「越後三面山人記
マタギの自然観に習う」
田口洋美

ようやく巡り会えました

ダム建設に伴い42戸全戸が

家を焼き山を下りたという

マタギ集落があった

そんなことがあった

と、最初に知ったのは

この

三面(みおもて)の

山人(マタギ)集落が最初でした

もちろん

ネット検索による偶然の出会いによって



そもそもは

山に咲くエゾアジサイに会いたくて

北関東~北信州に出掛け

山を越えて新潟県にも出掛け

ついでに

新潟名物へぎそばを食べてみようと

越後湯沢の人気そば店に入り

一時間半以上の行列の待ち時間に

待合室に置かれていた

数ある山関連本の中から

「山怪」田中康弘という

山人から聞き取った怪談話を読み

マタギや各地の猟師や

山で暮らす人々から話を聞き取り

それを本にまとめた

民俗学的な本

ありのままの事実

客観的な現地報告

生々しい現地記録

そんな本があると知り

まずは田中康弘氏の

「マタギ矛盾なき労働と食文化」

秋田 阿仁地区の

熊を撃ち、川魚を捕り

山菜やキノコを捕り

江戸時代の大飢饉にも

餓死者を出さなかった

阿仁マタギの猟や生活を記録した

本から入り

Amazonで紹介された関連本、類似本から

効率を考えて

同図書館所蔵の本から次々に借りて読み

ダム建設により湖底に沈んだという

山人(マタギ)集落

福島県南会津郡只見町「田子倉ダム」

新潟県魚沼市湯之谷「奥只見ダム」

の本を読み

紅葉シーズンラストに

ギリギリで間に合い

雨と濃霧の奥只見湖を訪れ

奥只見の山人が愛した

豊かな原生林の風景と

日本最大級の貯水量を誇る奥只見ダムと

「奥只見電力館」にて

ダム湖に沈んだという

山人(マタギ)集落の写真の数々を見

満を持して

「越後三面山人記」
マタギの自然観に習う
田口洋美

を、読む時がやってきました

現役マタギがいるという

長野県栄村 秋山郷を知り

秋山郷や草津温泉を

訪ねることになったのも

田口洋美氏の研究論文を読んだからで

田中洋美氏は1957年生

民俗学者で狩猟文化研究者

狩猟文化研究所代表

「ブナ林と狩人の会」マタギサミットの

発起人で主任幹事

東北芸術工科大学
芸術学部歴史遺産学科
東北文化研究センター所長(教授)

狩猟文化の研究者です

「越後三面山人記
マタギの自然観に習う」

の表紙裏には

新潟県村上市松山三面区長 小池善茂の

《春はまんさく、しゃくなげ、こぶし、
山にぜんまい、野にわらび‥》
七年前、ダム建設のため
止むなく三面川河口に移り住むまで、
何かにつけ口ずさんできた
三面音頭の一節です。
今では町での生活にも慣れてきましたが、
年を追うごとにいやがおうでも
山での生活が脳裏を駆け巡り
仕方ありません。
移転前、田口洋美さんが
精力的に聞き書きされ
まとめられた本書を読むと
当時の山での生活が
昨日のことのように思い浮かびます。
忘れ去られようとしている
三面マタギをはじめ、
幾百年と祖先から受け継いできた
様々な山での生活が、
正しく生き生きと記されています。
是非とも多くの方々に一頁一頁御覧戴き、
後世にお伝え戴きたい気持ちで一杯です

という想いが綴られ

切なくなります

三面は

1985年に閉村しました

1969年

ダム建設に伴う全戸水没

移転補償問題が起こり

16年の歳月が流れ

400年とも800年とも言われる

歴史の幕が下ろされ

三面の42戸の家々は

故郷の家を焼き山を下りたといいます

これまで

ダム建設のため犠牲になった山間集落は

何百という数におよぶといいます

私たち平野部に住むものの暮らしは

数多くの山村の犠牲の上にあるのでした

その

私たち平野部の暮らしは

それほどの犠牲を強いるほどの暮らし

なのでしょうか‥



田口洋美氏はあとがきに

想いを寄せています

本当に、そうですね

さっき借りてきたばかりで

まだ読んでいませんが

小池善茂氏と田口洋美氏の想いと

表紙の山人の後ろ姿と山々の写真だけで

胸がいっぱいになってしまいました