備忘録(2022年3月22日)
随時更新・永遠に工事中

 

 

この動画で、モソ人の女性はモソの母系社会が最も進歩的社会だと誇っているが、その通りだ!!

母系社会の少数民族モソ人
251,863 回視聴 2020/01/14  
 

★★私達はウクライナに戻ることは決してないだろう

 

RT: 7 March 2022
私達はウクライナに戻ることは決してないだろう
http://eritokyo.jp/independent/Ukraine-war-sitution-ike022.html


自らの見解のために、キエフ(ウクライナ政府)に
投獄されたドネツク人民共和国戦闘員がRTに語る
~オデッサ出身、親ロシア派DPR過激派へのインタビュ~

We will never go back to Ukraine': DPR fighter
jailed for his views by Kiev talks to RT
An interview with a pro-Russian DPR
militant from Odessa RT 7 March 2022

翻訳:池田こみち(環境総合研究所顧問)
独立系メディアE-wave Tokyo 2022年3月13日
 
本文

 ウクライナで行われている軍事作戦で、地方の人たちはどう反応するのだろうという疑問があるかもしれない。8年前、南部や東部は親ロシア派というのが一般的な見方だったが、キエフ政権はモスクワとの関係強化を望む活動家たちを残酷に弾圧し始めた。ロシアをターゲットにした積極的な戦争プロパガンダキャンペーンが開始された。

 RTは、証拠もないのに「親ロシア破壊活動」で起訴され、4年間を刑務所で過ごしたオデッサの活動家、ウラジスラフ・ドルゴシェイにこのことについて話を聞いた。2019年、彼は囚人交換の一環として釈放された。このインタビューの後、ウラジスラフはボランティアとして前線に行き、ドネツク人民共和国の人民民兵に入隊した。

- 親ロシア的な政治的見解を持つようになったのは、どのような過程を経てのことだったのでしょうか。

 私の政治的見解について親ロシア的とは言いません。あくまでもロシア的です。(例えば)特定の問題に関するあなたの立場が国家としてのロシアの立場を反映しているときには、あなたは親ロシアの見解を持っていると言えます。(ですが)私は自分を民族的、精神的、国家的にロシア人だと思っています。確かに、私はロシアとは別の国で生まれましたが、それは私の事情に過ぎません。

 私の考え方は、周囲の環境によって形成されたのです。オデッサは、今でもウクライナで最もロシア的な都市です。ロシア語が絶対的に優位で、ウクライナのナショナリストでさえ、「オデッサにウクライナ人が来ると、ロシア語を話し始める」と文句を言います。そして、住民はオデッサのアイデンティティをとても大切に守ろうとしています。それが(ロシアとの)融合・同化を促しています。

 私の生い立ちも影響しています。父は親ロシア派の政治家でしたが、自分の意見を押し付けることはなく、ただ本を読むことを勧めてくれたのが救いでした。ウクライナ、ポーランド、ロシアの歴史家の本を読みました。

- オデッサのロシア人運動は、ユーロマイダンの出来事にどう反応したのでしょうか?

 2014年の状況は、私たちにとって大きなことではありませんでした。ヤヌコヴィッチ大統領はロシア人による運動をあまり好まず、民族主義者にも正教会活動家にもそのような態度をとっていたのです。にもかかわらず、私たちのイベントには毎年多くの人が参加してくれました。民族主義者、正教徒、左翼など、実に多様な人々が、ロシア人としてのアイデンティティというひとつの考えで結ばれていたのです。

 ユーロマイダンの事件に対する私たちの反応は、当初から否定的でした。まず、この事件の背後にいるのが誰なのかが分かっていました。ユーロマイダンがどちら側であるかを理解し、西側は自分たちが属したい政治的共同体ではないという事実を知っていたのです。

 私たちは2月に民兵部隊を結成し始めましたが、遅すぎました。マイダンはすでに起きていて、暗殺部隊も資金もありました。ロシア人は準備に時間をかけるが、その後、素早く行動するということわざがあるように、私たちは素早く行動しました。しかし、これから起こることに対して、私たちはまだ準備ができていなかったのです。ロシア人は親切な人たちです。5月2日のような悲劇的な出来事が本当に起こるとは思ってもみませんでした。(ウクライナの民族主義者が、デモの最中に労働組合会館で親ロシア派のデモ隊50人を殺害した)。ウラジーミル・プーチンは2月21日の演説で犯人を見つけ、罰すると約束した - RT)。

 指導者たちは、これは平和的な抗議行動であり、人々が自分たちの権利を守り、民主主義のために戦っているだけだと言い続けています。しかし、ひとたび西側が来れば、そこには民主主義はあり得ません。親欧米の革命はすべて、民主主義のためではありませんでした。彼らの目的は、植民地支配の腐敗したシステムを作ることだったのです。民主主義は、西洋が自分たちのためだけに求めているものです。そして、西側はウクライナを外部からの影響に弱い不安定な構造にしてしまいました。

- 5月2日の悲劇(オデッサの虐殺)の後、何が変わったのでしょうか?

 キエフ政権によって許可された合法的な政治活動はありました。それらは、共産主義や宗教的な考えを持つ老人たちによって行われていました。しかし、ウクライナの過激派は、こうしたおじいさん、おばあさんまで攻撃する神経をもっていたのです。多くの健康で強い男たちがドンバスの最前線に向かいました。もちろん、全員が成功したわけではありません。オデッサの刑務所には、一度に100~150人の受刑者が収容されました。この人たちは、ドンバスに向かおうとして逮捕されたのです。

 また、オデッサやオデッサ地方では、地下組織が活動していました。私に対する起訴状には--その容疑は一度も立証されていないことを強調しておきたい--、私の指揮下にあった破壊工作部隊とされるものが、ウクライナ南東部のいくつかの地域でテロ攻撃と破壊工作を行ったと書かれていた。地下運動は約18カ月間存在し、この姿を見せない闘争に従事していました。経験もなく、拠点もなく、資源もない地下運動にとって、1年半は本当に長い時間だ、と私は思っています。

- なぜ、オデッサに匹敵する悲劇が、南東部の他の都市で起きないのですか。

 オデッサはウクライナの親ロシア感情の拠点であったことを理解する必要があります。昔からその声は大きく、今でも国民はウクライナ政府を快く思っていないのです。現オデッサ市長のゲンナジー・トルハノフ氏はロシアのパスポートを持ち、実は親ロシア的な考えを持っているという噂があります。5月2日が起こる少し前に、トゥルハノフはクリコヴォ・ポール広場で演説をしていますが、私はこの噂が本当だとは思いません。つまり、ユーロマイダンの勝利と悲劇の間のこの時期、彼は我々の側にいたのです。その彼が、政治家らしくUターンしてきたのです。

 しかも、ウクライナの他の都市でも、親ロシア派の運動を武力で潰したことはあまり知られていません。例えば、ジトーミル。もちろん、5月2日のようなことは起きていませんが、ジトーミルはオデッサではなく、もっと西にあるハリコフではひどかったし、ニコラエフでは仮設キャンプを燃やしました。でも、カメラには映らなかったし、メディアも取り上げませんでした。本当の闘争、市街(路上)戦で、死傷者も出たのに。

 何が起こっていたのかをよりよく理解してもらうために、後にアゾフ大隊(ロシア連邦では禁制)の一員となったあるユーロマイダン支持者が、「戦争でさえ、2014年のハリコフより怖くなかった」と主張していたことをお伝えしておきます。

どの方向から攻撃されるかわからない、常に奇襲を警戒していたのです。それはオデッサでも同じでした。街中で車や家が燃やされ、文字通りの戦争が起きていました。車や家が燃やされ、人が殺され、行方不明になった人もいました。それが内戦だったんです。

- では、なぜ「ロシアの春」の思想は、2014年にウクライナ南東部の大部分で勝利することができなかったのでしょうか。

 2014年に失敗したのではありません。「ロシアの春」は2015年、ミンスクIIの後に終わったのです。それまでは、軍事的な敵対行為も前線もないにもかかわらず、何百人、何千人もの人々が政治的に活動し、オデッサなどの地下運動に参加していたのです。後に捕虜と交換されたウクライナの政治犯の数の多さを見れば一目瞭然です。

 なぜ最前線がオデッサやニコライエフではなく、ドネツクになったのか?簡単なことです。場所の問題なのです。ドネツクには幸いなことに、ロシアから水やエネルギー、人道的援助が供給されています。ボランティアも問題なく参加できます。オデッサの場合はそうではない。たしかに親ロシア派のトランスニストリアに近いのですが、オデッサ地方を支援する資源がなかったのです。地元の民兵では勝ち目がなかったでしょう。

 それでも、本格的な反乱は起こせたはずです。ドネツクやルガンスクと同じように、地域当局の建物を襲撃し、占拠したのだから。しかし、我々の「賢明な」政治家たちは、親ロシアではあってもロシア人ではないのですが、我々に、SBU本部への襲撃を控え、挑発行為を避け、立ち去るようにと言ったのです。個人的に彼らがどれほど親ロシア的であるかはコメントしません。

 では、オデッサがドネツクに倣っていた場合を想像してみましょう。オデッサ地方は断絶し、水もエネルギーも供給されないままになっていたでしょう。この問題を解決するのは不可能です。だから反乱は起きませんでした。だから、オデッサの人たちは、「クリミア・スプリング」が始まるとクリミアに行き、ドンバスに行きました。武力抵抗があるところならどこへでも行ったのです。戦いたかったのです。しかし、誰もが地下でこそこそと活動することに向いているわけではありません。

- ウクライナ南東部のロシア語を話す住民の多く(シロビキ:主に法執行官や 治安維持官)がユーロマイダンを支持していました。彼らが脅威を感じなかったということはあるのでしょうか?

 ウクライナのシロビキは公僕です。個人的な政治的意見は全くありません。彼らは、自分の家の台所で友人とウォッカを飲みながら、ロシアへの愛を語るのです。ところで、このようなウクライナ人シロビキが、自宅での発言を理由に逮捕され、投獄され、除隊させられるケースを何度か見てきました。しかし、彼らのほとんどは、単に政治に興味がなかっただけなのです。誰が権力を握っているかなんて、どうでもいいと思っていたのです。そして、ほとんどの人は何も変わらない、今までと同じように国から扱われるのだと悟っていました。そして、彼らは正しかった。ちょうど1年後、ウクライナのシロビキは新たなマイダンのデモを弾圧していたのです。

- ドンバス共和国は、2014年に下した選択のために最後まで戦うことを本当に決意しているのでしょうか?

 私は、ドンバスの人々は絶対にその決意を持っていると信じています。8年間、私たちはいつ戦争が起こるかわからないと思いながら生きてきました。もしかしたら平和や、ミンスク合意の履行を期待している人もいるかもしれません。しかし、大多数の人は、ウクライナ問題を一挙に解決する戦争を期待してきたのです。ドネツクの人たちが「戦争になる」と言うとき、たいてい笑顔で言います。彼らは恐れていませんし、パニックもありません。戦争はもう8年も続いているのだから、少しくらい(あるいはそれ以上に)激化しても構わないと思っています。ロシアとの統一が彼らの究極の歴史的使命であり、それをやり遂げるという確固たる信念を持った人たちです。

- ウクライナ南東部やオデッサで、ロシア軍や親ロシア派の民兵をどう迎え撃つのでしょうか。

 ロシア内戦のころの歴史的な逸話をお話ししましょう。英仏露協商の連合軍がオデッサから撤退した時、地元住民は白と赤(イギリス人とフランス人)の双方を花で出迎えたといいます。オデッサの人たちは、ロシア民族の一員であり、ロシアのルーツなのです。ロシア軍が来れば、地元住民は絶対に花束で迎えるに違いない。さらに、ドンバスの人々は、SBUを妨害し、敵の後方に攻撃を仕掛けることによって、支援の声を上げると確信しています。それが一番ありがたい。

※注)Triple Entente 三国協商(さんごくきょうしょう)
 19世紀末から20世紀初頭においてイギリス・フランス・ロシア帝国の各国の間で締結された、露仏同盟・英露協商・英仏協商によって作られた三国の協調関係を指した言葉。英仏露協商ともいい、独墺伊同盟と対立し、第一次世界大戦の主要な交戦国となった。

- 独立したウクライナで、親ロシア派の政治運動は可能なのか?

 ありえません。オピニオンリーダーや2014年にロシアの蜂起を先導した人たちは、みんな死んでいるか、ドネツクやロシアにいます。ウクライナに親ロシアの政治勢力も残っていない。ただ、2014年以前は、クリミアのロシアブロックやオデッサのロディナ党がありました。もちろん、地方分権的な政治団体も残っています。しかし、ウクライナ当局は大規模な政治運動は絶対に許さない。

- 親ロシア派の活動家に対する大規模な弾圧や、ウクライナ南東部でのウクライナ化工作は、過去8年間にわたり行われてきました。そのようなウクライナの 地域に残されたロシアの民族的アイデンティティについて、私たちは語ることができるのでしょうか?

 現在のウクライナやロシアの住民、少なくともその両親の圧倒的多数は、ソビエト連邦で生まれた人たちですからね。そして、その国ではロシアのナショナル・アイデンティティが発揮されることはなかったことはご存じでしょう。さらに、ソ連はプロパガンダの効果や市民への政治的見解の押し付けという点では、現代のウクライナに太刀打ちできないでしょう。しかし、ロシアのナショナル・アイデンティティは、このような状況にもかかわらず、存続してきたのです。

 ロシア人はいつまでもロシア人であり続ける。もちろん、裏切り者はいるだろう。いつもそうです。しかし、大多数の人々、地の塩は、ウクライナのプロパガンがどれほど注がれようとも、ロシア人であり続けるでしょう。残念ながら、現在のウクライナでは、ロシア人であることができるのは、国家に目を付けられるまでなのです。

- ウクライナが「ミンスク合意」を履行する可能性はあるのでしょうか?

 両共和国の歴史には、2つの重大な過ちがありました。1つ目は2015年、ウクライナがミンスク合意を守るつもりがないことをはっきりさせたことです。その時、私たちは攻撃すべきだったのです。ミンスク合意は事実上、ウクライナの屈服行為として機能したのです。その機会を逃したことは残念でならない。第二の過ちは、ウクライナがドンバスとの平和条約に合意すると信じたことです。欧米はウクライナを戦争に向かわせることを決して止めません。

 ドンバスからすれば、ウクライナに引き取られることを望む者はいないと断言できます。そのために、ドンバスの人々の血と汗が、自分たちの選択を守るために8年間も流されたのではありません。8年前なら納得する人もいたかもしれないが、今は違う。私たちはメンタリティが違うのです。でも、かつてはあの国と私たちを結びつける絆があったのです。その絆が切れてしまったのです。

 筆者紹介
 旧ソ連邦の歴史と現状を探る政治ジャーナリスト、ドミトリー・プロトニコフによる。

<以下略> 

<コメント>

 

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」寺山修司

 

★★ロシア民族とウクライナ民族の真の敵は、国有財産を奪い肥え太った新興財閥(オリガルヒ)と、両国のウルトラ・ナショナリスト。そして、最悪なのが、ウクライナの与野党間の協定を、傭兵スナイパーを使った偽旗作戦で潰したアメリカ(NATO)だ。

 

2014年2月21日、ウクライナの与野党が協議して決めた大統領選挙を予定よりも早めて実施するという妥協案を、アメリカ(NATO)が潰さなかったら、ウクライナの内戦は起きなかった!

 

この妥協案とは、1991年の独立以降、財政難に陥ったウクライナはロシア産の天然ガス代が払えず、18億ドルもの借金を抱えていた。ヤヌコヴィッチ政権はEUとロシア政府との交渉を続けたが、EUが提示した援助額では足りず、ロシアが主導するユーラシア経済共同体に参加して、ロシア政府の援助に頼るしか選択肢が無かった。

 

ヤヌコヴィッチは最終的にロシア政府に頼ると発表すると、親EU派がマイダン広場を占拠して反対したので、治安部隊との間で約3ヶ月間もの激しい攻防戦が続き、死傷者も出ていた。そこで、EUの仲裁で与野党が話合い、大統領選挙を予定よりも早めて2014年12月に実施し、次の大統領が決めるということで妥協が成立し、協定を結んだ。

 

ところが、アメリカのオバマ政権でウクライナを担当していた国務省のヌーランドが、選挙では再び親ロシア派の大統領が誕生する可能性があるので、ヌーランドは得意の偽旗作戦を実行してこの協定を潰した。広場に面した高層ビルから、傭兵のスナイパーを使い、50名前後の親EU派のデモ隊員と治安部隊員10名前後を射殺し、テレビで治安部隊が50名ものデモ隊員を射殺したと報道した。すると怒ったキエフ市民が大勢で政府庁舎を襲ったために、ヤヌコヴィッチはロシアに亡命した。つまり、「クーデター」を起こした。

 

この銃撃について、2014年3月5日に、ユーチューブでキャサリン・アシュトンEU外務大臣とウルマス・パエト エストニア外務大臣の電話での会話が暴露された。この会話で、エストニア外務大臣は親EU派のデモ隊員と政府の治安維持部隊の双方を狙撃したのは親EU派で、あの銃撃は親EU派の偽旗作戦だったとアシュトンEU外務大臣に報告した。

 

後に2人とも本物の会話音声であることを認めたが、断定したのではないなどと言って誤魔化した。また、親EU派の暫定政権は主張を変えて、ビルから狙撃したのはロシアの特殊部隊だと言い出したが、与野党間で妥協が成立し、広場での攻防戦が終わる目途がついたので、ロシア側には協定を潰す動機がないのだ。

 

Leaked: Kiev snipers hired by Maidan leaders - Estonian FM to EU's Ashton
72,951 回視聴 2014/03/05

 

1月28日のヌーランドとジェフリー・ピアット駐ウクライナ米国大使との電話での会話もユーチューブで暴露された。ヌーランドが、EUを「Fuck the EU」という表現を使ったことが問題となり、ヌーランドが謝罪したが、もっと重要なことは二人の会話の内容だ。この会談でヌーランドは、次の実質的なリーダーにアルセニー・ヤツェニュク(ヤチェヌーク)を選び、その通りになった。つまり、ヌーランドはウクライナに投入した約6000億円もの巨額の資金の一部で、既に多くの議員を買収していたので、ヌーランドが選んだヤツェニュクが選ばれた。

 

AFP:2014年2月7日
米国務次官補が「EUくそくらえ」、電話盗聴され暴露

https://www.afpbb.com/articles/-/3007954

 

F*** the EU: Alleged audio of US diplomat Victoria Nuland swearing
38,567 回視聴2014/02/07

 

今回の戦争は、8年前の2014年2月から始まったのであり、今年の2月からではない。ロシア人が多い治安部隊が、50人前後のウクライナ人が多い親EU派のデモ隊員を射殺したというウソの報道で、多くのウクライナの若者らが怒り、復讐しようとナイフなどで武装し、ロシア人が多いドンバス地方やクリミアに押し寄せて来た。

 

そこで、ロシア人たちは、道路に検問所を設けて武器を持ち込む者がいないか調べ始めたので、ドンバスとクリミアで、ウクライナ国土の分断が始まった。そして、検問所を設けようとしない親EU派の首長を追い出して、ロシア人が市町村を統制し始めると、新政府はウクライナ軍をドンバス地方に送り込んで、本格的な内戦が始まった。

 

CKANNEL4はイギリスの公共放送:①大勢のロシア民族の住民に阻止された

ウクライナ軍と、住民を威嚇するウクライナ軍の戦闘ヘリコプター。この頃の

ウクライナ軍内では、戦争に反対するロシア民族の兵士らによる上官に反抗

する事態が起きていた。ウクライナの暫定政権は、ウクライナ軍を離脱した

ロシア民族の兵士らをロシア兵だと言い、ロシア軍が介入したと、今でも主張

している。②孤立無援状態のロシア民族側に装甲車ごと寝返り、ロシア民族の

住民たちに大歓迎されるロシア民族兵たち。このような事態が各地で起き、

武器を住民に渡して帰る部隊もあった。この頃のロシア民族側には装甲車

は1台も無かった。この住民たちをキエフの親欧米派政府は、テロリストと決め

つけて「反テロリスト作戦」(ATO)を始め、泥沼のウクライナ内戦が始まった。

Ukraine: the fight for the East

64,241 回視聴 2014/04/17

 

しかし、マスゴミは2014年からの8年間の出来事は解説せず、「プーチン悪者論」に終始している。8年前に遡って解説すると、今のロシア軍と同じことを8年前にウクライナ軍がロシア人に対してしていたことがバレて善悪が逆転し、ゲレンスキーや欧米諸国の側の方が悪いと思う人が増えてしまうからだ。

 

先の大戦も、「リメンバー パールハーバー」の真珠湾攻撃から始まったのではなく、その前に欧米による日本への石油などの禁輸処置があった。この禁輸処置なども説明しなければ、<先に手を出した日本が悪い>という単純な話になってしまい、先の大戦の真相が把握できず、真の原因は資本主義経済という重大な事実が不明となってしまうのだ。★

 

今回の戦争も、プーチンの思い付きで始まったのではない。米国を代表する戦略家の一人であり、ソ連の「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンなどの多くの専門家は、NATOを広げるとロシアとの新冷戦を引き起こすと警告し、NATO拡大に反対していた。不幸にも、ジョージ・ケナンの懸念は的中した。

 

ウクライナ戦争の背景

★★「ロシアの論理」で読み解くウクライナ危機

「ロシアの論理」で読み解くウクライナ危機【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】

(2022年2月9日)

 

2014年から、今年の2月までに、少なくともロシアとウクライナの両者で、5000人前後の兵士が死亡した。また、元日本の外交官で大使も務めたことがある河東哲夫氏によると、激しい内戦が行われた2014年~2015年には、1万人前後の民間人が殺害されたという。

 

プーチンを無理筋の軍事侵攻に踏み切らせた背景とは
695,320 回視聴2022/03/06

 

戦場が、ロシア人の人口比率が70~75%と多いドンバス地方だったため、1万人前後の民間人の多くはロシア人と思われ。激しい戦闘が起きた2014年~2015年には、ロシア人の女性や子供が巻き添えで殺害された。この時、ウクライナ軍により殺害されたロシア人の女性や子供の映像が多数、まだユーチューブに掲載されている。

 

Fundacao Padre Anchietaはブラジル・サンパウロ州政府の公共テレビ:

素手の住民が、侵攻してきたウクライナ軍に撃たれる映像あり、注意。

ネオナチの「アゾフ大隊」や、アメリカの民間軍事会社英語しか話せない

傭兵部隊などが、素手で抗議するロシア人住民を射殺してロシア人地区

に侵攻し、5月頃から本格的な内戦が始まった。

 

その結果、双方で1万5000人(内民間人1万人前後)前後が死亡する内戦

が起きた。5月2日の48人が殺害されたオデッサの事件が起きたが、ドンバス

以外の地方でもロシア人は、ウクライナの官憲やネオナチに虐待されたという。

Vladimir Putin fez a primeira aparição na Criméia, território anexado pela Rússia
114,548 回視聴2014/05/11

 

VICEは、カナダとアメリカのマスメデア。民間人の遺体の映像などが多数あり、

注意。2014年7月、本格的な内戦が始まった頃のドネツク州スラヴィヤンスク市

の団地。この頃は、ウクライナ軍の砲撃で、ロシア人の民間人多数が殺害された。

ドネツク州の75%前後はロシア民族なの死亡した住民はロシア人が多いと

思われるが資料が無い。

 

団地の住民が、「反テロリスト作戦」(ATO)を始めたキエフのポロシェンコ大統領に、

ここに来て現実を見ろと訴えている。後に親欧米派のキエフ政府は武装集団

ロシア兵だと国際司法裁判所に訴えたが、国際司法裁判所は認めなかった。しかし、

日本の政治学者は今でもロシア兵がドネツク州やルハンスク州を乗っ取ったとウソの

説明をして、ロシアを批判している。

 

実際は、寝返った元ウクライナ軍のロシア人兵や市民兵、ロシアやチェチェン、セルビア

からの義勇兵。ロシアにはコサックなどの正規軍並みの訓練を受けた民兵が多い。ロシア

正規軍が介入していたら、重要拠点の北部スラヴィヤンスク市などをを放棄して、ドネツク

市まで撤退するはずがないし、要衝のマウンポリ市も、この頃に占領出来ていたはずだ。

Civilians Suffer from Bloody Military Campaign: Russian Roulette (Dispatch 57)
701,835 回視聴2014/07/18

 

‎2014年5月2日には、ロシア人48人が焼殺され、200人前後が重軽傷を負った「オデッサ大虐殺事件」が起こり、ウクライナの約800万人のロシア民族は震撼した。この事件の映像は多数、まだユーチューブにあり、犯人たちの顔の映像も多数あるのだが、ウクライナの警察や検察は真剣に捜査せず、現在でも、一人も犯人は逮捕されていない。このような不公平な国では、ロシア民族は安心して暮らせないだろう。

 

スプートニク:2015年5月2日
オデッサ大量虐殺、 労働会館放火の悲劇から1年
https://jp.sputniknews.com/20150502/282708.html

 

ネオナチの偽旗作戦で、騒乱状態に陥ったオデッサの街。フリーガンに

追われたネオナチの偽装ロシア人グループが、機動隊員のバリケードに

逃げ込む。拳銃のような発砲音も聞こえる

2 мая в Одессе. Как все началось
644,351 回視聴

 

デリバソフスカヤ59,0611114 /05/05でAK-47を持つオデッサライフルマン

 

AK-47を持っている太った男は、有名なネオナチの活動家。この男は、

フリーガンたちに、時々発砲しているのに、警官隊は何もせずに撃たせて

いる不思議な動画。この事件がオデッサの警察とも連携した偽旗作戦

だとわかる。

o1.ua Бойня на Куликовом поле 2.05.2014 / 

Новости Одессы 33 回視聴

2016/10/27

 

その後、国民同士であることや訓練不足で士気の低いウクライナ軍は、各地で住民に囲まれて追い返され、ロシア人兵士の寝返りが起きた。やがて、ネオナチの「アゾフ大隊」や、アメリカの民間軍事会社の傭兵部隊の投入で、2014年の8月頃には、ウクライナ軍は各地で優勢を保ち、親ロシア派軍を追い詰めていた。 

 

そこで、ウクライナは親ロシア派軍を包囲し、国境の検問所を取り戻して、ロシアからの支援物資や義勇兵の流入を阻止する作戦を始めた。

 

この作戦では、精鋭部隊化していた「アゾフ大隊」などを、親ロシア派の支配地域の奥深くに侵攻させたのだが、「イロヴァイスクの戦い」で逆に包囲され、8月末から9月初旬に潰走を始め、1000名以上の犠牲者を出して大敗した。


また、他の戦線でも親ロシア派軍が優勢になると、前大統領ポロシェンコは全戦線で総崩れになるのを恐れ、停戦を約束した「ミンスク議定書1」にサインした。

 

しかし、ポロシェンコの停戦命令は、最前線のネオナチの強硬派部隊に無視され、2014年9月28日頃から、凄惨な「第二次ドネツク空港の戦い」が始まった。 この戦闘は、2015年1月21日頃に親ロシア派軍が勝利して終わった。

 

第1次、第2次「ドネツク空港の戦い」

ドネツク空港の真実 1 правда донецкого аэропорта 1
297 回視聴 2016/05/17

 

更に、2015年1月14日頃から、要衝「デバルツェボの戦い」が始まり、2015年2月20日頃には、親ロシア派軍により、6000人~8000人のウクライナ軍が包囲され、全滅の危機に陥った。

 

2015年の「デバルツェボの戦い」(ウクライナ軍)


Ukraine Gun Battle Caught On Camera
1,454,847 回視聴 2015/02/19


このため、ポロシェンコは再び停戦親ロシア派の支配地区の自治を認めた「ミンスク議定書2」にサインし、ポロシェンコは、親ロシア派軍にウクライナ軍の包囲を解いてもらい、ウクライナ軍の虎の子部隊の壊滅を防いだ。

この「ミンスク議定書2」の締結で、最前線から大砲を撤去する約束は両者が守ったので、民間人の犠牲者は激減した。しかし、ポロシェンコの停戦命令は最前線の強硬派部隊に無視され、小競り合いは続き、議会の反対で、親ロシア派に自治権を与える約束もウクライナは果たさなかった。

こうして、「ミンスク議定書2」も有名無実化して
内戦状態は続いていたが、この間に、ウクライナは親ロシア派義勇軍の有名な指揮官3名と、2018年には、「ミンスク議定書」にサインして、ウクライナ軍6000人~8000人もの兵士の命を救った「ドネツク人民共和国」のトップさえも暗殺した


ところが、欧米諸国は「ミンスク議定書2」も無視したウクライナ政府を諫めるどころか、ウクライナに最新型の兵器を供給し、訓練も行って、ウクライナ軍の建て直しに協力した。つまり、欧米諸国は、国際的公約である「ミンスク議定書2」を無視したウクライナ政府を黙認・許容していた。

‎現大統領のゲレンスキーは、「腐敗防止」と、東部ウクライナで続く「内戦の停止」を掲げて当選した。 しかし、「腐敗防止」も成果が出ず、「内戦の停止」も、政府や議会、軍内に存在する対ロシア強硬派(ネオナチ)の反対で実現出来なかったので、支持率が70%台から、20%台に低下した。 ‎

‎すると、ゲレンスキーは支持率を上げるために、新たに「NATO加盟」を掲げ、「核兵器の保有」も言い出した。2021年10月には、トルコから輸入した高性能ドローンで、ドンバスの親ロシア派軍を爆撃し、その映像を公開するという挑発をした。 すると、その3日後に、プーチンはウクライナ国境に地帯に、ロシア軍を集結させる命令を出し、2月24日にウクライナへの侵攻が始まった。 ‎

このような経緯で起きた今回の戦争を、2014年に戻って解説しないテレビや新聞は、先の大戦を‎真珠湾攻撃から解説するのと同じで、一方的にロシアが「悪」と決めつけるプロパガンダ報道だ。

確かに、ロシア帝国の支配下に入った以降の約250年のウクライナの歴史は悲惨だ。しかし、日本も色々と不満はあるが、ポツダム宣言を受け入れ、降伏文書の規定も守ったので連合国から信頼され、独立主権国家と認められ、国際社会への復帰が実現できた。

ところが、ウクライナは2度も約束を破り、欧米諸国も黙認した。プーチンは2度約束を破ったウクライナを相手にせず、ウクライナの真の支配者である米国との交渉しか考えてはいないだろう。

それでも、ゲレンスキーのウクライナには一つの落ち度が無い「被害者」で「善」、軍事進攻をしたプーチンのロシアは「加害者」で「悪」なのだろうか?

2度、約束を破ったウクライナを黙認して武器を送り、戦争を煽る欧米諸国には責任が無いのか?


ロシア民族とウクライナ民族の真の敵は、国有財産を奪い肥え太った新興財閥(オリガルヒ)と、両国のウルトラ・ナショナリスト、 そして、2014年2月21日に成立したウクライナの与野党間の妥協策を、傭兵を使った偽旗作戦で潰したアメリカではないのか?


★:この禁輸処置は、日本による満州国の立国で、日本と同様に中国を植民地化しようと狙っていた米国が、アジアの小国日本に先を越されたので採用された政策だった。そして、この禁輸処置は日本を戦争に引き込むための挑発政策だった。

 

この満州国の立国は、1929年の世界恐慌で失業者が街に溢れたことで、日本版の「ロシア革命」が起こることを恐れた政府・軍部が、失業者になりそうな農家の2、3男坊を満州国に送り、国内の人口を減らすためだった。

 

それで、軍部は1931年の満州のほぼ全域を占領した満州事変を起こし、1932年には満州国を建国し、日本から、「満蒙開拓団」を募集したがわずかしか集まらず、政府は各地の地域ボスに人数を割り当てて、半ば無理やり、農民を満州国に送り込んだ。その後、1937年には盧溝橋事件で、日中戦争を始めた。

 

つまり、1929年の世界恐慌→失業者の急増→満州国建国→米国の経済制裁(ABCD包囲網)→真珠湾攻撃という歴史的経緯があった。要するに、日米は共に帝国主義国であり、帝国主義国としては対等の立場だった。もちろん、1929年の世界恐慌も好不況を繰り返すことが宿命の資本の蓄積運動である資本主義経済に原因がある。

 

総力戦だった第二次大戦で、世界中の国々で経済の統制経済化が進むと、世界恐慌が起きなくなった。第二次大戦後も、しばらくは統制経済的な経済システムのままだったので世界恐慌は起きず、世界恐慌が起きるようになったのは、統制経済から、新自由主義に移行した1980年代以降で、ほぼ10年周期で世界的な規模の大不況が繰り返されている。

 

つまり、宿命的に好不況を繰り返す資本主義の経済システムが、多くの戦争の真の「原因」である。今回の代理戦争の背後には、欧米の巨大資本が、ロシアの原油や天然ガスなどの資源や労働力を支配し、資本をより蓄積しようとする意識的、無意識的な活動が引き起こした戦争であり、権威主義vs自由主義の戦いではない。ウクライナのゲレンスキー大統領のスポンサーは、ウクライナの国有財産を奪って肥え太った新興財閥(オリガルヒ)であるコロモスキーだ。

 

つまり、先の大戦は、イギリスやオランダ、フランスなどの先行組から、遅れた後発組の帝国主義国であるに日・独・伊が、先発組に対して、植民地の再配分を要求した戦争だった。日本と米国の戦争は中国市場の争奪戦だった。

 

だから、仮に米国が日本よりも先に満州国のような傀儡国家を中国に建設していたら、日本が蒋介石の国民軍を応援して、米国の勢力を中国から追い出そうとしたはずで、今頃は日本と中国は非常に仲が良い戦友国家同士だったかもしれないのだ。全ては、釈迦の言う通り<関係>が決定するのがこの世界。また、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のが、われわれ愚かな人間だ。


ロシアの新左派グループ「左翼戦線」は、新興財閥(オリガルヒ)が敵だと言っている。

‎2022年02月28日‎
‎資本主義を解体することが戦争を終わらせる最良の方法だ!ウクライナでの出来事に関する左翼戦線の声明‎

https://www.leftfront.org/?p=39278
 

 

★★ロシア民族とウクライナ民族の真の敵は、国有財産を奪った新興財閥(オリガルヒ)と、両国のウルトラ・ナショナリスト、 そして、NATOを拡大し、両スラブ民族間の対立を煽ってロシア軍の侵攻を招いたアメリカだ。
 

今回の軍事作戦で、ウクライナのロシア人がどう反応するのか疑問がある。この疑問への答えを知るために、ロシアの国営メデイア「RT」は、ウクライナのオデッサ出身だが、ロシア人のアイデンティティーを持つ活動家ウラジスラフ・ドルゴシェイ氏にインタビューした。同氏によると、彼が民族的、精神的、国家的にロシア人となった経緯を周囲の環境の影響といっている。

 

オデッサ市は、2014年5月2日にロシア人48人が殺害され、200人前後が重軽傷を負った「オデッサ大虐殺」が起き、ウクライナのロシア人約800万人に大きなショックを与えた都市だ。ドルゴシェイ氏の話を理解するには、まず、オデッサという都市がどんな都市で、運命の2014年頃のオデッサの政治状況を知る必要がある。


現在のオデッサ市の人口は100万人で、62%がウクライナ人で、約30%がロシア民族の大都市。1930年代に、スターリンはウクライナ化政策をロシア化政策に転換し、オデッサでもロシア民族への同化が進展した。ウクライナ人が多数派の都市だが、2015年の調査では、家庭で話される言語の78%がロシア語となり、ウクライナ語が6%、ロシア語とウクライナ語の両方が15%だった。

 

他のウクライナ東部・南部の地域も同様で、1990年のオデッサでの調査では全体の65%、ウクライナ人の3分の1以上、ユダヤ人の大部分がロシア語が母語だと回答した。要するに、オデッサは人口の60%がウクライナ人というウクライナ人が多数派の都市だが、一方では、ウクライナ語が母語のウクライナ人は、ウクライナ人の3分の1程度というロシア文化の影響が強い都市と、一先ず言えそうだ。


ドルゴシェイ氏は、ヤヌコヴィッチ大統領はロシア人だが、もともと、親ロシア運動を好まないので、オデッサでは期待も無ったようだ。ドルゴシェイ氏らのイベントには毎年、ロシア人という一つのアイデンティティで結ばれていた民族主義者、正教徒、左翼など、実に多様な人々が参加していたという。

 

2014年春の段階では、既にヤヌコヴィッチは追放され、西側の勢力には暗殺部隊も資金もあったが、ロシア人は5月2日のような悲劇的な出来事が本当に起こるとは予想していなかった。結局、親ロシア派の活動家であるドルゴシェイ氏は証拠もないのに「親ロシア破壊活動」で起訴され、刑務所で4年間を過ごした後で、2019年に囚人交換の一環として釈放された。その後、同氏はボランティアとして、「ドネツク人民共和国」の人民民兵部隊に入隊したという。

 

テーマ:ウクライナ危機は米国による工作の証拠
これはロシアのプロパガンダではありません東部にある強制収容所で人々は実際にそこで殺された
https://ameblo.jp/donbass-ukraine/entry-12653332687.html

 

南部や東部は親ロシア派というのが一般的な見方だったが、キエフ政権はモスクワとの関係強化を望む活動家たちを残酷に弾圧し始めた。ロシアをターゲットにした積極的な戦争プロパガンダキャンペーンが開始された。

 

親欧米派の指導者たちは、マイダンの活動は平和的な抗議行動であり、民主主義のための戦いと言い続けていた。しかし、西側の支配下に入ったウクライナは、彼らの植民地になるだけ。西洋の民主主義とは、西側の支配層だけの民主主義に過ぎないと同氏は言う。

 

かつて、ウクライナには自由な政治が可能で、主に共産主義やロシア正教徒の老人たちによって行われていた。しかし、5月2日の「オデッサの虐殺」後、ウクライナ当局は、こうした老人たちまで攻撃した。

 

それで、多くの健康で強い男たちがドンバスの最前線に行こうとして逮捕され、オデッサの刑務所には、一度に100~150人の受刑者が収容された。地下運動は約18か月間存在したが、経験もなく、拠点もなく、資源もない運動を1年半続けて苦労した。
 

「オデッサの虐殺」が、他の都市でなくオデッサで起きた理由は、オデッサの親ロシア派の影響力が強いが故にオデッサが狙われた。現オデッサ市長のゲンナジー・トルハノフ氏はロシアのパスポートを持つ親ロシア派という噂があり、5月2日が起こる少し前に、親ロシア的な演説もしていたが、5月2日後に立場を変え、親EU派に転向した。

実は、西部のジトーミル市やハリコフ市、南部のニコラエフ市などでは、市街戦で死傷者も出ていたが、報道されないので、親ロシア派の運動が武力で潰されたことは知られていない。ネオナチの「アゾフ大隊」の一員も、「戦争でさえ、2014年のハリコフより怖くなかった」と証言した。親ロシア派が活発に活動していたその頃のハリコフでは、ネオナチ派も常に奇襲を警戒していた。それはオデッサでも同じで、街中で車や家が燃やされ、人が殺され、内戦が起きていた。


●これらの都市で親ロシア派が勝利できなかった理由は単純で、親ロシア派が武装蜂起しても水やエネルギーを自給出来ず、地元の民兵だけではウクライナ正規軍に包囲されて降伏するしか選択肢は無くなるからだ。

 

また、彼らの指導者である政治家たちは闘争を諦め、活動家に退去を求めたので、2015年2月に、「ミンスク議定書2」が成立し、キエフ政権が停戦と自治を約束すると各地での戦いは停止され、活動家はドネツクとルガンスクの「人民共和国」に向かった。それまでは、軍事的な敵対行為も前線もない街でも、親ロシア派の何百人、何千人もの人々が地下で運動していた。


ウクライナ南東部の大半の「シロビキ」(官憲)には、個人的な政治的意見はなく、親ロシア派であれ、親EU派であれ、「弾圧せよ」と上司から命じられるままに活動している者が大半だった。


●ドンバスの2つの「共和国」は、最後まで戦うことを決意している。活動家の中には「ミンスク議定書」に期待していた人もいたかもしれないが、苦しい戦争が8年も続いているので、ドルゴシェイ氏らは、今回のような本格的な戦争が起きて、各地で親ロシア派が蜂起する戦争を期待してきた。

 

多くの活動家は戦争が激化しても構わないと思っている。ロシアとの統一が彼らの究極の歴史的使命であり、それをやり遂げるという確固たる信念を持った人々だ。

●ウクライナ南東部やオデッサで、ロシア軍などを人々が、どのように迎えるかは、歴史的な逸話から推測できる。ロシアは独墺伊同盟と対立し、英仏と共に戦っていた時、イギリス軍とフランス軍がオデッサに入場した。この時、地元住民は両軍を花で出迎えた。オデッサの人たちは、ロシア民族の一員であり、ロシアのルーツだ。


ロシア軍が来れば、地元住民は絶対に花束で迎えるに違いない。さらに、ドンバスの人々は、SBUを妨害し、敵の後方に攻撃を仕掛けることによって、支援の声を上げると確信しています。それが一番ありがたい。

●独立したウクライナで、親ロシア派の政治運動は不可能であり、2014年の蜂起を先導した人たちは死んだか、ドネツクやロシアにいる。ただ、2014年以前は、クリミアのロシアブロックやオデッサのロディナ党があった。地方分権的な政治団体も残っているが、ウクライナ当局は大規模な親ロシアの政治運動は絶対に許さない。

親ロシア派の活動家に対する大規模な弾圧や、ウクライナ南東部でのウクライナ化工作は、過去8年間にわたり行われてきたが、現在のウクライナやロシアの住民、少なくともその両親の圧倒的多数は今でも親ロシアのはずだ。

 

そして、ウクライナではロシアのナショナル・アイデンティティが、公然と発揮されることはなかった。さらに、ソ連はプロパガンダが下手だったが、それでもロシアのナショナル・アイデンティティは存続してきた。だから、裏切り者もいるが、ロシア人はいつまでもロシア人。大多数の地の塩はロシア人であり続ける。


●ウクライナが「ミンスク合意2」を履行する可能性はない。ドンバスの両人民共和国は①2015年、ウクライナがミンスク合意を守るつもりがないことをはっきりさせた時、攻撃すべきだったがしなかった。また、EUは、②ウクライナが両人民共和国との戦争を決して諦めないのに、ウクライナがドンバスとの平和条約に合意すると信じるという2つの過ちを冒した。

ドンバスからすれば、ウクライナに戻るために、ドンバスの人々の血と汗が8年間も流されたのではない。8年前なら別だが今は違う。私たちはメンタリティが変わった。かつてはウクライナとの絆があったが、その絆が切れてしまった。

 

<おまけ>

 

★★息を吐くようにウソをつく、史上最も邪悪な殺人・戦争国家アメリカ
 

稀に見る邪悪な戦争国家アメリカを支持し、中国の脅威を煽る日本のマスゴミは、再び沖縄を火の海にするのか?前回は琉球民族の20%を殲滅したが次回は100%。琉球民族は地上から消滅するだろう。


「マスコミに載らない海外記事」:2019年9月9日
香港での抗議行動の背後にアメリカがいるとアメリカ政策立案者
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-76a74c.html
Tony Cartalucci
New Eastern Outlook



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