村木春と弟の税理士の勝は、ITコーディネータ

登米大吉の戦略に興味深く

聞いていた。

百合枝も熱心に簿記講座用の帳簿に一字一句書きとめようとしていた。

彦根城に突き刺さるように降っていた雨も止み。

曇り空の合間から光が差し込んでいた。

屋号の書いてあるまえかけを触りながら、

登米大吉はゆっくりと話し始めた。

「私は、彦根で生まれ、彦根で育った。」

「彦根は人口10万都市だ。ここ十年人口は変わっていない。」

「東京や大阪に比べれば駅前のビル群を見るまでもなく。

琵琶湖のある自然豊かな田舎かだ。」

「しかし、滋賀県には大学は多い。

ただ、彦根にはびわこ大学があるが、残念だが、

卒業生のほとんどは東京や大阪の大企業に就職している。」

「私もびわこ大学で簿記教室経営者の村木春と

加古伊優作と一緒にびわこ大学で学んだ。」

「村木は銀行に就職し、加古伊優作は一流企業に就職した。」

「先祖代々の老舗の店を守るために

就職活動をせずに親父の背中を見ながら手伝った。」

「果物の手触り、触る、なぶるのが好きだった。天職だと思った。」

「親の面倒を看ずに、簡単に自分の生まれ故郷を捨てるを許せなかった。」

登米 大吉は、22歳の学生時代に結婚をし、店をしながら大学に通った。

小学生になる子供もいる。

両親はなくしたが、

妻の両親と一緒に子供の起業教育にもなるという思いで

店舗付住宅を新築し住んでいた。

登米 大吉はまいかけのほこりを払いながら、

握りこぶしを作りながら語り始めた。

「子供にも商売の面白さを実感してもらいたかった。

店舗付住宅が子供の起業家教育にもなると思った。」

「私も父親が母親と話す経営の話を聞きながら育ったからだ。」

「同じ商売を長くしていくうちに。」

「自分の気持ちのなかで何か物足りなさを感じていた。」

「俺は個人商店で、おじいちゃんや

おばあちゃんを相手に毎日、一円単位の

儲けばかりを気にしていた。ちっぽけな商売だと思ってしまった。」

「日々の楽しみは毎日書く、ブログぐらいだった。」

「最初はブログで自分の人生が少し変わるかもしれないと思っていた。」

「しかし、ブログでは人生は切り開けないと感じ始めたころだった。」

「偶然、3年ほど前に京都の三条大橋の上で

加古伊優作に会ったときに」

加古伊優作から村木の話を聞いた。

村木は世界中を飛び回り、年収も給与所得だけでも

1,000万を超えたと聞いた。

そして、銀行の合併を契機に退職し、専門学校で何百人の

前で教鞭をとっていた。

講師で勤めていたのも羨ましかった。」

加古伊優作の一言が登米大吉の胸に突き刺さった。

「人生、一度しかないんや。」

「男なら大きなビジネスせんとな。

俺は何百億という金を店舗出展のために動かしている。」

「お前は今、何してる。」

「毎日、ブログを書いてるとしか言えなかった。」

加古伊優作が高級そうなネクタイをゆるめなら、

「ブログ?」

「そんなもん毎日、書いて金になるんか。暇やな~。」

「加古伊優作の一言が私の人生を変えた。」

考え深げに登米大吉は語った。

「俺も何かしないといけないと思った。老舗の店も毎年、バブル経済崩壊後は

毎年、売り上げがジリ貧になっていたのも動機になった。」

「大学で学んで興味のあった情報系の勉強をし始めよう思った。」

「同じ勉強をするのであれば、資格を取ろうと思い。

「村木春に相談した。村木にITコーディネータという経営者と情報技術を

結びつけるコンサルタント的な資格があることを教えてもらった。」

「ITコーディネータの研修や実務経験、試験に合格をし、

合格証書が届いたときは本当に嬉しかった。」

「親父のころの商売は、赤のマジックで

果物の入ったダンボールを切り取って

本日の特売品と書いていた。昨日はバナナ、本日はブドウ、

明日はメロンという風に。」

その日の朝に卸市場に通い、

一番安く買えた原価が安い商品をたくさん買って来ていた。」

「バナナ以外の特にメロンは原価を低く購入できたので、

粗利(売上総利益)は高く儲かった。」

「バナナは売値は安く、腐りやすく、

一日で黒くなる。売っても売っても儲からない。

それに対してメロンは、値段が高くてもイメージで売れる。」

ここで授業中のため百合枝が簿記的な解説を入れる。

「総売上(総収益)から売れた原価、

すなわち売上原価を控除したのが、売上総利益です。

別名、粗利益ともいいます。商品販売時点の付加価値を示しています。

給与手当や広告宣伝費などの販売費及び一般管理費を控除し、

営業利益を出します。

この粗利益が高いほど企業は儲かります。」

登米大吉はうなづきながら話を続けた。

「客足が途絶えた午後6時を過ぎると

営業活動を兼ねて得意先を御用聞きをしていた。」

「毎年、売り上げは減ったがなんとかなっていた。

しかし、一流企業が店の前に大型の駐車場を

つくり、スーパーを造るという計画を聞いたとき、頭が真っ白になった。」

「このままでは、終わりたくなかったので

ITコーディネータ事務所の看板を二階の階段入り口に掲げ、

事務所を開設し、自分自身の人生に勝負を賭けた。」

「まず最初に、儲かる仕組みを構築するためにSWOT分析からはじめた。」

「自分の店の強み、弱みの内部環境を分析をした。

老舗にあぐらをかいて何もしていなかった。

この老舗は、自分の店の弱みだと気づいた。

この気づきが変わる事のきっかけとなった。

逆に外部環境の大型スーパーの出展は脅威ではなく機会、チャンスだと感じた。」

「これらを元に経営戦略が練られた。」

「この戦略を、名づけてITコーディネータ大吉のメロン戦略。」