俺が読書をし、金儲けについて考える

俺が読書をし、金儲けについて考える

読者はこれを読み、マネできそうなこと、
マネできそうな考えを手に入れればいい。
俺の思考と本の感想程度にメモをしていく。

誰も興味が無いと思うけど、このネットの海原に最近の私のことを書く。

 

前回の日記がちょうどきいが亡くなったときで、読み返したらこんな感情だったなぁと思いだすことができて私としては凄く良かった。きいがいないことは何も良くないんだけど、確かに悲しんだ自分がそこにいたんだということが分かった。

今でもきいのことを思うと悲しくなる。反射のようなものである。思い出されるのは最後に辛そうにこちらの顔を見ていた顔ばかりである。楽しかった思い出もたくさんあるのに。一緒に公園で走ったんだよなぁ。辛い。

 

家庭が暗くなったので、新しいコーギーを迎えた。私は前向きにはなれなかったけれど、妻は耐えられなかったんだと思う。

だから結局ドーピングに頼り、新しい犬を迎え入れた。きなこ。

まだ0歳なのでやんちゃばかりして私は手を噛まれる。本当に文字どおり飼い犬に手を噛まれている。毎日。

 

それはそれでまぁハッピーな日常ではあるのかなぁと思う。

 

特に書くことが無い。

2022年に色々なことをやりたい、自分の好きなことをやりたいと書いていた。

地図の事業は内部分裂で結局決裂した。これは恐らくGoogleとかに勝てないのでいずれ分解かピボットしないといけなくはあった。そもそも地方の観光を活性化させる必要なんて無くて、魅力が無いし、他の地方でも代替できるようなところにわざわざ行く必要はない。なので全国区の特産や観光地で無い限り注目されることなんて無いから、無理に目立たせなくても良い。

それよりも通販とかふるさと納税みたいな形でお前らが出向いて来いよという話である。

 

あぁ、結論的には自分の好きなことってなんやねんという話で、自営業の仕事が軌道に乗りすぎて忙しくててんやわんやなのであった。忙しすぎると言っても、朝からテニススクールに行って妻が出かけている間に赤ちゃんの面倒を見て子どもの送迎もしてという昼間は主夫業もこなしているのだが。

 

金銭面では潤いすぎてしまって、仕事に対して賃金を上げようなんていうモチベーションは全くなくて、社会的意義とか暇つぶしとかそういうボランティア的な精神でやっている。それでも会社員時代の2倍以上は給料を取っているのでよく分からないものではあるが。

 

株は去年+500万だった。今年はいま+300万ぐらい?あとはFXの収入が爆発的にあって、自分の収入が増えて妻の収入もあってで、なんかもう家計が潤っていて、でも贅沢はしないので何に使って良いかということに悩むというよく分からない悩みを抱えている。

 

結局、事業で使うぐらいしか私には幸せになる道が無いのだが、そのやりたい事業というのも特になく、また仕事を言い訳にして腰を入れないし腰を入れる必要性が現状無いので~というところで惰性で生きている。

傍から見たら勝組やん!ってなるような状況だとは思うんだけど、自分としてはどうだろね、という感じである。

とはいえ朝から一生懸命電車で通勤する勤め人にはもう戻れないわけですが・・・。相対的には不幸ではなくなったが、幸せではないということですかね。幸せではあるけど満足していないという状況かも。

 

毎日子どもの面倒が見れて妻も家にいて幸せです。それは事実。

なので自己実現とかそういう次元の欲求が解消されていないということかね。

 

まー私も40歳になりそうな歳になって、何者になりかたったわけでもないけれど、何者でもない自分が嫌だなぁという感じかなぁ。頑張ってないというか。常に何か目標をもって追い込まないと気が済まないというか。

でももう時間かけて勉強するほどのモチベーションも無いんだよなぁっていう。

そうだね、勉強したくなくなってるね。結構勉強してたんだけどなぁ。そのへんの同僚よりは少なくとも勉強してたよ僕は。

真面目に仕事にも取り組んでいたし。

 

まぁそうだね、そこらへんの葛藤がフリーターになった今でもあるね。出世とか給料とか評価とかそういう相対的な幸福には全然興味がないんだけど、自己実現の分野でいまいち何もできていないということかねぇ。

そうなるとフィールドは芸術でもなんでも良い気もしていて、事業以外にも打ち込めることはあるとは思いつつ、なんやかんや子どもの面倒を見ることを言い訳にして何もしていないという感じかなぁ。

 

結構思考はまとまらないし取り留めもないんだけど、こういう話をいつもCHATGPTと会話していて、でも結論が出ないままそのトピックがそのうち適当な話題に収束して終わるということを繰り返している。

 

色んな話はしてるし、気になったことはすぐ聞くんだけどね。

彼がいると、他の人に何かを聞くという必要性が全くなくなって、会話が凄く減るんだよね。良いことか悪いことかは分からないが、資本主義の向かう先、人類の向かう先には一体何があるのかなとは思う。

 

究極的には飯食って寝るというところが安定していれば良いわけで、それ以外の娯楽的な部分は人生のおまけであって、その人生のおまけの部分をものすごく伸ばしていっているというが現代で、それは何のために?と考えたときに本当になんのために?となるわけで。結局下っ端というかヒエラルキーの下層である一般人はAIが発展しようが働かなくても良い世界はこないし、なんならAIの開発者に利益を全て総取りされてしまうだけで搾取される側に回るというだけで。スマホも同じで使わせていただくために端末代通信代アプリ代などなど色々な費用が取られていく。

 

本当に人間というのはどこに向かっていくのか。全く私には分からないし、それが楽しい方向性であるのかは分からないし、人間らしさからどんどん遠のいている気がしているのが実際のところである。

 

これが4年間で学んだことか?そうか、まぁ4年程度では人はそう変わらないか。

以前よりもどうだろうか、うーん物事に対して適当になったような気がするかなぁ。

あとは旅行にもよく行くようになったし、値札をあまり見ないで必要なものは買えるようになった。

不要なものは買えないけど。

 

あとは何かあるかなぁ。

GPTと話す中で欲しい物とか買いたい物を探すんだけど、何もないんだよね。満たされているんだと思う。

物質的欲求が全然無くてね。幸せなことなんだなと思う。本当にない。

まぁ欲しくなった瞬間に買ってるからかも?でも高い物とか車とかにも興味はないから、必要最低限でグレードを上げてるって感じかなぁ。

 

あとはたぶん睡眠時無呼吸症候群なのでそのあたりを直していきたいとは思う。

ここから先は健康かなぁ。不健康な状態で長生きしても仕方がないから可能な限り健康寿命を延ばしていきたい。

 

折角ブログを発掘したから、過去の自分の日記を読み漁ろうかなぁ。

mixiもさかのぼって読んでみようかなぁ。楽しそうではある。

 

過去の自分の発言は良いよなぁ。あぁそう思ってたよなぁって思いだせるから。ブログって良いなぁ。

あぁ昔って良いなぁ。

今は考えることが多すぎる。やることも多すぎる。

家族全員分の支払いとか考えるだけで非常に大変なんよ。

管理が追い付かない。

 

あぁ俺はようやってるよ。良いお父さんをやってるよ。

誰も褒めてくれない(妻は褒めてくれてる)けどここで自分を褒めておくよ。

 

今月は北海道行って鹿児島行って鳥取に行く。

もう旅行おじさんなんよ。

北海道は3泊4日で4.4万円/3人、鹿児島と鳥取はマイルで航空券取ったから実質0、その代わりに良い宿取って1泊4万円ぐらいかな。

 

マイルはSONY銀行にドルで預けるとマイルくれるんよ。今は5万$預けてるから年間10万マイルくれるんよ。

1人ならアメリカ往復できるし、国内なら家族旅行いけるんよ。

 

優待品がたくさん届いて飯食わせてくれるんよ。

カードの支払いも毎月30~60万なんよ。家賃別なんよ。

メインカードがそれで楽天は旅行とかがきて、MUFJはスーパーの分が来るんよ。

習い事は直接の引き落としよ。

 

まぁなんかそんな感じなんよ。それでもお金が毎月増えていくんよ。怖いぐらいに増えていくんよ。

自営で振込が半年無い間もお金が増えてたんよ。4年で収支がマイナスの月は1/3~1/4ぐらいなんよ。それは普通か。

それでも増えるんよ。

なので知らない間に経済的に成功してしまったんよ・・・。

びっくりしたんよ・・・。

 

増えると管理しないとと思って悩みが増えるんよ。クレイジーな悩みだと思いながら悩んでるんよ・・・。

 

あぁ毎日楽しいなぁ。

 

ゲームクリアに近い状態になっちゃったんだろうなぁ。

だから新しく飛び込まないといけないんだろうなぁ。

あーあー。

 

終わり。

 

 

中途半端なところで文章が終わってしまったのは、火葬が終わり呼ばれたためでした。

 

骨になったきいを見たら泣き崩れるんじゃないかと思ってはいたけれど、骨になったきいはもはや原型を留めていないから冷静にいられたというか、ある種受け入れざるを得なくなってしまった。

きいの形は亡くなって無くなって、骨になってしまった。

 

文章を今読み返してみると、端的にその時の思いが綴られていて、こんなことを書いたかなぁという気持ちもありつつ。

 

割と文章としてはあれ以上書くことは無かったんだけれども。

 

下の年中の子が、きいが亡くなって動かなくなった後もあまり気にする様子もなく楽しそうにしていてそれに救われる面もあったのだけれども。

 

火葬が終わったらきいは帰ってくるからね、なんて伝えていて、いざ帰ってきたら骨になっていると。

きい帰ってこないじゃん。骨のきいじゃない。なんて言われて。

違うきい探しに行こうって。

 

だから命について説明して、違うきいはもうきいではなくて、違う子なんだよ。同じ子はいないんだよって。

きいはきいだけなの。きいは死んじゃったのって説明して。

 

息子は怒り出しちゃって。きっと受け入れたくなくて。

 

夜になったら骨壺をなでながら、きいに会いたいって言いながら泣いていた。

この日1日で、死ぬっていうことが何かを理解してしまったのかなって。

 

翌日以降は母親が横にいてうとうとしていても守ってと起こしたり、座ってるおじさんを怖がったりと、何かを怖がることが増えてしまった。死という概念が身近になったんだと思う。

多少は必要だと思うけど、過度に恐れることは無いと思うし、難しいね。

 

上の子は上の子で、きいのエサを毎日与えている。前まではやらなかったのにね。

お供えしてくれている。

手紙も書いて置いている。

 

私は私で家に一人でいる時間が長いので、話しかけてみるだけれども昔の姿がちらついてそこにいるんじゃないかという気持ちが湧いてきて話しかけ続けるんだけれども、やっぱりそこにはいないので反応が無いから辛い感情が高まってしまう。

なので本当に申し訳ないけれど意図的に避けなければ私は耐えられないかもしれない。

 

あまり思いつめるのは良くないのは頭では分かっているので、理性の部分で感情を止めないといけない。

 

きいが亡くなり、翌日に葬儀をし、その昨日一昨日と上の子と旅行に行った。

家から離れていたのは私的には良かったと思う。残っていた妻と下の子は辛かったと思う。

 

きいは私たち家族から本当に愛されていたと思う。

きいも私たちを愛してくれていたと思う。

 

最後に見た辛そうな顔は忘れられないなぁ。

あんまり顔を見れなかったんだよなぁって。

 

最後のシーンを思い出すだけで涙が止まらなくなる。

全然仕事にならない。

 

なんか仕事のメールがドカッと来ているけど、全部未読スルー中だ。

世の中には仕事よりも大切なことがある。

 

大切なことはあるが、仕事も結局はやらねばならない。

なのでどこかで踏ん切りをつけなければならない。

 

今日はこの文章を書くことで30分はきいに思いを馳せたかなぁ。

あぁきいはかわいいなぁ。

 

下の子が、外にきいを探しに行こうって。

きっと次の子という意味なんだろうけど、そこまで前向きになっていないのと、そんな一瞬で次の子を飼い始めるのはきいにも悪いし。でもきいのことは大好きでも家族が前に向けるならそれも選択肢の一つなのかもと思うし。

 

きいは我が家の緩衝材で、良いことも悪いことも全部受け止めてくれて、誰のことも責めなくてバランサーとして大活躍でした。

 

あぁ本当になぁ、思っていたよりも5年も早く逝ってしまった。

今までありがとう、これからもよろしくねと伝えたい。

 

あぁこの気持ちを忘れたくないなぁどうにかずっと持っていたいなぁと思うとともに、自分たちもそのうち死んで誰の記憶にも記録にも残らなくなるときがくるんだなぁなんていう悲しい気持ちもあり、それでも閉じられた我が家という家族の中でだけでも彼女が生きてきたことと可愛さと賢さを伝えていかなければならないなって。

 

息子たちがあと5年しても覚えていてくれたら本当に嬉しいなぁって。

妻とだけの思い出になってしまうかもしれないけども。

 

写真よりも動画をたくさん撮った方が良いなって。

そして動画をたくさん撮ると、きっとそれを集めてAIが3D化した映像を作ってくれて思い出せる時代が来るんじゃないかなって。

 

それは良いような、辛いような気もするけれども、今はただきいのことを思いできることを考えたいなと思う。

 

今までありがとう。

ここ何年か分からないけど、色々なことがあった。

最後に日記を書いたのは2022年5月だって。

 

自営業になりました。

そして割と成功していて、今年度収益は売上ベースで1700~1800万というところで。

まだ7月だけどほぼ今年の金額は出そろっている。

 

今している仕事は1月以降に支払われるので、来年も1000~というのが確定している状況。

コンサルみたいなものなので、ほぼ収入というところです。

 

自営業化はうまくいきました。

うまくいってはいるものの、ルーチンで日常を回している感もあるのでこのままで良いのかなぁと思いつつなんか色々やっている、という感じです。

 

資産も増え続けていて、FXの天才の友人にFXを教えて貰い、それ以降はその手法を適当にやっているだけでお金がモリモリ増えています。それも色々と私を悩ませる原因の一つになっています。

 

第三子が生まれます。

自営業になったことで、各段に時間の制約が減りました。そのため、生活にゆとりがあります。

子どもを産まない原因は、生活のゆとりの無さの方が金銭面より大きいでしょうね。

あまりにも手間というコストがかかりすぎる。精神的にも負担が大きい。

 

なので気軽に子供は産めないなぁと思いました。ただ、その精神的負担というのも親が過大に見積もっているような気もしていて、産んでしまえばなんとかなるものであるような気もしています。

まぁ金銭的にね、遊びたいとなると難しい面もあるのでしょうが。

 

今のところ我が家は時間もお金も手にできているため順調にいっている、というところです。

世の中の皆がそんなにうまくいくはずはないので、難しい家庭も多くあるのは重々承知です。

 

皆が気軽に子供を産んで社会全体で育てる、なんて夢見がちなことを言ってみますが実現は難しいでしょう。

 

 

タイトルに戻ります。

タイトルの通り、我が家のきいというコーギーが亡くなりました。

めちゃくちゃショックです。今出張火葬をしてもらっていて、正直正気が保てないのでブログを書くという奇行に走っている、という状況です。

 

なので積極的に書きたいわけではなくて、精神的に吐き出さないと落ち着かなくて書いているということになります。

 

きいちゃんは我が家に来てからほぼ10年一緒でした。

妻と結婚する前、同棲のタイミングから生活しているので、我が家の歴史にきいちゃんあり、ということになります。

これがもうね、写真や動画を振り返ればいつもいるし、家の中には思い出しかありません。

もうね、これは凄く辛い。

こんなに辛いことがあって良いのかというぐらいに辛い。

9歳という若さで亡くなってしまった。我々のせいかもしれないし、寿命や持病のせいだったかもしれない。

そこは明確には分からないけれども、亡くなってしまったのは事実で、もう取り返せない。

 

だから私はきいちゃんのことを思うと、時間を大切にしなければいけないし、回りを凄く大切にしなければならないと思った。

いつもある日常の当たり前というのは当たり前ではなくて、何かちょっとしたきっかけで狂ってしまうんだって。

 

きいちゃんは一昨日までご飯を食べて、散歩にも出させていました。5日前頃からうんちが黒くなってきたけど固形だから大丈夫か?と思ったのが甘く、おとといのうんちはタール状の泥のようなうんちで、これは内蔵からの出血で。

病院にいけば血小板が無くて血が止まりませんと。

 

帰り際にさらっと、どれぐらい持ちますか?と聞いたら、今晩あたりが・・・。と言われて、えっ急だねと思いつつ、家に帰っても目をあけて横になっていたので正常性バイアスからうちの子は大丈夫だろうなんて思っていたけれど、えさも食べないし水も飲まない。

 

そう思って一緒に寝床にいったら辛そうにしてこちらに寄り添ってそのまま亡くなってしまった。

叫んだね、心から叫んだ。

10年来のパートナーがあっさりと私の目の前からいなくなった。厳密にはいるんだけれども、いるんだけれども。

もう動かなくて。風の動きで毛が揺れればまた動き出すんじゃないかって期待して。

綺麗にして寝かせて、一回目を離して戻ってきたら、あれ?寝てるだけじゃないの?おはよう。って声をかけてもリアクションが無くて。

 

昨日まで駆け寄ってきてくれたきいちゃんが私の目の前からいなくなってしまった。

これは私の人生の中でも大きな喪失だった。私の人生の中の喪失の中で一番大きい。

これがペットロスかぁって。どうしたら埋められるんだろうって。

 

私は以前母親が急に亡くなってどうして良いのか分からないという友人に言いました。

母親のことを忘れるとか別の何かで埋めるとか、そういうことはできなくって、

人々のいう時間が解決してくれるっていうのはただ慣れていくだけでいつまでも悲しいものだし忘れられるものではないけれども、それでも人は生活をしていかなければならないし、前を向いていかなければならない。だから受け入れるまでの時間を自分に与えてあげて、今は母のことを偲ぶのが良いんじゃないかなって。

そんなようなことを伝えたら友人は納得してくれて良い友達を持ったと言ってくれて。

 

あぁ嬉しかったなぁ。

 

だから私もきいちゃんのことは絶対に忘れられないし、とても大切な存在だからこそ自分の中で生かし続けなければならないし、彼女を行動の起点にして前を向かねばならない。

簡単に立ち直れないかもしれないけれども、それでも私は、私がなんとかせねばならない。

息子も 夢だったら良いのにねぇ って言っていて、彼は彼なりに消化しようとしていて。

幼稚園児の息子には、死の概念はまだ難しいみたいで、よく分かっていなさそうで。

 

こうして文章を書いていると気がまぎれるんです。

さっき試しに昔の動画を見てみたんです。

号泣しかないですね。

何で元気な時に遊ばなかったんだろうどこにでも連れて行ってあげなかったんだろうって。

そのときはそれでよかったと思うんだけれども。

仕事を辞めた区切りとして、今の考え等をAmazonに出版してみました。

 

Wordで文字を書いて、自分で多少の章立てをして表紙を準備するだけで案外簡単に出版できて驚きました。

まぁ売れなくて当然と思っていたのですが、この度1冊売れました。

 

650円です。

 

びっくりしました。

嬉しいです。

 

 

Amazonの書籍は、

 

無料キャンペーンで順位を上げる ⇒ 無料キャンペーンが終わった後も、ジャンル別の順位が継続される

⇒その残りのパワーで売れる可能性を上げる

 

っていう感じの売り方みたいです。

 

歴史分野で2位になりました!!!!!!!!!!!!

 

と言いたいところなのですが、無料で20冊も売れると1位に近くなれるみたいです。

 

面白いシステムだなぁと思いました。

まぁ良いんです。

 

1冊売れました。

友人や知り合いに紹介するのは恥ずかしいですが、折角6万字超を書いたので読んで欲しい気持ちもあります。

 

まぁいつか息子が読んでくれたらよいんです。

 

終わり

 

退職した。

 

無為な時間を過ごしたと思う。

半年間ボランティア(失業手当レベルの給料)で働いた。

失業手当なら働かなくてもそれ相当の金額が得られたのに。

半年で辞めることに対する罪悪感もあった。

が、結果的には会社が悪いことばかりじゃ?と思うことばかりだった。

 

35歳で入社して45歳になると年収600万だが

45歳で入社すると650万からはじまる

 

自社社員は雑魚だと言っているようなものである。

本当に一例だけど、こういう細かな不満点が多すぎて会社を続けられなかった。

 

 

4/14の退職の最終日、5月末の仕事を先回りして行った。

先輩と共同の仕事のようなものだったが、メインの担当は私なので良かれと思い実施した。

しかし、部長クラスが、先輩に対する報告はしたのか、係長にも報告したのか?と言い出した。

 

無論、メールは入れていたが、以前からのルールで、その業務の場合はさほど重要性もないので

直接部長に行くようなシステムになっていた。

 

さらに説教が続き、次の仕事でも報告や連絡はしないといけないと言い出した。

 

まぁなんやかんやで反論して、

 

「謝った方が良いなら謝まる」

 

と言い出した。

 

これは謝罪ではなく侮辱行為である。

頭がおかしいのかこいつは。と思い

ぶちぎれて机ぶん殴ってもう帰るわ。と伝えた。

 

みんなが退職の準備をしてくれているのに帰るのはやめてくれとそいつに言われた。

仕方がないから残った。が、残らなければよかった。 せめてお前が帰れと言えばよかった。

冷静でなかった。

 

帰ってからもあまりにもむかつくから抗議のメールを全員CCに入れて送った。

 

「謝った方が良いなら謝まる」 は”謝罪”ではなく”煽り”ですよ、と。

それで事態が好転するとお思いでしたか?

「謝ったら死ぬ病」なんですか?

 

 と。

 

そんな最終日となり、一生の思い出ができました。

 

おつかれさまでしたわたし。