余談になるが、アウトバーンは車格によるヒエラルキーがある場所だという
日本人による見方を読んだ事があるが
(つまりベンツやポルシェやアウディなどの高価で高性能の車が追い越し車線を走り、
安い大衆車が走行車線を肩身を狭くしながら走っているという見方)
実際はそうでもない。
私がもっとも多く追い越されたのはゴルフである。
(ゴルフはVWの中で最も高速な車なのである。
因みに私は230 キロで走っていてゴルフに追い越された。)
日本ではスピード=危険=悪という単純図式である。
世の中にはまったく違う価値観で成立している場所があるという事を日本人に知らせるには、アウト
バーンは良い見本である。
そういう話をすると、
「そんなにしてまで急ぐ必要があるのか」と言う日本人が必ずいる。
「危険と引き換えの自由などいらない」というやっかみも聞こえる。
それを聞くと、ひと昔日本で是非が話題になった
「駅のエスカレータでの追い越し」の事を思い出す。
エスカレータの片側を、
急ぐ人の為に空けるのが是か否か、というあの話である。
子供を持つ母親の
「子供にぶつかりそうになって急いで行く人がいた。
わずかの時間の為にそのような危ない事をしないで欲しい」
という善意の投書を新聞で読んだ事もあった。
しかし、今では誰も駅のエスカレータで追い越しするのをやめようと言う人はいない。
何故か?
急ぐ人には先に行ってもらった方が改札口が混まないという事に気がついたからだ。
しかし日本で問題なのは、
それを子供がいても気をつけずに乱暴な行動を取る人や、
駅だけで無くデパートやスーパーのエスカレータでまで急ごうとする人がいることだ。
急ぐ車には先に行ってもらう。
全体の流れも良くなる。
ドライバーの高い安全意識と道路交通システムと車の安全性能がそれを支える。
何も早く行きたい人の足を引っ張る必要は無い。
アウトバーンは国際結婚と関係無さそうなのにここまで長々と書いたのは、
実は「個人」というものの成り立ちが日本とドイツではおおもとから違うのでは無いかという事をこの頃考え始めたからである。
しかし、この話題を進めるにはどうしても「キリスト教」と「ギリシャ哲学」に触れないとならないことも分かってきた。
それは寄り道が過ぎるので、ここでひとまず置く事にする。
【続く】