2016年に公開された新海誠のアニメ映画。
内容は非常に良かった。
過去の新海作品の要素がすべて詰まっており、写実的な電車や町、自然の風景から、幻想的な空は心をひきつけ、得意の男女間のすれ違いや距離感を生かしたストーリーは顕在。
正直入れ替わりものと聞いて、新海作品の中で空想モノは「『雲のむこう、約束の場所」があるのだが、(昔のことなので忘れているが)自分の中では「あまりにも突拍子もない存在がでてきて説明があまりされないで、勝手に解決した」という消化不良をおこしており期待していなかった。
いざ上映され、真っ先に気になったのは話の組み方だった。
笑いを狙った話をどんどん持ってくる。主題歌の「前前前世」とあいまって、ここまで明るい作品はあっただろうか?ウケるシナリオを書けるようになったのかと感心してしまった。
そのシナリオもただ男女が入れ替わるのではなく、タイムスリップもしていた。
という両方単体でも一本話が立ちそうな設定を組み合わせていることに驚いた。
3年前という遠すぎず近すぎない時間設定もシナリオの深みを生んだり、視聴者に携帯などの物で判断されない工夫となっていた。
また今回の二人を別つ原因は、彗星の落下による悲劇と、自然の災害とイメージしやすいものであったのが先ほどの「雲の向こう」とは違いだと感じている。
長々と書いてきたけど今回一番書きたかった、ツッコミたかったのは
なぜ携帯のみつはの日記が消えてしまったか
過去の存在だった三葉は死んでしまい、接点がなくなり、瀧の記憶から薄れてしまう。
これはシナリオとして受け入れられた。
だが問題はこっからで、タイムスリップして入れ替わったとしても、瀧の体によってその時空軸では干渉したものは残っているわけで、直したスカートと同様日記は残らなければならない。
タイムスリップものでバックトゥーザフューチャー1では、両親が結婚しない可能性が生まれてしまったため、主人公の存在や家族写真が消えかけてしまうシーンがあるがこれを参考にしたのか?(タイムスリップ物の知識が少なすぎるので申し訳ない)
この部分だけが納得いかず、引っかかっている。
監督がシナリオをつむいでいる際にできたほころびではないかと、話を結びたいと思う。
