俺を崇めよ | bolfeed36のブログ

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はい。なんか、ブログは、やっといたほうが、なんか、いいらしいと聞いたので、やってみます。

しかし、人様に言い聞かせるような知識はない・・・。

どうしたものか。

よし、俺を崇めさせよう。俺は救世主だ。

ということで、この世のことを話そう。

 

我々は、どこからきて、なんのために生きて、そして老いて、病んで、苦しんで死ぬのか・・・。

「これは呪いか、それとも罰か」ニーアオートマタ。よかったよねw

 

まぁつまり、もっとも大事なことです。我々がいま、生きて、ここに存在している。なぜ?

なぜ?あーーー、わからない。わからない。考えても意味ないのかもしれない。

誰もが一度は考えながらも、結局は、答えは出ず。時間が無駄になるから。考えるのをやめる。

 

「となりのおっちゃんは、このあいだ悟りを開いて、解脱したんだって!」

「あそこのA子ちゃん、解脱したんですって、まだ若いのに偉いわね~、うちの子も負けてられないわねぇ~」

 

というように、ご近所に解脱した人がいるのなら、ちょっと足を運んで、答えを聞いてくるんですけども。

なかなか、いらっしゃらない。

 

まぁ、仏教になってしまいましたが、とにかく、答えを得るのは、難しいようです。

 

我々は、どこから来たのか・・・

まぁ、誰でも母親のおなかの中にいたわけですよ。

その前は・・・父親の金玉と、母親の卵巣にいたわけですよ。

その前は・・・父親と母親が、なにげに食べた食べ物の・・・成分だったんだと思うんですよ。

 

記憶という点で見れば、母親の胎内で、ある程度我々が成長し、脳や感覚器官が成長した時点から

記憶が存在できたであろうと思います。

それより前の記憶・・・

無いでしょう。誰も持っていない。まぁ、いわゆる前世の記憶がある。っていう方は、ちょっと別の話になりますが。

思い出せない・・・なんの感覚もない。

そう、残念なことに、我々は、無から発生したのです。

昔、テレビか何かで見ました。 

死とはなんぞやと聞かれた人が、映像が映っているテレビを叩き壊し、画面が映らなくなったのを指し、「これが死だ」

これにはショックでした。

そう・・・我々は元は無で、超ど級に幸運に恵まれて、生を受け、いま、ここに生きている。

物が見えるし、音も聞こえるし、匂いもかげるし、さわれるし、食べれるし、考えられるし、ウンチとかもできるし。

あぁあ~生きてる~生きてる~なんでもできる~可能性は無限大。

 

しかし、生きている限り、いまのところ死からは逃れられない。

我々は、いつかまた、何も感じられない、なにも考えられない、無に帰す運命だ。

あーーあー。なんてこった。人間に生まれたことで、多くの幸せを感じられると同時に、その知能ゆえ、死ぬ前から死について恐怖しなければならない宿命に生まれた。

死恐怖症(タナトフォビア)

さあ、我々はどうすればいいのだーーー(続くかも)