しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか! | 恋散如花

しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか!

ずっと以前に、武者小路実篤の「友情」を紹介しました。内容は、男女の三角関係をテーマに、友情か恋愛かの決断とそれに至る経緯、そして恋に破れた主人公の心境ですね。ヒロイン役にあたる杉子、そして彼女を慕う大宮、野島が登場しますが、二人とも死にません。生かす形で物語を終わらせ、且つ 恋に破れた野島も 失恋をバネに更なる人間的成長を遂げようと試みる形で物語は終わります。

「友情」と同じテーマ、内容で有りながら、全く違った展開を見せている作品が夏目漱石 「こころ」です。この作品では、一人の女性を巡り 結果的に 男二人が自殺を遂げる形で終わらせています。内容はかなり重いですね。「友情」が綺麗な青春文学の金字塔ならば、「こころ」は人間の本質、エゴイズム、利己主義、恋の本質は何たるやをテーマにした金字塔ではないでしょうか。同作品の文中で、非常に興味深い言葉があります。

「しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」(夏目漱石 こころ)

この意味は非常に重いです。恋はどんな人でも一度や二度は経験するものでしょう?然し、単に恋愛だけは済まない、この言葉の意味には人間の本質そのものを問う広義の意味が潜んでいるのです。その意味は各人の思想、哲学によって大きく異なるので、あえてあーだこーだ講釈を垂れる気は毛頭有りませんw

漱石自身はどう考えていたのか。それを考えてみようと思います。彼の作品は「三四郎」>「それから」>「門」(前期三部作)。「彼岸過迄」>「行人」>「こころ」(後期三部作)と、実は1つの小説が複数の小説とストーリーが繋がっていく超長編小説になる手法をとっているのね、実はwww 

少し簡単にあらすじを書くと「三四郎」では東京帝国大学に入学した主人公が恋をして、けど、その人が違う人と結婚して失恋するという話し。で、「それから」は、成人して大人になった主人公が、友人と結婚したかつて恋心を抱いた女性を友人から略奪するという愛の自己解放って内容。で、「門」は友人を裏切り、その妻を奪った主人公の生き様の話し。いずれも主人公の名前などは違っているんですが、ストーリーが繋がっているんです。

今回テーマにした「こころ」は後期三部作にあたるんですが、前期三部作の「それから」に、この物語をの鍵を解くキーワードが有る思っています。「誠者天之道也 誠之者人之道」という言葉ですね。これは、儒教の四書にあたるもので、中庸 第十一章の言葉ですね。訳は 誠は天の道なり これを誠にするは人の道なりです。しかし、漱石はこの言葉を主人公に「誠は天の道なり 人の道にあらず」と言わしめました。これが答えなんだと思います。「それから」の内容は 友人の人妻である女を主人公が略奪するものです。恋とはそういうものなんです。それが人間の本質なんです。故に冒頭で書いた罪悪でも有り得ると。利己主義、エゴ、全部 人間の本質であり、それは天の道、ここでいう天の道は 理想って言葉が一番似合うかな? 誠は理想の道であり、人の道ではない。 そーいう事ですね。 私は以前から、この言葉を、このテーマに沿って言い替えるなら、「恋は人の道なり、天の道にあらず」と解釈しました。そして、逆に、「愛は天の道なり、人の道にあらず」と。皆さんはどう思いますか?