やっぱり言語が思考を支配する! | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます

私は「サピア=ウォーフの仮説」を信奉しています。


今回、五人の会議に出ました。

向こう側の会社が
中国人三人・・・全員中国語と英語を話します

こちらは
私と張さん
私と張さんは日本語で話します
私と相手側は英語です
張さんと相手側は中国語です
相手側同士は中国語で話します


図式化するとこうです
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似てないのは置いといて(^^;


このときつくづく思ったのは
張さんが日本語で私と話すときと
中国語で相手と話すときと

まったく別人になる

ということです。
※別人に見える、のではなく、なるのです


このとき、全員の共通語である中国語か英語で話せば
通訳はいりませんが
異文化との会議とはそういうものではありません

中国語には中国語の会話方法がある
英語では英語の会話方法がある


相手の文化圏に入ったら
相手の文化圏を理解していてしかも
信頼できるビジネスパーソンに入ってもらう事は、
国際ビジネスの鉄則です
※言葉が喋れる事と交渉できる事は別次元のことです


しかも、日本語が分かるのは二人だけ
というのは
交渉の途中で内緒話をするのに便利です




話しを戻しますと、

中国語を話しているときの張さんは

声のピッチも上がるし
喋る速度も倍速になるし
声の大きさも倍くらいになるし
まるで怒っているかのような
日本人の女性が絶対にしないような話し方になります



しかも、極めて論理的です


日本人の女性は
なにを考えているのかはっきりしないことが
非常に多い

質問しても回答が無い

それはバカだからではなく
普段から「意見を求められる事が日本では無い」ということもあるが
日本語の仕組みの所為であるとつくづく思います

中国語や英語は
必ず「主語」がある

いつも「わたしは」「わたしは」です
何かひとこと言うたびに
「わたしはどうなんだ」
という事を考えないとならないのです


質問されるときもそうです

むかし、米軍の友達が
娘の写真を持っているというので
見せてくれようとしたことがあります

日本語だとこう言います
「娘の写真、見せようか?」


英語だとこう言います
「Do you want to see my daughter's photo?」
(そのとき初めて知ったので戸惑った思い出がある)

見せようか、ではなくて
見たいか?

なのです。


常に「自分はどうなのか」を
一日中問いつめられるのです。


ドイツ人と結婚したときもそうだった。

一日中質問される。

「座ったら黙ってお茶」
は、出てこない。

「コーヒーにしますか、紅茶が良いですか、それとも何か飲みたいものはありますか?」
(←リンク)





私は改めて、「サピア=ウォーフの仮説」を信奉しています。










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