昨日は、日本が敗けて残念過ぎて、

 

涙が出て来た。

 

フットボールを観て涙が出るなど、

 

アテクシには前代未聞のことだ。

 

それだけ、サムライジャパンの気持ちが伝わってきたのだと思う。

 

「優勝する」という言葉はかなりの現実感を伴っていた。

 

それは願望でもなければ、ビッグマウスでもないと思われた。

 

矜持、という言葉に表されるだろうか。

 

自分の誇りや立場を保ち、どんな困難にも屈しないという強い決意を

 

抱いた森保カントクの心意気を感じていたのだろうと思う。

 

そして、選手たちもその心意気をしっかりと

 

共有していることが伝わっていた。

 

それだけに、

 

あと一歩及ばなかったことが残念だった。

 

同時に複合的な感情が湧いて、

 

涙があふれたのだと思う。

 

感情の正体は、

 

あまりにも残酷で美しい不条理が、そのひとつ。

 

なぜ、これだけの覚悟を決した闘いに

 

勝敗をつけなければならないのか。

 

【できれば、こんな決勝戦を観たかったな】

 

公正なプレーや努力が報われない虚しさである。

 

そして、

 

損得勘定や効率性を捨てて、泥臭く、

 

目標に身を捧げた極限の純粋さが

 

敗戦によって破壊された。

 

その喪失感が、ふたつめ。

 

さらに、みっつめは、

 

目標達成の重圧感からの解放とは

 

相反する悲しみと安堵感。

 

その3つ(以上)の交錯した感情が

 

頭の中が混乱して涙するのは、

 

前期高齢者のおっさん、いや、爺さんかな。

今は、その感情を味わうべきだと思う。

 

前向きになるのは、その感情を消化してからで良いと思う。