幸せになれる?友達の在り方 | 台湾人家族が中学受検(受験?)にも挑戦したい!

台湾人家族が中学受検(受験?)にも挑戦したい!

都立中学受検に挑戦したい台湾人家族です。
娘の偏差値 50 前後なので、私立受験するかは検討中。
小5に入った今は私立向けの勉強もしながら都立向けの勉強を中心に取り組んでいます。

ブログ主のパパは欧米留学歴8年の元・旧帝大教員

前回の記事で娘と友達がトラブルになったエピソードを共有しました。

 

 

その記事で、娘の友達に対するドライな態度がお分かりになったと思いますw

 

実は娘は保育園時代から人間関係に対してあまり無関心であって、

積極的に友達を作っていません。

外で友達と偶然会った場合もほとんど自分から挨拶しませんし、

(友達が挨拶したら挨拶を返しますが…)

席替えした後家で「隣にだれがいますか?」と聞いても大体「特に見てない」と返します…

 

それでも保育園の時代も小学生の時代も仲の良い友人は数人います。

 

私の観察では、娘の交友に対する態度は私と似ていて、

要するは「良くしてくれる人にだけ良くする」

それ以外の人は無関心。縁がない人には特に交友しようともしない。

 

対して、妻の交友観念は「自分から良くすれば人も良くしてくれる」

言い換えると、友達は自分から作るものという認識です。

 

なので、妻にとって「友達に弁償を求める」のは想像もできない行動ですが、

私にとっては別にその子と友達にいたくないのであればそれでも構いません。

 

実は人間関係、特に恋愛関係において、

前者が後者より優位な立場にいることが多いです。

要するは、

前者は「愛される側」にいることが多く、

後者は「愛する側」にいることが多いです。

もちろん、人間関係において犠牲の多いほうは大体「愛する側」で、

「愛される側」は相対的に楽な立場にいることが多いです。

(これは親子関係においても体現しています。

もちろん愛する方法を間違えたら愛される側のほうが悲惨になる例もたまにあります)

 

↑ある程度エレンやミカサの関係に似ていますね、最後の結局はエレンのほうが悲惨ですが…

 

ただ、私や娘のような観念を持っている人の一番のリスクは、

誰も良くしてくれない、愛してくれないことです。

 

私は今までの人生で数回全く友達がいない時期に遭遇しましたが、

自分に自信を持っていると、実はそこまで心理的打撃はないです。

自分らしい生き方を生きていくと、早かれ遅かれ友達になれる人と出会えます。

人間関係において無理に人に合わせない方がより幸せに生きていけると信じています。

 

娘もいつかはこのような友達がいない段階に出会うかもしれませんが、

その時にまたこの記事を見せようと思います!