☆与謝野晶子/文 高部晴市/絵 『きんぎょのおつかい』 架空社(1994)
※初出は雑誌『少年少女』に掲載の1907(明治40)年。

 

与謝野晶子 といえば明治~大正時代を代表する歌人。

 「みだれ髪」

「君死にたもうなかれ」

「やは肌の あつき血潮にふれも見で さびしからずや 道を説く君」

 などの印象を持つ方が多いと思われます。

 

 

妻子ある師・鉄幹との複雑な恋愛期~

性愛(当時のタブー)を詠んだ数多くの歌を発表~

11人の出産子育て(ちなみに上は10歳、一番下は1歳のとき、当時の子ども7人を義妹に預け半年間夫と共に渡欧しています。)~

大正期に平塚らいてうとの間で勃発した「母性保護論争」(この間にもいろいろな論争に参加)~

 

・・・知れば知るほどたいへん〝濃い″人物像が浮かんできますが、ともかく、あっちにもこっちにも、ものすごいエネルギーを注ぐことのできる女性だったのでしょう。

 

 そんな与謝野晶子が、子ども向けの童話を書いていたことはあまり知られていないのではないでしょうか。

 

国立国会図書館のホームページ内、〈近代デジタルライブラリー〉では、晶子の書いた『おとぎばなし少年少女』全187ページをすべて読むことができます。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168471


 

「二人の男の児と二人の女の児とが大きく成ッて行くに従ッて、(略)初の内は世間に新しく出来たお伽噺の本を買ッて読んで聞かせるやうに致して居りましたが、それらのお伽噺には、仇打ちとか、泥坊とか、金銭に関した事とかを書いた物が混ッてゐたり、又言葉づかい野卑であッたり、(略)児供をのんびりと清く素直に育てよう、(略)と考へてゐる私の心持に合はないものが多い所から、近年は出来るだけ自分でお伽噺を作ッて話して聞かせる事に致して居ります。」(与謝野晶子)

1910(明治43)年 博文館刊行『おとぎばなし 少年少女』「はしがき」より)

 

 

当時の児童文学界を牽引していた鈴木三重吉らを批判?と思わせるような前書きですね。おおお・・・

 


この『おとぎばなし 少年少女』に収録されたお話の中の一編、「金魚のお使」を絵本の形にしたものがこちらの
『きんぎょのおつかい』(与謝野晶子/文 高部晴市/絵 1994 
架空社)です。

少しだけ中身をご紹介します。



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