キリスト教的な見地から神を見ることについての欠点 | なおひろのブログ

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真の母・韓鶴子総裁を愛しています。
(。+・`ω・´)シャキーン☆

性のバランスを回復し、
神を天の父であり天の母として
理解する必要性

文 誉進(Ye-Jin Moon)


2013 年1月7日に、文鮮明師の妻であり、世界的な 統一運動の現在の指導者である韓鶴
子(Hak Ja Han Moon)女史は実に重大な、そして歴史的な発表をしました: その日をもって
我々統一運動の者たちはすべて、神を天の父ではなく‘天の母’(Heavenly Parent)と呼び
なさい、と(1)。

天の父母という言葉は、神が天の父であるのと同時に、等しく天の母であることを示しています、なぜなら韓国語で‘父母’という単語は父親と母親の両方を意味するからです(2)。

今日までの運動において、神を天の父として、男性として表すのが習慣的でした。それは、主として神がいつも男性の言葉で表現されていた、旧約と新約時代から来る影響でした。 統一神学の主要なテキストの1つである、『原理講論』(英語版 Exposition of the Divine Principle,
EDP)は、主としてクリスチャン読者のために書かれたことを認めています(3)。

それはユダヤ教とイスラム教も同様ですが、キリスト教的な見地から神を見ることについての欠点の1つが、神のイメージが天の父に限定されているということです。



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