一つの出来事が、いろんなことを一気に結びつけていく珍しいことではない。今さっきもそんなことがあった。

 

 関西空港国内線の制限エリア(搭乗前のエリア)内に、プライオリティパスラウンジがある。そもそもプライオリティパスとはなんぞやという話は省略するが、そこで私は搭乗前の晩御飯を食べていた。冷たい肉蕎麦の前菜として、カツオのタタキの載ったサラダを食べていた時の出来事である。

 

 中肉というよりは小太り、身長160〜165cm、40歳前後の男(以下、「小さな男」と呼ぶことにする。けして短躯を馬鹿にしているという意味ではない)が同じく40代の男と共に、私から見て正面、前のテーブルにやってきた。そのテーブルには若い学生アルバイト風情の男性スタッフが案内する仕組みになっている。そのスタッフくんが、風情通りマニュアル化された「初めてのご利用ですか?こちらのタッチパネルで注文をすることとなっています。」と説明を始めた瞬間、小さな男は劣化の如く、まさにキレ始めた。曰く「同じタッチパネルで注文したら、会計一緒になるじゃねぇかよ。さっき受付で会計は別にするようにって言ったのに何にも聞いてないのかよ。どんなオペレーションしてるんだよ。」

 

 推察するに、小さな男はプライオリティパスを持っていて、同伴の男は持っていないのだろう。このラウンジはプライオリティパスを持っていると3,400円分までは無料で飲食ができるので、自分はパスを使って、同伴者は自分の金でそれぞれ飲食しようということなのだろう。

 

 スタッフくんはその場を離れ、上司と言うよりは先輩と言った風情のスタッフに状況報告し、判断を仰いでいた。と、その時、なんと間の悪いことに、別のスタッフくんが「まだこのテーブルには案内がされていない」とでも思ったのか、再び例の「初めてのご利用ですか?こちらのタッチパネルで注文をすることとなっています。」を始めてしまったものだから、小さな男は完全にキレてしまい「おい、お前、喧嘩売ってるのか?何も聞いてねぇのかよ。」とキレッキレ。そうこうしているうちに、ようやっと先輩スタッフが来て、“それぞれ紙に書いて注文すればよい”という極めてシンプルな手法を説明し、なんとかその場は収まったのである。その後、あと2名の若い男が加わり4名でテーブルを囲んで、やれこんなサービスならやめればいいだの、こんなサービスなら韓国の方がマシ、日本はこんなんだからこの体たらくだの、ひとしきりやんや喋っていた。

 

 もちろん、小さな男が、まさに小さな男な話であり、典型的なプライオリティパス乞食であり、小金持ち的思考&行動なわけだが、それはこの話の本筋ではない。私はこの出来事を目の前にしていろんなことが一気に繋がり、そして掴んだのだ。

 

 それは一言で言えば、人の振り見て我が振り直せ、というアレである。今までこの言葉のことはもちろん頭ではわかっていたものの腹落ちしたことがなかったが、今日は本当にストンと落ちた。これまでの私であれば、こういった出来事があると、義憤に駆られるのか怒りが湧き起こり、それこそキレてしまい、ただ不快な思いをしてしばらく嫌な感情が渦巻いて終わっていた。しかし今日は違った。もちろん腹は立ったものの、それは数分のことで、その後一気に「この小さな男はなんて格好悪いのだ、ダサいのだ。」という感情が押し寄せ、そして客観的に状況を捉えることができ、スタッフくんたちには申し訳ないが面白くなってきたのだ。

 

 そして、これが最近たまたま見た「定数を変えようとしても無駄。変数をどうするかに注力するものだ」という林修の発言と完全にリンクした。この林修発言そのものは全くその通りとその時も感じていたが、今日の出来事からの自分の感情と繋がって、つまり、小さな男がダサくキレていたり、スタッフくんたちもたしかにイマイチだったかもしれなかったりすることは「定数」、自分ではどうにもならないことであり、そういった状況を目の当たりにした時に自分がどう感じ、思い、考え、どう行動するかは「変数」なのだと一気に掴めたのだ。

 

 そして、これは幼少の子の育児においてもまったくその通りであり、幼少期の子供をつい「変数」のように接してしまいがちになるのだが、100%変数では当然ない。変数の要素が大きく、だからこそ言葉や食事の仕方やトイレへの行き方を教え、日々ものすごいスピードで色々なことを身につけていくわけだが、しかしやはり「定数」の要素もあるわけで、それが「イヤイヤ期」のような形だったり、駄々をこねたり、屁理屈を言って困らせたり、とするのだ。その定数を変数と勘違いしてしまうのではなく、そこは親である自分の考え方、接し方を変えていくことで対応していくのがきっとよいのだろう。

 

 さらに、今、仏教の基本的な考えを知りたいタイミングに来ていて、色即是空、諸行無常の考えともこれらの話が繋がってきて、そこに補強するように読んでいるみうらじゅんの『マイ仏教』における「ご機嫌取り」「僕滅運動」「自分なくし」、『さよなら私』の「比較三原則」などがことごとくスーッと身体に入り込んできたことも付け加えておきたい。

 

 今日のところは、リアルタイムな振り返りゆえこのような形のメモなのだが、やがて先の小さな男とスタッフくんの話も、小噺へと昇華、消化されていくこととなることが見えており、ようやく不惑、という感覚が掴めてきたような気がする。