「田島征三いろいろ展覧会」
於:青梅市ダイニング&ギャラリー「繭蔵」
絵本作家として1970年代の絵本開花期から現在まで第一線を走り続ける田島征三さん(74)と、
絵本のみならず詩集にも力を注がれる内田麟太郎さん(73)。
(内田さんは「絵詞作家(えことばさっか)」を自称)
ここ30~40年間の様々なメディアを追ってまいりましたが、このお二人が同じ現場でお話しされる場面は見たことがありません。
イベントタイトルには「たぶん最初で最後の」とあります。
痛烈で鮮やかな記憶を〈土の匂い〉と共に残す…田島征三さん、
ドラマティックな〈余韻の子ども文学〉…内田麟太郎さん。
どうしても現場で体感しておきたい!と早々に予約。横なぐりの雨の中、出かけてまいりました。
・・・
このトークショウは、お二人の「フェイスブック上でのきまぐれなやり取りから生まれた企画」とのこと。
当日参加できなかった皆さんのために、メモを少しばかり紹介させていただきます。
(※内容の公開について、両氏より許可いただいております。また、敬称略させていただいております。ご了承ください。)
田島:フェイスブックのやり取りの中で、「今度ぼくの展覧会を青梅でやるから、内田さんも来てよ」と誘ったら、最初「やだよ、遠いもん」と断ってきた。
内田さん、すぐそこの羽村在住なのに(笑)
そもそもあなた、どうしてフェイスブックを始めたの?
内田:九州に(ぼくの)美術館を作るという話があって。
そこにお客さんを集めるためにはどうしたらいいかなと思ったときに、「そうだ、フェイスブックやろう」と思い立った。
最近では、なんだか目的と関係ないのがいろいろくっついてきちゃったのだけど(笑)
田島さん:ベトナム戦争の頃…1960年代の後半、画家の西村繁男を介してぼくらは知り合った。
その頃からのつきあいだね。
内田さん:ベトナム反戦野外展で知り合った。
長新太さんや和田誠さんなんかも、絵を描いてくれたね。
その中で、田島さんのところにだけは、なんだか知らないけどいつも警察がウロウロ見張ってるんだよ。
「やばい人がいる」と思った僕は、真面目な西村君の方にくっついていることにした(笑)
ほかにもいろいろあって、以来、田島さんには「あんまり近寄らないようにしよう」って感じでやってきた(笑)
田島:当時はみんな若くて生き生きしてた。
それで、集まりなんかで「よーし、俺たちこうしよう!」とか盛り上がっているところで、内田君は静かに「そういうことをして何になるんだ?」とか、ボソッとつぶやくんだよ。冷やかに。
だからこちらも「やばいやつだな」と思っていた(笑)
どこかで会っても、ちょっと互いに避けちゃうかんじ。
フェイスブックが無ければ、こんな機会もなかったね。
内田:田島さんの絵は・・・・・ちがうんだよね。
ぼくのテキストとは、どうなんだろう?と思う。
田島さんの作品って、ときに暴力的なんだよ(笑)
最初見た時はびっくりした。それまでは、僕の中で絵本というものは「かわいくてきれい」という印象だったから。
でも、ぼくが絵本の世界に興味を持ったのは、田島征三と長谷川集平の絵本をみたから。
「この人たちが日本の地平線を拓いている」と思った。
好きだから、好きすぎたから近寄れなかった・・・と言ったら言い過ぎかな(笑)
田島:当時のぼくは、時流に乗った作品を作ったりしてる人を見ると何か言いたくなる方だった。
西村繁男には、彼が専門学校で絵を学んでいるというから「そんなのやめろ。金の無駄だ!」と言った。
すると「特待生なんです」という。
「それでもやめろ!」と言って…結局彼は学校をやめてしまった(笑)
そりゃあ、そんなんだから、内田さんからも嫌われるよね。
内田:もの書きっていうのは…
いや、どの仕事でもそうだと思うんだけど、自分の資質に反したことで成功した人っていないんだよね。
田島さんは自分のそれをずっと守ってる。
すごいなあと思った。
・・・・・・・・・
内田:今日はぼく、ノーギャラだから宣伝をします(笑)
ぼくの住む羽村市で、今度、映画『じんじん』を上映するので、それをぜひ皆さんにも見に行っていただきたいの。
腎臓の病で亡くなった〝なべさん“は、僕を最初に西村君や田島さんに会わせてくれた人。
彼の遺志をついで描いた『そらとぶあひる』(内田麟太郎 ぶん/長新太 え/2013童心社)
という絵本があって、この映画にも出てきます。
今日は特別大特価、映画のチケットと絵本をセットにして5人に1000円でお譲りしますよ!
映画は羽村市で、7/19上映です。
田島:5人きり?この会場にいる大勢の人たちで取り合いになっちゃうよ(笑)
・・・・・・・・・
(美術館の話になって)
内田:絵描きさんたちはみんな、原画の保管に困っている。
タンスの中で保管している場合が多いよね。
自宅のタンスからその都度引っ張り出して、各地の展覧会へ梱包して送ったりと、それはたいへん。
そのいろいろな手間を、美術館が代行してくれるというのは、なかなかいいですよ。
田島:それをやるには、ちゃんとした学芸員が必要だね。
ぼくには「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」
というのがある。
廃校を美術館にしたもの。
新潟県の十日町は、上野から電車で2時間くらい。案外近い。
そこで「大地の芸術祭」というのがあって、小学校の廃校を美術館にすることになった。
雪国で、湿っぽい重たい雪が降る場所。だから木造の校舎なんだけど、ずいぶんしっかりとした造りをしていた。
すごくいい建物だから、できるだけそのままを活かしている。
〝鉢“という、その名のとおりの形をした集落の真ん中に学校はあって、周りを段々畑と田んぼが囲む、すごくいいところ。
最初、廃校になったそこへ行ったとき、ぼくには最後の子ども…3人の生徒の気持ちが、まだそこに残ってるように感じられた。
それでその3人の子どもたちに話を聞いてみることにした。
すると3人とも、ある一人のある女の先生とのエピソードをたくさん口にする。
それで、どんな先生なんだろう?と興味に思って会いに行った。
その女の先生は、赴任当時(生徒は4人)「この少ない生徒にどうやって教えよう?」とすごく悩んだそうだ。
それで、山羊を一匹つれてきた。畑を作った。
学芸会なんかでは、4人が5つずつ役を持ったりするわけ。
それで終演後、幕間から先生と生徒みんなで客席を覗いてみると、集落の人たちがみんな泣いたりしているんだって。
泣かせるような芝居じゃないのにさ(笑)
そういう思い出が、その校舎にはまだいっぱいつまってたってことなんだ。
オバケみたいにふわーっと漂っているんだ。人がいなくなっても。
それで、この美術館のテーマは「3人の子どもたちとオバケ」にしようと思いついた。
・・・・・・・②へ続く