居着かない心と身体 | 冒険航路舎

居着かない心と身体

(やまもと)

こんばんは、やまちゃんです。
ここでブログを書き始めて1ヶ月近くたつんかな。
早いもんですな。

今日は、こんな動画を見つけました
これ見て、僕は衝撃を受けると共に、色々考えさせられました。

まぁまず見て下さい。



僕は高校時代、アメリカンフットボール部にいました。
市立西宮高校ってとこでやっとったんです。
だから、この映像は衝撃でした。


前に「病之事」と言うテーマで書いたのですが、今日もそれと同じような話をします。
治療をしていると、「病」に陥ることがあります。
この「病」は、心身の居着のことです。
良い経験、悪い経験。色々ありますよね。
でも、経験そのものに「良い」も「悪い」もないんです。
良し悪しや善悪っちゅうのは、僕の主観的な都合で生み出されているんです。
いわゆる「常識」と言うものも、全く同じかと思います。

本当に必要な常識と、どうでもいい常識があります。
たいていが、どうでもいい常識に惑わされています。


これが解るまで、時間がかかりました。
そうして、まだ解ったとは言えません。
未だに、喜んだり落ち込んだり、誰かを傷つけたり、色々していますからね。

「こだわり」を持つことは良いと思うんです。
なんせ、原動力になるから大切ですよ。
ただ、どこかでそれに固執すると居着いてしまうんです。

こうなると「思うけれど動かない」「思うように動けない」というジレンマに陥ってしまいます。
しかも、自分で気がついていない事が殆どです。
頑張れば頑張るほど、考えれば考えるほどに「力み」が出てしまいます。

気づいていても「わかってるんやけどなぁ・・・」と言うことになります。
つまり、それは「わかっていない」と言うことなんです

ただ、それが悪いわけじゃないんです。
「そこからどうするか?」が大切なんやと思うんです。
そこに対する教育と言うのが、今は薄いように感じています。
「勝つ」ことばかりが求められ、そこから何を学ぶのかが欠落しているように思うのです。
むしろ、失敗や負けからの方が色々学べます。


経験にしても同じです。
僕は「百聞は一見に如かず」と言う言葉が大好きです。
寺山修二さんも「書を捨てよ、町へ出よう」と言ってはりましたね。
だから僕は旅が好きなんです。

こうして人は経験を積み重ね、そこから何かを学習していきます。
死ぬまでが経験と言う名の学習なんです。

ただ、その経験に縛られると居着いてしまいます。
「過去の経験」から抜け出せなくなるんですよ。
こうなると、その経験そのものが邪魔になります。
いわゆる「トラウマ」なんてのが、ここに当てはまるかも知れませんね。

「前はこうだったから!次こそは!!」なんてのは・・・危ないです。
過去の経験というものは、あくまでも「参考」なんです。


自分の中の「ああしてやろう」「こうしてやろう」と言うものも、自分で自分を居着かせることになりかねません。
これで僕は結構痛い目にあいました。


接触鍼で十分治ることもあれば、局所に深く鍼を打つほうが治る場合もある。
そんなものは、臨機応変なんです。
最初は、なんか意固地になっていましたが、今はかなり自由です。
今は「こだわっておく部分」と「別にこだわる必要のない部分」と言う整理をしています。


心と身体に任せると、居着きと言う病は自ずと消え去っていく様に感じます。

そこまで待てるかどうかが大きなポイントで、待てないから、目先のあの手この手に走り、結局遠回りしてしまう。

だから、一度思い切ってこだわりを捨ててしまう。
「捨てる」ってのは、無くなるわけではありません。どっかにあります。

「ああしょう」「こうしよう」と言うのは、頭で考えてするのではなく、「ああしようと感じた時には既に動き始めている」と言うのが良いんです。
考えた場合はちょっと間合いを切るのも一策かと思います。

居着くよりよっぽどええと思うのです。