キャンバスからはみ出す | 冒険航路舎

キャンバスからはみ出す

(とぉせん)


祝日を知らなかった人もいるようですが(笑)、皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか?


私は労働組合の定例会議のため、出社しておりました。

今日の会議は、合計で5時間ほど色々な議題について議論してきました。


こんなに長い時間議論したと言っても、議事録に残る言葉というのはほんの一部です。

ましてや一般の組合員にフィードバックされる言葉といったら・・・良くて3%くらいではないでしょうか?


じゃあ、97%というのは無駄なの?という議論も出てくるかも知れませんが、そうは思いません。

逆に3%を生み出すためには、使われなかった97%が必要なのでは、とそう思います。





武術の型やダンスなのでは、よく

「大きくやりなさい」

との指示、注意がされることがあります。


私も頭で理解していたつもり、注意していたつもりになっていました。

「ああ、できるだけ大きくやればいいんでしょ」

というように。



先日、ある武術の型を稽古していた時、自分の身体の外に、ある感覚が生じました。

それを基準に動いた時、自分の手はこれまでにないくらい大きく、そして速く動かせることを発見しました。



かの岡本太郎がジミー大西に、


「もっとキャンバスからはみ出しなさい」


とのアドバイスを与えたことがあるそうです。


その時は別に自分の感覚と結びつくものはなかったのですが、何故か忘れることができない言葉として私の記憶にとどまり続けていました。




キャンバスの中に画を収めようとした場合、自然な反応として、キャンバスの端の少し手前で動きを制限しようとする働きが生じるのだと思います。

これは画に限らず、ハガキに字を書く場合でも同じでも同じで、紙の端に近くなるほど、自然と字が細くなったりつぶれたりしてしまった経験のある方がほとんどではないでしょうか?


紙の大きさが100だとすると、90~95くらいに収めようとする、自然の働き(脳の働きということで”人為的”と言えるかも知れませんが)が生じてしまいます。



今回の稽古の気付きの後、改めて岡本太郎の言葉が思い出されました。



ということは、


キャンバスや紙と同じく、


身体も身体自身を基準としてしまっては、


身体を100%使うことはできない?




今日の会議で生きることのなかった97%。

それが表に出る3%のクオリティを決めるのと同じように、

身体の動きも

「表に出ることのなかった何か」

というものが、その質を左右している気がします。



「大きくやったつもり」は、身体の中だけの問題だとすれば、


「大きくやる」ことは、身体の中と外を含めた全体的な問題。




キャンバスは、人が設定したもの。



ついつい、キャンバス自体の大きさで、画の大きさはもちろん、


「自分の大きさ」まで決めてしまっていたかも知れません。