長年のヤブツバキに対するモヤモヤが解消しました
狭山丘陵 八国山 下宅部遺跡から
ヤブツバキの種1点、ヤブツバキの杭4点が出土していた
ということが解りました
狭山丘陵には縄文時代からヤブツバキがあったのです
長年、私を応援して下さった
あなた様
あなた様
本当にありがとうございました
おかげさまで
スッキリ
ハッキリ
私は幸せです
天にも昇る気分です
自転車30~40分範囲の市街地の中に僅かに残された河畔林などに
野性のヤブツバキが育成していないか半信半疑なまま探し歩いた日々が懐かしい
昨日、問い合わせた時点では
「ヤブツバキの出土はない。利用もない」とのお話しで
埼玉県の貝塚からヤブツバキの実が出土されたという話も
「聞いたことがない」とのお答えでした
狭山丘陵は「首都圏の緑の孤島」と言われています
下宅部遺跡を復元した時の植樹図です
ずいぶんヤブツバキが植えられています
ですが
縄文人が森をどのように利用したのか?ここまでわかった!縄文人の植物利用
というリストにヤブツバキは載っていませんでした
この矛盾についても
「ナツツバキは植木屋が植えたがヤブツバキはない」との答えでした
八国山北側は埼玉県所沢市で宅地化され
八国山南側は東京都立公園となりました
八国山は東京都東村山市の自然の最後の砦で
近くの市民らがこれ以上の開発を阻止するべく立ち上がり開発を食い止めたそうです
とは言え、八国山の南側、東京都側も
小さい頃、父に連れられ兄と泥沼でザリガニ釣りをした記憶があるのですが
(正解には私は泥沼には入らず遠巻きにうろうろしていたのですが)
その森や泥沼はとこだかよく分からないほど開発されています
東村山市ふるさと歴史館の方にああも断言されてもモヤモヤしていた私は
ヤブツバキの実が出土されたというネット情報がある
埼玉県さいたま市立岩槻区の郷土資料館に問い合わせてみました
「ヤブツバキの実の出土は古い時代の発掘調査のためはっきりしない
昭和15年の東大人類学教室による発掘調査で
お茶、ソバ、ゴマ、などと出土した
が
お茶は縄文時代にはなかったと考えられていて
ヤブツバキの実は確かに出土したがそれが縄文時代のものかははっきりしない
それでも昭和35-6年の発表にはヤブツバキの記載はある
しかし古い時代の発掘調査なのでやはりはっきりはしない」
とても親切に丁寧に分かりやすく熱心に説明して下さったので
この方ならと
岩槻に問い合わせまでした経緯をお話しすると
「今現在、縄文時代の植物利用は非常に詳しく分かってきています
ヤブツバキが岩槻や東京多摩地区に自生していたかどうかは私には分かりませんが
調査する方法はあります
例えば、ちょっと待って下さい~ここにある資料を見てみますね
鳥取の発掘調査では土を振り分け花粉を取り出し調査・・
あ~ありますよヤブツバキヤブツバキの花粉が確認されています」
と
「でも西日本はもともとヤブツバキの自生が内陸まで確認されていて
縄文時代から材として利用されていますから出土しても当たり前で
狭山丘陵にヤブツバキが自生していたのに
縄文人が利用していないというのは不自然だから
縄文時代の狭山丘陵にはヤブツバキはなかった可能性が高いのでは?
岩槻は縄文時代に海が侵入していたからヤブツバキの自生があった
狭山丘陵に海は侵入していなかったからヤブツバキはなかったのでは?
と私が言うと
さらに必死に熱心に私に解るように食い下がり
「いえいえ発掘調査は本当に進歩していて
東村山下宅部遺跡だって花粉調査を行っているはずです
東村山ふるさと歴史館には縄文時代の植物利用に詳しい○○さんという方がいます」
あ、私、その方ときのうお話ししました・・・
わかりましたもう一度○○さんに聞いてみます
と言うと
「私がわかるところまで調べてみましょうか?
どこまでわかるかわかりませんが調べて連絡いたします」
と、調べて、本当に連絡を下さいました
熱心で親切でまさかの展開に本当に驚きました
すばらしい人物に「岩槻」で出会いました
その探求心にも感動です
「岩槻」ニュースか何かで聞いたことはありましたが
ピンと来ないので埼玉でも奥のほうだと思っていましたが
なんと、さいたま市
私は一年間さいたま市の浦和区の社宅に住んでいました(笑)
岩槻区はわかりませんが
浦和区は文教地区で文化レベルが非常に高い地域です
官僚官舎や一流企業社宅なども多く住民がハイレベルなのです
東京の北多摩なんかとは違います
調べて下さったのは埼玉県川口市「赤山陣屋遺跡」
ヤブツバキの木が6000本発掘された
ということでした
これはヤブツバキが自生していたということです
岩槻(さいたま市)と川口市はすぐ近くですから
岩槻のヤブツバキの実の出土も真実味が増しました
ここまで分かったので
「ヤブツバキはない」とキッパリ断言した東村山ふるさと歴史館に
もう一度、問い合わせをする材料
「岩槻のヤブツバキの実」「川口のヤブツバキの木」ができました
ありがとうございました
東村山ふるさと歴史館の○○さんに
調査は古いが岩槻からヤブツバキの実が出土したこと
岩槻郷土資料館の方が川口からヤブツバキの木が出土されたことを調べて下さったことを話し
「東村山ふるさと歴史館発行の縄文時代の植物利用の有料冊子の
下宅部遺跡復元図にヤブツバキの記載がある」と再び問うと
「ちょっと確認します。確認して連絡します」
ということになったのでした
岩槻の方が「土をふるい分け花粉を取り出し調べる」
という調査があることを教えて下さったこと
それを下宅部遺跡でも行っているはずだと言われたことも伝えると
「下宅部遺跡でも行っています」とのお返事・・
縄文時代の植物利用について非常に詳しく調査され、特別展もされた方なので
縄文時代の植物には自信がありついつい記憶に頼ってお返事をされたのでしょう・・
ご本人もそのように謝っておられましたし
お礼も言われました
お礼は岩槻郷土資料館の方に言ってほしいですが
ツバキの種は1つ、ツバキの杭は4つと少なかったため
展示や資料には使われなかったのでしょう
だから忘れてしまったのでしょう
今度は八国山にヤブツバキを探しに行きます