今日は、先日の出張先シンガポールでの体験について。

 

シンガポールのバスの中で隣席の中国系男性に英語で声を掛けられました。年齢は軽く70歳超え。もしかしたら、80歳前後だったかも。

 

「このバスはオーチッドに行くか?」

 

当方「オーチッド?ああ、Orchardですか?行きますよ。ほら、あと4つです」

 

シンガポールの英語は様々ですが、この老人の場合は中国語発音で英語のリズムです。

 

男性「私には(スマホの)スクリーンはよく見えんよ。んん、お前は日本人か?」

 

当方「そうですよ」

 

どうやら、日本語が読めるようです。

 

男性「お前らは古い文化を大事にする国だから英語も話せんし、なにもかも古いシステムのままだ。しかし、俺たちシンガポール人は日帝が侵略してくる以前からオープンな世界を展開し、何か国語も話せるし、社会もどんどん変わって行く…」

 

ここまで言われると、この先はお国自慢か、日本批判へ向かうことが分かってくるので、当方が言葉を継ぎました。

 

当方「さっきからあんたとBritish Englishで喋っている俺は日本人だし、世界中で生活し、何カ国も回って来た人間だ。あんたは何なんだ? シンガポールを変えた張本人だとでも言うのか?日本のその古いシステムやらを確かめて来たのか? シンガポールは公民権が発達しているから、ペラナカンの国として機能しているんじゃないのか? あんたみたいな時代遅れの意見を言う人間がこの国のオープンソサエティを支えて来たとは信じがたいね」

 

しかし、ここで時間切れ。男性は憮然とした表情のままオーチッド停留所で降りて、その後当方には見向きもしませんでした。

 

まさか、シンガポールで人生の先輩とも言うべき年齢の人からケンカを売られるとは思いもよりませんでした。

 

韓国では似たような議論になることは年に数回あります。

 

英国でも二次大戦の恨み節を聞かされたことは90年代の初めまでに5,6回あります。

 

アメリカはもちろん、オーストラリアやニュージーランドでもこの種の経験はあります。

 

すべて第二次大戦と太平洋戦争に絡んでいます。

 

当方のこの経験を笑い話として、他のシンガポール人数名に伝えると、「今どきそんな老人がいるんだなあ」と、とても驚いていました。

 

そして、さらに意外だったのは、同じ趣旨の意見を言う人が、時間と場所を違えていながら3名もいたことです。3名の話を要約すると以下のようになります。

 

「他民族が狭い国の中で共存共栄している社会なので、シンガポール人なら、過去のことは今後の関係に活かすことが大事だと考えるよ。国をまとめるために政府が決めたことに皆が従うのさ。ただし、守っていてもその老人のように納得していない人もいるってことさ。それが近代国家の在り方なんだろうね。その点で、お宅の隣の国では政府と国民との双方が国際社会に対しても、国内政治に対してもlegitimacyを理解してないようだけど、それじゃ何の解決にもならないよね。自分の感情のまま相手を追い詰めているだけだ。だけど、むしろ、課題のソリューションを日本政府からあの国の政府ではなく、あの国の国民に提示するべきではないのかな? そういう試みをしている?」

 

しているのかな?

 

当稿には在韓日本大使館の読者も多い筈ですが…。

 

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