10.洗礼/ 宗教観 | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます

■ 宗教観

私には特に信仰する宗教というものはない。

日本人だから宗教心がない、という訳でもないと思う。

これも遺伝子にそう書いてあるはずのないことだ。
残念なことだが、
宗教の意味と価値を教わる機会に恵まれなかった、
という事だと思う。


家内は

「私達の子供はアイデンティティの事でもきっと苦労するだろうし、
 両親の国同士の異なる価値の衝突にもさらされるだろう。
 そういうとき、
 彼には普遍の価値を持つ拠り所となるものがきっと必要だと思う。
 あなたはどう思うか。」


と聞いてきた。


心配している内容は私には既に十分理解できる。

親としての私達がいなくなっても、
彼を支えてくれる何かがきっと必要だろう。


家内はクリスチャンだった。

家内は
「あなたの同意を得て息子に洗礼を受けさせたい」
と言った。


私はクリスチャンではない。
だから、洗礼がどういう事を意味するのかをきちんと理解したいと思った。

献児式というのを友人がしたので見学した。
牧師さんの解説も聞いた。
聖書も関係する個所を読んだ。
そうしたら献児とは生贄と同じようなことを神が要求していると聖書に書いてある。


そのことを人に聞くと

「それは昔の時代背景でそういう表現になっているだけで、
 実際に子供の命を引き換えにできるかと問われる訳ではない」


と言うが、
しかし、

神に子供を捧げられるかと聞かれればそういう気持ちにはなれない

牧師さんにも話を聴いたりしたが、
そうそう私だけの為に時間がとれるわけでもない。

分からないまま「ああ、いいよ」とは家内に言いたくなかった。

そのうえ、
私は長男であり、
息子は当然長男である。
私の父親も長男である。

本家の後継ぎがキリスト教徒になったら、
昔なら一大事だろう。


息子を受洗させる相談を自分の親にするにも、
説明する自分がそれを理解していないと話にもならない。



私は宗教に疎かったのでこれが初めての宗教問題と言えば問題だったが
「異教徒との結婚」
は想像できない難しさがあるのかも知れない。


家内の妹の恋人はユダヤ教徒で、
異教徒の嫁は認められないようでなかなか結婚できず、
つらい恋らしい。

それに妹はドイツ人。ダブルの困難。
(ドイツ人とユダヤ人だから)


当人たちは愛があるからだいじょうぶ、
と言っているが、
彼女達のようにお互いに異なる価値観、
ものさし、
をいつも受容し認め合えれば良いが、
実際の利害や自分の信念にかかわることになると難しいのではないかという気がする。

宗教が多くの戦争の原因にもなっている。

洗礼はそんなに大問題ではないと分かってきたが、
宗教の違いでもっと大きな悩みを持つ人もいるかもしれないんだなと思ったことだった。


【続く】



昨日は聖夜
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