はい。なんか、ブログは、やっといたほうが、なんか、いいらしいと聞いたので、やってみます。
しかし、人様に言い聞かせるような知識はない・・・。
どうしたものか。
よし、俺を崇めさせよう。俺は救世主だ。
ということで、この世のことを話そう。
我々は、どこからきて、なんのために生きて、そして老いて、病んで、苦しんで死ぬのか・・・。
「これは呪いか、それとも罰か」ニーアオートマタ。よかったよねw
まぁつまり、もっとも大事なことです。我々がいま、生きて、ここに存在している。なぜ?
なぜ?あーーー、わからない。わからない。考えても意味ないのかもしれない。
誰もが一度は考えながらも、結局は、答えは出ず。時間が無駄になるから。考えるのをやめる。
「となりのおっちゃんは、このあいだ悟りを開いて、解脱したんだって!」
「あそこのA子ちゃん、解脱したんですって、まだ若いのに偉いわね~、うちの子も負けてられないわねぇ~」
というように、ご近所に解脱した人がいるのなら、ちょっと足を運んで、答えを聞いてくるんですけども。
なかなか、いらっしゃらない。
まぁ、仏教になってしまいましたが、とにかく、答えを得るのは、難しいようです。
我々は、どこから来たのか・・・
まぁ、誰でも母親のおなかの中にいたわけですよ。
その前は・・・父親の金玉と、母親の卵巣にいたわけですよ。
その前は・・・父親と母親が、なにげに食べた食べ物の・・・成分だったんだと思うんですよ。
記憶という点で見れば、母親の胎内で、ある程度我々が成長し、脳や感覚器官が成長した時点から
記憶が存在できたであろうと思います。
それより前の記憶・・・
無いでしょう。誰も持っていない。まぁ、いわゆる前世の記憶がある。っていう方は、ちょっと別の話になりますが。
思い出せない・・・なんの感覚もない。
そう、残念なことに、我々は、無から発生したのです。
昔、テレビか何かで見ました。
死とはなんぞやと聞かれた人が、映像が映っているテレビを叩き壊し、画面が映らなくなったのを指し、「これが死だ」
これにはショックでした。
そう・・・我々は元は無で、超ど級に幸運に恵まれて、生を受け、いま、ここに生きている。
物が見えるし、音も聞こえるし、匂いもかげるし、さわれるし、食べれるし、考えられるし、ウンチとかもできるし。
あぁあ~生きてる~生きてる~なんでもできる~可能性は無限大。
しかし、生きている限り、いまのところ死からは逃れられない。
我々は、いつかまた、何も感じられない、なにも考えられない、無に帰す運命だ。
あーーあー。なんてこった。人間に生まれたことで、多くの幸せを感じられると同時に、その知能ゆえ、死ぬ前から死について恐怖しなければならない宿命に生まれた。
死恐怖症(タナトフォビア)
さあ、我々はどうすればいいのだーーー(続くかも)