ブックトークの会「『金子みすゞの110年』を編集して」@教文館
絵本好き・関係者が日々集う教文館(書店)で開催のブックトークの会「『金子みすゞの110年』を編集して」に参加しました。
(☆余談ですが教文館といえば、ちょうどいまNHKで『花子とアン』の花子と(将来の伴侶)村岡との出会いの場として、朝ドラの舞台となっています。花子の勤めた編集部のあった会社です。)
語り手はJULA出版局(http://www.jula.co.jp/)でふだんは営業をご担当の柴崎大輔さん。
『金子みすゞの110年』(矢崎節夫監修/2013・12/JULA出版局)は、童謡詩人である金子みすゞの生誕110年を記念して昨年末に出版されたムック本です。
この本はビジュアル書としてより鮮明に見てもらえるように、高精細という日本に数台の印刷機で印刷。収録された「みすゞ直筆の童謡」もきれいに再現できているとか。
作品やその生涯についてのみならず、みすゞの愛娘 上村ふさえさんへのロングインタビュー(母への想い、その心の動きがよく伝わってくる記事でした。)、舞台・映画やドラマ・絵画や絵本の形で広まっていったみすゞの世界等々についてもれなく掲載。
みすゞ研究の総決算ともいうべき一冊です。
金子みすゞ(1903-1930)作品の中では、震災後のあの当時テレビで聞かない日は無かったこちらの詩「こだまでしょうか」が有名ですね。
(実はCMが制作されたのは、震災の起こる前年のこと。「コミュニケーション」をテーマとしたCMを...という主旨で作られたものだったそうです。これが震災後に頻繁に流され人々の注目を集めるようになったので、柴崎さんを含む会社の皆さんはたいへん驚かれたそうです。)
(「こだまでしょうか」も、〈みんなちがって みんな いい〉の「わたしと小鳥とすずと」も、こちらに収録されています。)
「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
今回は、『金子みすゞの110年』を作るにあたって実際に編集部が調査したという貴重な資料の数々(大正期に刊行された児童雑誌『赤い鳥』『童話』『金の船』等)を見せてもらいながら、作品の下地にあるみすゞ自身の豊富な読書体験について・矢崎節夫氏による「みすゞ発見」・当時みすゞが手に取ったと思われるアンデルセン童話についての検証発見を行ったというエピソード(すごく面白かったです!)・北原白秋や西條八十の「童謡論」が彼女に与えた影響などについてじっくりと伺う事ができました。
“やさしさ” “あたたかさ”を感じる彼女の童謡が感覚的にだけ描かれるのではなく、むしろ強い思想、理想を背景に生み出されたからこそ現代の人々の心に響くものとなっているのではないか・・・・・・。
大正期の作家 金子みすゞを以前より身近に感じられるような気がします。
それは、今回のブックトークで柴崎さんが語られた内容ー彼女が本屋の店番をしながら手に取っていた(と思われる)『アンデルセン童話全集』…その当時ではまだ珍しいものであったこの翻訳本を、胸ときめかせながらめくっている若き頃のみすゞが、目に浮かんできたからかもしれません。
(大正13年に出されたアンデルセン童話の翻訳本(※当時のもの)を、手にとって見せてもらうことができました。)
☆みすゞの詩「杉と杉菜」には〈青銅の豚〉という言葉が出てきま
これはアンデルセン童話の中で、現在〈青銅のイノシシ〉として知
調べてみると、楠山正雄の『アンデルセン童話全集』(第一巻)新
他にも複数の理由から、みすゞが新刊当初この本を手にとり読んだ
(検証を行うこととなったきっかけは、2003年「金子みすゞ記念館」(長門市)設立にあたって作業を進めていたJULA出版局代表の大村祐子氏が、みすゞ作品にアンデルセンの気配を強く感じたことが始まりだったとのこと。)
以前よりも身近に感じられたもうひとつの理由として、
みすゞが創作の上で念頭においたと思われる、恩師西條八十の〝童謡論”・・・「(童謡は)詩としての芸術的価値を持つべきものであるがゆえに、単に児童らの歓心のみ求めた、ご機嫌取りの謡(うた)であってはならない」という、子どもに本を供する者としてのひとつのきびしい姿勢に、私自身共感をおぼえたということもあるかもしれません。
ちなみに語り手の柴崎さんとは、同社の女性が以前私のイベントに足を運んでくださったことがきっかけで知り合い、子どもの本について想いを抱く同士として、以来よくご一緒させていただくようになりました。
そのご縁のお陰で今回、金子みすゞの世界をこんなにも知ることができ、会場にいらしていたみすゞの愛娘であられるふさえさんともお話しさせていただくことができて、、、本当に嬉しいひとときでした。
「母は戦争が始まる前の昭和5年に亡くなりました。よい時代を生きたと思う。今皆さんの胸の中でまた みすゞが生き続けることを、たいへん嬉しく思います。」
「柴崎さん、よくぞここまで資料を揃えてくださいました」(ふさえさん談)
ふさえさんは、とても素敵な笑顔を見せてくださいました。
柴崎さん、貴重なお話そして素晴らしいひとときと出会いを
どうもありがとうございました。
みすゞ作品が、より多くの子どもと大人の心へ届けられますように。
6/21 絵本コーディネーター 東條知美