日本人は公共の場で、つまり飲み屋でも屋外の道路や駅などでも
平気で酔態を社会に晒している事をしばしば外国人に不思議がられる。
『普段は理知的で、分別があり礼儀正しい日本人のビジネスマンが何故、
夜になると人前であのような恥ずかしい姿(嘔吐等)を公衆の面前で
さらしてしまうのですか?
アメリカではホワイトカラー(オフィスで働く人々)は公衆の面前では酔っ払いません。
家の中でさえ、めったに酔うまで飲みません。』
などと言われる。
また、
「女性が人前で酔っ払うのも西洋では有り得ない」
ともよく聞く。
確かに酔っ払いはみっともない。しかし、なぜ平気で人前で酔っ払うのか。
それを、私はたまたま日本の古代史の「祭り」について調べていて次のような文章を見つけ、
これが関係ある、と仮説を立てた。
--- ここから引用---
「共同体の維持と生への欲求から生まれた祭りは、一般に二つの側面から構成されている。
(その二つとは)物忌みという、穢れを避けて一定期間おこもり(謹慎)することと、
それが明けたときの最終日の催しが一般に言う祭りの当日である。
--- 中略---
その日は普通夕方から神事が始まり、最後に神にさしあげた酒食を人々が神と共に頂戴する事になる。
これを直会(なおらい)といい、こうして宴(うたげ)が始まる。
いわゆる「お祭り騒ぎ」はしばしばここから生じるのであって、
これが祭りのもうひとつの側面である。
「うたげ」とは手を「打ち上げる」ことで、手を打って「うたう」ことにも関係する。
人々はこのドンチャン騒ぎの中で暴飲暴食し、夜を徹して幾晩も歌い踊り、悪態をつき、
大言壮語し、蓄えた財物を一挙に蕩尽(とうじん)してしまう。
そこでは、秩序と禁忌を過剰に厳守した物忌み期間に対するドンデン返しとして、
秩序に対する違反と冒涜とが公然と行なわれ、放埓(ほうらつ)と乱行が横行し、
道化が惹き起こす爆笑が渦巻いていたのである。
それは酒と歌と踊りと鉦(かね)や太鼓などの音響によっていわば狂わしめられた状態であり、
こうした狂的喧噪状態によってそこに出現しているものこそ、
名づけようも無い渾沌(カオス)の世界であった。
「お祭り騒ぎ」は、その意味で、惰性化して生気を失った日常的な秩序の中断であり、
中断によって渾沌たる太古の状態へと一度復帰し、
あらゆる事物が「葦牙(あしかび)の如く萌え騰がる(もえあがる)」(古事記)始源の
天地創造の場を再現させて神々と合体し、そこから再出発する為のものであった。
こうして人々に生きる活力がよみがえり、社会に生気が与えられて日常世界は更新されるのであり、
歴史上のさまざまな「世直し」運動がしばしば「お祭り騒ぎ」の様相を呈するのもこのためなのである。」
朝日百科「日本の歴史」原始・古代1262 ページ「祭りとは何か」武藤武美
--- 引用終り---
【続く】
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