今日の瀬戸内は
雨です・・・
歴史的ミステリーな人物には
それにまつわるお話も各地でたくさんありますが
源義経の愛妾、静御前の墓伝説もその一つで
ここ山口県阿東町にも実はあるんです^m^
徳佐にはリンゴ園がたくさんありその徳佐盆地の奥にひっそり
鎌倉幕府から観れば罪人であった義経に静御前としては
歴史ロマンとして歴史上ハッキリとした形跡もなく、
ここ山口県徳佐にも・・・
大峰山は女人禁制のため奥州へ落ちのびる義経 を涙で見送った静御前は
母、磯禅師と共に 都を落ち大内氏が治める(山口県)阿東徳佐の地で、
ひっそりと終焉を迎えたということで
そっとこのようなお墓があるという言い伝えです
こちらは徳佐とは関係ないイメージとして
山口の長門峡です
そして・・・佐々木小次郎
吉川英治の小説では周防国(山口県)岩国とされてますが・・・
武蔵と下関の巌流島で戦い敗れた慶長17年(1612年)4月13日
当時懐妊中のユキは小次郎の遺髪を抱き、
折柄厳しいキリスト教の禁令により多くの信者とともに
こちらも静御前と同じく、
山陰の地徳佐の隣の阿武町に
安全な居所を求めたのです。
この地の正法寺に身を寄せ剃髪して尼となり、
夫・小次郎の冥福を祈り菩提を弔うために墓を建て、
その墓のすぐ下のお堂というか庵で一生を終えたといわれています。
墓の上の段には六面石一基があり、
妻ユキが信じていたバテレン墓と思われます
我が子に対する因果応報の絆を断ち切るために、
小次郎の名を「古志らう」
と変え墓に記したとの言い伝えです
前回ご紹介した山口県最西端油谷湾の
楊貴妃の墓も同じですね^m^
歴史ロマンは各地にありますが
山口でも山陰側のこの辺りに
安全な居場所を求めたというのも
何か因果を感じます❤