12. 家内は本物のドイツ人になった/ 住んでいる場所の文化で自己表現が変わるか | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます

■ 住んでいる場所の文化で自己表現が変わるか


言語によって考え方が変わるか、という話題は既に書いた。
「言語について思うこと/バイリンガルの定義」(←リンク)

『その言語が話される社会の枠組みの中での思考方法によって自分が考え話す内容に自分自身が違和感を持たなくなったとき』をその言語を本当に身につけた時、とするならば、
住んでいる場所の文化で自己表現が変わる、
と言うことも当然あるだろう。


ドイツに来てから家内のビヘイビアがすっかりドイツ人になった。

ドイツに来てから家内はもっぱらドイツ語の生活に戻った。
息子と話す言葉もドイツ語である。

次第に、家内の言動から次のようなことが感じられるようになった。
・ 物事は正確な言葉で伝えなければならない
・ 論理的におかしい事を言うのは許されない
・ 曖昧な表現は許されない
・ 色物と白物を一緒に洗濯機に入れてはいけないと言ったのにどうしてそれが守れないのかと詰問する
・ 何にでも理由を求める(物事にはすべて理由があると考えている)
・ 説明できないのはものを考えていないか頭が悪いかどちらかだ


たしかにドイツ語はなんでも正確に言う言語だが、
正確な理由の無い事だってあるのではないか?と思う。
何でも正確に論理的に説明する言語を持っていると、考え方もそうなるのか、と思ったりする。

周囲のドイツ人はほとんどみんなそのように見える。

私も次第にそのような考え方に馴染んで行くような気がする。



【続く】


タバコは高かった 1999年当時既に5DM=300円(吸わないけど)
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