国持人使の上手よき手本 | 八納洞の木鹿大王

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史跡を中心に徒然なるままに、、、
ただし真面目に読むと激しく後悔する内容となっております。。。。

 

 その昔、説教垂れてた爺さんがいたんだ。

 

爺さん   :真の名将ってのはよ、一度大きな負け戦を経験して

             大きくなるもんなのよ。わかるかぁ???

 

木鹿大王:頼朝公も尊氏公も手痛い敗戦を経験してますな

 

爺さん    :そうそう^^その点、わしは名将じゃねえんだよ。

             なぜかって? わしは負けたことねぇんだよ

           がっはっはっはぁ~~~

             名将って言われるようになりてえもんよぉ~~

           がっはっはぁ~~

 

後書き:

 

巧者の大將と申は一度大事の負に合たるを可申也吾々は一世の間勝ち合戦計にて終に負に不合候間年寄候へ共功者にては有間敷事

 

 朝倉宗滴こと朝倉教景さんの残したとされる 朝倉宗滴話記(金吾利口書) からの意訳ですw。

 千葉県民である筆者。最近のいろいろで県外にほとんど出てないんですけどね。

 で、なーんで、宗滴さん? 福井行ったの? って言われそうですが、この人、同じ話記に上総の武将のこと書いているんです。

 ↓引用

 

 当代日本に国持の不器用人使下手の手本と可申仁は土岐殿大内殿細川晴元三人也
 又日本に国持人使の上手よき手本と可申仁は今川殿甲斐武田殿三好修理太夫殿長尾殿安藝毛利織田上總介關東正木大膳亮方の事

 

自慢話?の後に、こんなことも言ってるんですよね。おめーら、こーゆー人をお手本にしろよー、注目しとけよー みたいな。土岐殿ってのは、上総土岐氏じゃなくて、美濃の蝮、道三さんに追い出される前のあの方のようです。

 

 結構な面々の中になぜ正木大膳さんなの???戦国ファンの七不思議のひとつとも(他の6個しらんけどw)

 一つは、正木氏、関東周辺の海を牛耳ってましたから、重要な貿易港をもつ敦賀に所領を持つ宗滴さんが重要な貿易相手として、北条氏康さんより重要と思っていた??

 もう一つが、お万(於万)の方の存在。正木大膳さんの孫とか姪とか言われている方で、徳川家康さんの側室になった方。そして、紀伊徳川家藩祖、頼宣さん、水戸徳川家藩祖、頼房さんを生んでいます(水戸黄門のおばあさん!!)。

 よって、後にちょいと変更があったのかも???とも。

お万説は、正木時茂さんのお墓がある、千葉県鴨川市の長安寺の方(多分住職さん、ジャージ長靴で作業の合間にお話しいただきました)もおっしゃっていました。

 

 ちょいとだらだらすいませんでした。

以下にお墓と長安寺の写真をちょいと

長安寺グーグルマップ

 

急カーブに現れる長安寺の看板

お!!開基 正木大膳時茂公 開基以来曹洞宗らしいです。里見家って日蓮宗だったはずなんでその辺はこだわらなかったんですかね。

駐車場に車止めて~

山門

大膳さんのお墓

左:龍雲院(時茂公の嫁さん) 右:正木時茂公

歴代住職さんのお墓。

ちょいと小高いところにお墓があります。

参考文献 正木大膳 この単語がいっぱい出てきますが、正木時茂公、信茂公、憲時公 親子の代替わりがいまいち明確でないそうな。

人名辞典(青いやつ)、正木さんだけで36人取り上げられてました。

やっぱ、時茂さんの項目が2ページちょい使って紹介されてました。上総の戦国武将ではビッグネーム^^

槍(薙刀)の名手で、負け戦で自ら殿を務めて血の海を作ったって逸話を持つお方^^

 

信長の野望の評価が高ければ、有名武将にも慣れたんでしょうけどねぇ。。。

あ、また長くなりそうなんでこのへんで

 

以上