本当に京成立石が再開発されていた。

 

 されるされるとは目に耳にしていたが、本当のことだったらしい。久しぶりに乗った京成線で、青砥から立石に向かうと大きな右カーブを迎える。その右カーブの内側にもう一本線路が敷かれていて、その先にはかつてあったあれは戦後すぐの頃青線だったという風に父親から聞いたことがある、2000年代には薄汚くなっていた飲み屋街がまさに一掃されていて、工事の防音シートと金属製のバリヤー、パーテーションが囲んでいた。

 

 と、京成立石については、酒飲みや廃墟マニアなどがあれこれブログを書いているので、ちょっと見てみたら赤線だったというような記述が目立った。どこまで調べているのかはわからないが、いずれにせよそういう土地柄だったということは間違いなさそうだ。

 

 そういった話は別の人にお任せするとして、とにかく立石が再開発されているというのを自分の目で見たことを書きたい。足繁く通っていたわけでもなく、何ならそのエリアに足を踏み入れたのは2-3度程度だが、電車から見るその光景は数百回、ひょっとすると千回を超えるかもしれない。ここ20年弱はほとんど見ていなかったが、しかし幼い頃から何気なしに眺めていて目に残像の如く残っているその風景が、今日完全に消えていた。と言って、感傷的な気分になっているわけでもなければ、何かに怒りや抵抗を示そうという気があるわけでもない。ただ、無くなったなと感じ、思った。

 

 当たり前だったものが、ふっと無くなっている。鴨長明のようなことか。方丈記より。

 

 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

 

 必要以上に寂しがる必要はなく、しかしあまりにふーんと感じてしまっている自分にも不思議な感覚があるのも事実だが、最後に京成立石で飲んだのも7-8年前のことであり、そんなものと言えばそんなものかもしれない。こういう感覚を記録しておきたい。