ナイジェリア決勝アルゼンチン | BOLAO NANA`s Style

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 マラドーナの後継者が、五輪史上40年ぶりの連覇を勝ち取った。男子サッカー決勝は、アルゼンチンが1-0でナイジェリアを倒し、04年アテネ大会に続いて金メダルを獲得。後半13分、FWリオネル・メッシ(21=バルセロナ)がスルーパスで決勝点をもたらし、64、68年のハンガリー以来の快挙を達成した。05年ワールドユース(現U-20W杯)と五輪で「世界2冠」を達成した天才は、9月のW杯南米予選のメンバーにさっそく選ばれ、夢の3冠へ歩み始める。

 表彰台の最上段に立ったメッシは、首から下げたメダルを左手で握り締めた。表と裏をクルリとひっくり返すと、午後の日差しを浴びて光る黄金色が、まぶしかった。「僕らが素晴らしいチームだからこそ、この喜びを得られた。五輪での優勝は特別。幸せいっぱいだね」。8万9000人で埋まった観客席からの祝福に、笑みがあふれた。

 正午開始のピッチは直射日光に焼かれたうえ、無風。温度は42度を超えた。国際サッカー連盟(FIFA)が両チーム監督と医療スタッフと協議し、前後半に1回ずつ、水分補給のため2分弱の休憩時間を設けたほど。「厳しい試合だったし、暑さで相当疲れていた。決勝を戦っているということが、唯一のエネルギーだった」。

 体力の消耗を恐れたナイジェリアが、本来のスピードを発揮できずにいると、メッシは守備を仲間に任せて前線でチャンスを狙った。後半13分、リケルメの相手へのプレスでこぼれたボールを拾い、体を反転。即座に、左サイドを駆け上がったディマリアへ約20メートルのスルーパスを通して先制点をもたらした。

 新たな黄金期を築くためには、ワールドユースに続く世界タイトルが欲しかった。所属するバルセロナが五輪への派遣を拒否し、協力を要請した国際サッカー連盟(FIFA)との間に入ったスポーツ仲裁裁判所(CAS)もクラブ側を支持。それでも、バルセロナのグアルディオラ監督に直訴してまで出場したのは「五輪で勝てば、ドリームチームになれる」と信じていたからだった。準優勝した90年イタリア大会を最後に、W杯でベスト4に残れなくなった母国復興のため、国際舞台で北京世代の実力を上げたかった。

 英雄マラドーナとともに86年W杯を制したバティスタ監督は「メッシは素晴らしかった。1人の選手に頼らずに多様な戦術も生まれた。今回の勝利はA代表の希望になる」と相手のマークを一身に受けたエースを再評価した。頂点を極めた最強世代が、10年W杯へ勢いを増した。