東條:それでは次の質問です。今日は作家志望の方も複数お出でですので・・【表現者でありつづけること、その秘訣とは?】



西野:僕の芸歴なんて10年そこそこですから。それこそ先生みたいに長く続けられた方からすると・・どうですか?



なかえ:これはさっきも話したけれど・・「じゃあ他に何しよう?」と。他に出来ることがあればそっちをするんでしょうけど、もうコレに出逢っているわけですよね。作品とか・・僕なんかでいうと本に出逢っているから。もうとにかく「次の本を作りたい」っていうことになって。表現者であり続けるっていうよりも、「そのほかには無い」っていうこと。

たとえば「車のセールスやれ」とか言われても、絶対にできない。ただ辛いだけでね。でも絵本を作るときは、どんなに辛くても辛くないわけです。「頑張れば、答えは出せる」って。マラソンのランナーなんかでも・・あれは生まれつき「走れる体」ですよね。



西野:ちょっとこう、「脈」だとかそういうのはあるかもしれないですね。



なかえ:おんなじ練習したって、きっと勝てないですもんね。



西野:先生が今からオリンピックってのは、ちょっと・・もしかしたら、難しいかもしれないですね。(笑)



(会場 笑)


『僕らの絵本』



なかえ:「頑張れば出来る」ってものは、もうほとんど無いですね。ひとつに絞っちゃって、「コレなら頑張れば出来る」ということ。




西野:僕は、帰り方がよくわかんないんですよ。帰り道がよくわかんなくなっちゃっているんです。(笑)


『僕らの絵本』



東條:西野さんは、いろいろやられてますね。



西野:僕ね、やりたいことは全部本当にやりたいんです。



西浦:「お笑いの道に行こう!」と思われたのは・・?



西野:小学校2年生くらいのときなんですけど、好きな子がいまして。でもしゃべれなかったんですよ。なんていうか・・女の子としゃべるのは「悪」だったんですよ。



西浦:ああ、わかります。



(会場 笑)



西野:今でいう「チャラ男」、僕らの頃は「たらし」って呼ばれてたアレがね。まず男友達に嫌われんのは絶対にイヤじゃないですか。



西浦:はい、はい。



西野:それで周りの男の子たちに「お前、女としゃべんなよ」とか言うてたんですけど・・セイコちゃんていう好きな子がいて、僕、ホントはしゃべりたかったんですけど友達にそう言っちゃってた手前、どうしようかなあ・・って。で、ある時、その頃テレビでやってた「カトちゃんけんちゃん」の真似を教室でやったらドカーンと受けて。なんと、セイコちゃんの方から話しかけてきてくれたんですよ!これに関しては僕、ルール違反じゃないですから。



西浦:向こうからですもんね。(笑)



西野:男友達に対しても「いや~、あいつから来たからなぁ」ってスタンスをとれるわけです。これは・・要は「人にかまってもらえるんだ」っていう思いが強烈にあってですね。こういうことやってると人が寄ってきてくれる。あの・・僕はもう強烈な「かまってちゃん」なんですよ。



(会場 笑)



西野:小学校2年生のその時から、「お笑いしよう!」って思って、そのままズルズルっと今まで来てるんですけど。



東條:西浦さんはどうだったんですか?



西浦:僕は中学のときに・・当時「中学1年コース」みたいな雑誌がありまして、そこに「バンドを組もう!」みたいな特集があって。なんかしらんけど、カッコイイと思ったんですよ。



西野:カッコイイですよね。



西浦:それで当時はTM ネットワーク が人気だったんで・・「俺、小室になろう。」とか思って。


『僕らの絵本』



(会場 笑)



西浦:小室哲哉 になろうと思って、「ロックキーボードが弾ける本」みたいなのを近所の本屋さんで買ったんですけど一日で挫折しまして。「小室はもうアカン」と。

次はギタリストになろうと思いまして、中3の時に友達とエレキギターを買いに行きまして。「エレキといえばベンチャーズやろ」って・・ちょっと古いんですけど、ベンチャーズやってて。「高校に入ってから俺のシンデレラストーリーが始まる」と思ってたんですけど、ギターって早い子は中1か中2でやってるんですよね。で、探 ってみたらもう既に前からやってる子が1人か2人いたんです。

そうすると、ベース・ボーカル・ドラムしかなくて。ボーカルは「人まえに出るのが怖いから、やらん!」と。ベースは「せっかく俺、今までためたお年玉でギター買ったのに、またベースも買わなアカンの?」「あ、ドラムはスティック(だけ)でええやん!」・・という訳でドラムを始めたわけなんです。後ろ向きなんですけど。()



西野:へえーっ。



西浦:ちょっと美談にすると・・それまでは僕、何にも続かなかったんですよ。勉強しても趣味やっても三日坊主。小室になろうとしてもすぐ諦めたり。でもドラムは、「ちゃんとやろう」と思わなくても飽きなかったんです。人生で初めて。だから・・人生で唯一続けてることなんやなぁって、今思います。



西野:へえー、なるほど。




西野:そういえば、なかえ先生は最初は広告のお仕事されたたんですよね。



なかえ:広告をやるってのは・・ 僕は中学の時にひじょうに成績が悪くてね。勉強できない子だったの。今もできないんですけどね。()高校進学のときに、「中江くんは無理だ」って言われてね。



西野:そこでもう烙印を押されてしまったわけですね。



なかえ:思えば、理科・社会・算数・英語・国語・・みんなダメなわけですよ。でもひとつだけ・・いや、ふたつだけ。体育と絵。それはなんとか頑張ればいける。ただ体育も、マラソンなんてのはすぐ横っ腹が痛くなっちゃうんです。()


そうすると、絵だけなんですよね。絵が上手いわけではないんだけども・・絵なら頑張れる。だから絵の学校へ進学して、絵だけは負けずに頑張ろうと思いながらやりました。


『僕らの絵本』



西野:すると、学校にはもっと上手な方もいらっしゃったんですか?



なかえ:もちろん。



西野:(もっと上手い人は)いたけれども、「絵なら、自分は喰らいついてでもやっていける」ってことですかね。



なかえ:そう。そういうのって、あるとおもうんですよ。ダメでも工夫すればいい。工夫できるじゃないですか、絵の世界だったら。だから中学の時にもう道は・・



西浦:絵に絞られているんですね。



東條:そのあたりのことは、先生の『おとなのひとにいってほしかった 24 のこと』 (※24.)という本にも書かれていますね。「好きなことをやりなさい」と。

(※24.)
『僕らの絵本』



西浦:それはすごくわかりますね。結局親とかは、「いかに普通の子どもになってほしいか」っていう・・親のせいにしたらだめなんですけど。ちっちゃい頃って、なんかもっと自分のやりたいことがいっぱいあったなぁって思うんですよね。それが結局は・・親に何か言われてるうちに、自分で芽をつんでしまってきてしまっているなぁ・・っていうのは、すごいあるんですよね。



西野:うん、うん。



西浦:もっと褒められて・・自分のやりたいことをやってきてもよかったんじゃないかっていう思いが、すごいあります。



東條:私はちょうど子育て世代の親なので、今のお話はすごく耳に痛いですね。(子どもを)塾に入れようかとも思うけど、どうしようって。



西野:だからって、怖いですもんね。「塾に行かんと遊べ!」って言うのも、それはそれでちょっと勇気は要りますよね。



東條:そうなんです。うーん・・なんだか私ごとで、たいへんスミマセン。



西浦:別に謝らんでもいいですよ。悩ましいところですよね。()



・・・・・・・・・・・・・(記録⑭へ続く。)