8月15日。

私の祖父の弟は、77年前からずっと、あどけなさの残る顔・軍服姿で仏壇に飾られています。
わずか19年の生涯でした。

小作農の三男。
長閑な里山で生まれ育ち、田んぼや畑を一所懸命に手伝った「心根の優しいおとなしい子」が、なぜ、特攻隊員として沖縄の海に散らなければならなかったのでしょうか?

戦争がうばった無数の未来。
こんなことは絶対に繰り返されてはなりません。
 
...

こちらは、103歳で天寿を全うした(兄である)私の祖父が、生前大切に保管していた「奉公袋」です。

長男で農家の跡取りとして生涯をすごした祖父は、晩年になって、(前述の)弟のことをぽつりぽつりと語り始めました。

祖父自身はというと、召集令状を受け一度は東京へ出て行ったものの、肺を病み床の中で死線をさまよいました。

結局、戦争に赴くことはありませんでした。


召集令状を受け取ってから準備したという奉公袋の中身は、軍隊手帳、遺言書、写真、召集令状、計画書……
死を覚悟していたのでしょう。自身の髪や爪も同封されていました。




(母上様)
自分亡き後は決して悲しむことなく 良く妻と調和して家内円満お暮し下さい。唯一の願ひです。


(妻 菊枝殿)
母と仲良く何時も笑って元気で居てくれ。自分は遠い遙かな地より、しっかとお前達を守って居るぞ。
...

覚悟の遺書をしたためた祖父でしたが、肺を病み、上野から列車に乗って新潟の自宅へと戻されます。

そして終戦の2年前、山間の村で私の父が生まれます。

いまここにいる私の命につながる奇跡です。

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戦争の悲劇が二度と繰り返さないようにと、祈りをこめて「記録」を残す人たちがいます。


代表の中川幹朗氏は、市井の人々の「原爆の記憶」、生の声を収集し、それ以前の町の様子を記録することによって、長年にわたる平和活動を実践されている人物の一人です。

映画『この世界の片隅に』にも協力されています。



私はSNSを通じて中川氏と知り合い、これまでに作られた冊子をいくつか取り寄せ、読ませていただきました。

被爆者の皆さまが振り絞るように語った言葉には、想像を絶する苦しみと迫力が伴います。



ヒロシマフィールドワーク実行委員会 中川氏の編んだ最新刊がこちらです。


◾︎『原爆納骨安置所を守り続けて  佐伯敏子さんの証言』(2022年8月6日刊行/ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会)
自身も25歳で被爆、引き取り手のない約7万人の遺骨が眠る原爆供養塔(原爆納骨安置所)に40年にわたり通い、遺族の元へ戻すお仕事をされ、掃除をし続けた佐伯敏子さん(2017年永眠)。


〈おかしいと思ったら、何がどのようにおかしいのか、そのことにこだわりつづけながら、広島の心、人間の願い、自分の言葉と自分のやさしい心の行動の中で、広島を忘れないでください。〉
―1996年8月5日 「原爆犠牲ヒロシマの碑」
碑前祭での生徒への呼びかけ より


『原爆納骨安置所を守り続けて  佐伯敏子さんの証言』には、生前の佐伯敏子さんと交流のあった、(絵本作家)西村繁男さん、田島征三さんらの言葉も収録されています。

〈ぼくらは反戦絵本も作っていたので、佐伯さんの絵で三作目を作ろうということになりました。絵も文章も八割がた出来上がっている頃に、佐伯さんから「この本作りはやめましょう」という手紙をいただくんです。〉
―2017年12月3日 佐伯敏子さんを偲ぶ会
「西村繁男さんのお話」 より


冊子のお問い合わせ・お取り寄せは、ヒロシマフィールドワーク中川氏まで。
ぜひどうぞ☞(ダイレクトメール)

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「絵本」もまた、戦争を伝えるために大きな役割を果たしてきました。

物語(フィクション)、ノンフィクション、詩、独白……
様々な切り口、手法で「戦争を伝える絵本」を我が家の本棚から集めてみました。

すべて「戦争に関係する絵本」です。

中からいくつかご紹介します。

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ある日、広島平和記念資料館で映し出されたのは、
幸せそうな家族のスナップ写真と、
直後に映し出された言葉。

「この家族は原爆で一家全滅しました」

ショックを受けたという著者。

《すべてをうばいさった、あの原爆。でも、このかぞくが生きたあかしを消すことまでは、けっしてできません。》

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この絵本には、軍の衛兵だった兄を中心地まで探しに行き、被爆者となった作者の母の実体験が描かれています。

《あまりに かわりはてた まちに おかあさんは ふるえました。》

《おかあさんは どんな きもちだったでしょう。だいすきだった おにいさんは いっしゅんで いなくなってしまったのです。》

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餓えて弟のミルクを盗み飲みしてしまった兄(作者)。

《弟が死んで九日後の八月六日に、ヒロシマに原子爆弾がおとされました。その三日後にナガサキに―》

餓えと破壊の戦争。
ただただ非情です。

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《死なないですんだのも偶然なら、生きていることだって偶然に過ぎないではないか》

あれ以来、"絶対"という言葉を使わないと誓った著者が、あえて今この言葉で伝えたいこと…

《戦争だけは 絶対に はじめてはいけない》

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生前の著者が、子どもたちに向けて話した戦争体験と、平和憲法、未来への思い。

戦時、少年だった井上ひさしさんは、教師から「君たちは20歳まで生きられない」と言われていました。

《たくさんの試練のつみかさねから人間が生まれました。
まさに、きせきです。
その人間一人ひとりを、
かけがえのないそんざいとして、たいせつにする社会。
それをいちばんだいじにしていこう、
というのが日本の「けんぽう」です。》

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息子が「この眼はいいね、優しくて」と指差した絵本。
ほんとうに、まっすぐで優しい瞳です。

こどもとこどもは せんそうしない
けんかはするけど せんそうしない

繰り返される「せんそうしない」の言葉が、おまじないのように心に響いてきます。

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「戦争」をテーマにした絵本。

人の生き死にに関わる描写を含みますから、お子さまにはぜひ、安心できるおとなと一緒に、お膝の上で、肩を寄せて…安心を得られる状況で読まれることをおすすめします。
内容につきましてもきちんとお確かめ下さい。


せめて終戦の日だけは、
まるで何もなかったかのような……そんな日にしたくないなと思います。

みんな忘れてしまうから
私は記し続けます。

私には(私たちには)、戦争の記憶を継ぐ責任があると考えています。


戦争で失われた310万のたいせつな命、今を生きるたいせつな命を思いながら。


絵本コーディネーター東條知美