっと赤ちゃんの声を聴こうとしなかったのか。

本当に後悔しています。

今どんなに耳を傾けても、もう赤ちゃんの声は聴こえてきません。

お別れの日の朝。

ガーゼに包まれていた赤ちゃんを棺から出し、服を着せてあげました。

皮膚も薄く、むくみもひどいので、傷つけないように丁寧に丁寧にガーゼをはがし、服を着せました。

服を買ったときに、おむつもつけてくださったので、おむつもしました。

服を着せたら、クマのおくるみで包んであげました。

 

棺に入っていた時は抱っこできませんでしたが、おくるみで包むと、おくるみの生地の厚みで安定感が出て、抱っこすることができました。

すごく軽い赤ちゃん。でも重みがありました。

抱っこできるのは今日が最後。

夫と交代しながら何度も抱っこしました。

 

お昼前。

私の家族が来てくれました。夫の家族は日本にいないため、残念ながら赤ちゃんに会うことはできませんでした。

みんなが順番に赤ちゃんを抱っこしてくれました。

息子も抱っこしたいと言ったので、横でフォローしながら抱っこしました。

 

赤ちゃんに私のぬくもりを忘れてほしくない。

そう思い、最後に私ももう一度抱っこしました。

 

その後は棺に入れて、花や飾り、ぬいぐるみなどを入れました。

かわいい服を着て、きれいな花に囲まれた赤ちゃん。

とてもかわいかったです。

どうしてこんなにもかわいい赤ちゃんと離れないといけないんだろう…。

 

その日の午後。

赤ちゃんはお空にかえっていきました。

(あとで思うと、この時はまだお空には行っていなくて私たちの近くにいてくれたのだと思います。)

退院し、家に着いてからは、棺の下に保冷剤を置き、冷房も温度をできる限り下げて過ごしました(まだ暑かったので)。

 

家で一緒に過ごせる最初で最後の1日。

何か特別なことをしたかと言われると、していません。

普通の、いつもと同じ時間を4人で過ごしました。

この日は息子も保育園を休んだので、家でいつも通り遊びました。

赤ちゃんにも声をかけながら、みんなで遊びました。

特別ではないけれど、そんな普通の時間がとても貴重でかけがえのないものだと感じました。

 

夜は、リビングに布団を敷いて、4人で寝ました。

赤ちゃんを傷つけてしまうといけないから、赤ちゃんはテーブルの上に置いていましたが、少しの時間だけ敷いた布団に置き、4人で並んで寝ました。

 

このように書くと、普通の1日を過ごしていたように見えますが、次の日には赤ちゃんとお別れをしないといけない。赤ちゃんと離れたくない。

時間があれば、赤ちゃんの横に座り、じっと顔を見て泣いていました。

かわいい。とても愛おしい。このまま時間が止まってほしい。

そんな思いでいっぱいでした。

赤ちゃんを産んだ翌日は退院、そしてその次の日にはもう火葬。

赤ちゃんと2人きりで過ごせるのは、一晩のみです。

 

まだまだ暑い季節だったので、あまり長時間病室で過ごすのは赤ちゃんにとって良くないと思い、基本的には病院の保冷室?で預かってもらい、一緒に過ごしたいときだけ看護師さんに赤ちゃんを連れてきてもらいました。

 

夜。静かな病室で、赤ちゃんといろいろなことをしました。

たくさん写真を撮りました。

動かないけれど、動画も撮りました。

小さな小さな赤ちゃんと、手をつなぎました。

棺からは出せなかったけれど、棺のままベッドにおいて少しの時間だけ一緒に寝ました。

たくさん名前を呼びました。

そして、たくさんお話をしました。

 

次の日も、朝から赤ちゃんを病室に連れてきてもらい、夫が来るまでずっと2人で過ごしました。

たくさん話しかけ、息子が小さい時によく聞いていた童謡を流し、歌いました。

きっと赤ちゃんに届いている。

そう思いながら、赤ちゃんとの2人の時間を過ごしました。

 

死産届や火葬の手続きは全て代行してくださる会社にお願いをしていたので、ゆっくりと赤ちゃんとの時間を過ごすことができました。

 

夫と息子が迎えに来てくれました。

4人で家に帰ります。

妊娠中から赤ちゃんが生まれるのを楽しみにしていた息子。

赤ちゃんに浮腫が見つかり入院した時も、運動会の応援に行けませんでしたが、赤ちゃんのため、と我慢してくれました。

 

赤ちゃんの心拍が停止し、私が病院から帰ってきたときには嬉しそうに「赤ちゃん、出てきた?」と聞いてきました。

夫から赤ちゃんがもう出てきてしまうことは聞いていたのだと思いますが、4歳児にはまだ「死」について理解することは難しく、もうすぐ生まれると思っていたのだと思います。

 

分娩のために入院した時も、お見舞いに来ては「赤ちゃんもう出てきた?」と嬉しそうに聞いてきました。赤ちゃんに会えるのが待ち遠しかったのだと思います。

 

赤ちゃんが生まれた後、息子が病院に来てくれた時。

病室に入るなり、嬉しそうに赤ちゃんに向かって「あかちゃーん、いっしょにあそぼ!」と声をかけていました。

その後も、お菓子を持って「あかちゃーん、半分あげる」とお菓子を半分に割って棺に入れていました。

 

しかし、何の反応もない赤ちゃんを見て、途中からつまらなくなってしまったようでした。

 

赤ちゃんと遊びたかったよね。

お菓子わけっこして一緒に食べたかったよね。

 

ちゃんとお腹の中で育てられず、元気に生んであげることができず、赤ちゃんにも、息子にも申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

入院3日目。ついに赤ちゃんと会える日です。会いたいという思いとこの日を迎えたくなかったという気持ちの両方が入り混じって、複雑な気持ちでした。

 

朝から陣痛を起こす薬を入れてもらい、夫にも来てもらい、出産に臨みました。陣痛は、やっぱり痛かったです。出てくる瞬間も痛かったです。でも、赤ちゃんがちゃんと出てきてくれるよう、頑張れました。

 

午後2時10分。陣痛が始まってから約4時間後。

22センチ、223gの小さな小さな女の子が生まれました。

 

透明の皮膚。

浮腫んだ体と頭。

胎児輸血の影響か、真っ赤なお腹。

 

本来ならまだお腹の中で成長するはずの大きさで生まれてきた、動かない、これ以上大きくなることのない赤ちゃん。

感じるのは悲しみ。

そして、やっと会えたという喜び。

 

両掌で抱っこし、夫とゆっくりと顔を見ました。

整った顔で、美人さん。

3人で写真も撮ってもらいました。

後で見直すと、涙でぐしゃぐしゃの顔で笑っている写真でした。

 

その後カンガルーケアもし、病院のほうで手形と足形が取れないか試してくださいました。でも、残念ながら小さすぎて手形足形は残せませんでした。

 

処置が終わった後、病室に戻り、赤ちゃんと一緒に過ごしました。

ガーゼに包まれ、棺に入れられた赤ちゃん。

少しずつ、作った飾りを入れてにぎやかにしていきました。

 

夫は一度帰り、夕方、再び息子と母親を連れて来てくれました。

悲しいけれど、赤ちゃんを囲んで楽しい時間を過ごすことができました。

 

妊娠初期にりんご病に感染し、赤ちゃんにむくみが見つかった後、紹介状を書いてもらって大学病院で胎児輸血の処置を受けました。しかし、残念ながら心拍停止。その後は、元々通っていた産婦人科に戻って分娩に臨むことにしました。

 

産婦人科での診察を終え、その日の午後から入院となりました。心の準備はまだできていませんでしたが、いつまでもこのままにしておいてはいけない、いつか外に出してあげないといけないと自分を説得しました。

 

入院初日は、処置をした後はずっと一人で病室にいました。一番奥の部屋を準備してくださり、ありがたいことに、それほど他の赤ちゃんの泣き声などは聞こえてきませんでした。たまに聞こえてきても、思っていたほどつらくはなかったです。

 

何もすることがなかったので、ボーっとしたり、ネットで赤ちゃんにしてあげたいことを調べ、紙にまとめたりしていました。看護師さんが部屋に来ることもほとんどありませんでした。泣いて、ボーっとして、ネットで調べて、泣いて。その繰り返しだったように思います。夫と息子が面会に来てくれた時だけは、一緒に晩御飯を食べ、楽しい時間を過ごすことができました。

 

2日目。この日も朝に処置をしたら、その後は何もすることがありませんでした。面会の時に夫が持ってきてくれた折り紙を折ったり、棺に入れるぬいぐるみをネットで探したり、命名書を手作りしたかったのでデザインを検索したりしていました。

(名前は、まだ性別がわからなかったので男の子なら〇〇、女の子なら●●というところまで決めていました。)

 

この日は途中で一度、看護師さん(助産師さん?)が来てくださり、出産後のことについての話がありました。火葬の手続きや棺のこと、赤ちゃんにしてあげたいこと、したいことについて話しました。

火葬については、行政手続きも代行してくださる会社にお願いすることに決めていたので、そちらと連絡を取りながら進めました。

棺は病院が準備してくださいました。棺に入れるものを作るのに、折り紙や画用紙、色鉛筆、シールも準備してくださいました。

 

赤ちゃんとしたいことについては、赤ちゃんの心拍が停止してから、考えたり検索する時間はたっぷりあったので、やりたいと思っていたことを伝えました。

・写真をたくさん撮りたい

・カンガルーケアをしたい

・抱っこしたい

・母乳を飲ませたい

・臍の緒がほしい

・服を着せてあげたい(おむつもしてあげたい)

・手形足形を残したい

 

私の希望については「全てできることはやりましょう」と言ってくださいました。

この日も夕方から夫と息子が来てくれました。

 

赤ちゃんとの対面の日はもうすぐそこです。