無意識之大事 | 冒険航路舎

無意識之大事

(やまもと)



「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず」

これは「易学」の哲理です。


混沌から秩序が生まれ、様々に変化をしていく。

簡単に言えばこんな感じでしょうか。


「無」と言うと「何もない」と言うイメージがありますが、「無から有を生む」のが東洋の理です。


心理学で言うなら、顕在意識・表層意識と、潜在意識・深層意識にも通じます。

有意識と無意識ですね。


人は無意識に、様々な動作や行動をします。

例えば、自転車に乗っている時に、一々「バランスはどう」だの「ペダルはこう漕ぐ」だの考えません。

これは、身体が覚えたことなので、無意識下の自動的な運動に任せていると考えられています。




「無」とは何もないことではなく、「全てある状態」と僕は把握しています。

本当に何もないものは、何もないので何も生まれません。


「無いけど在る、在るけど無い」

とても矛盾していますが、そういうもんだと思っています。


こういう事は、心理学的にも大脳生理学的にも生物学的にも、様々に分析が可能ですが今はやめときます。




先日、近くに住む鍼灸仲間が遊びにきました。

かわいらしい女性。
でも人妻です。

ここで「人妻」と言うか「主婦」と言うかで感覚が変わります。
これは大事なポイントです。


僕の無意識層で、人妻と主婦と言う「単語」にそれぞれ別の情報がインプットされている訳です。

でも、それはただ僕の脳内で作りあげた世界です。



さてさてそんなことより・・・



彼女には以前、ここで書いているような身体感覚のデータを少し取らせていました。

なんで、それをもう一段階進めて説明をしました。


まず、先日「下腹之大事」と言うテーマで書きましたが、少し姿勢と意識状態を変えるだけで、僕の寸止めの突きは怖くなくなります。

久々に、それを再現しましたが、良い反応を見せてくれました。


すぐに、その感覚が取れて来たようなので、 次に進みました。



「じゃぁ、手をこういう風にフワッと構えて」

「こう?」

彼女の姿勢をちょっと矯正して、重心の位置を安定させて、胸の前に手をフワッと出すように指示しました。
誰かの肩を、後ろから触るような形でしょうかね。



「そうそう。で、僕が「来た!」と感じたら半歩前に出てみて。後は何も考えなくていいから」


1メートルくらい離れた位置から、僕がパッと踏み込んで彼女に拳を打ちます(もちろん寸止め)。
それにあわせて、彼女は半歩前に出る。

まあ、そういう約束稽古です。
最初は、出る感覚をとらせるために、突きは打たずに前に踏み込むだけです。

僕がパッと踏み込んだら、彼女もパッと前に踏み出す。


それ以外のことをする必要も、考える必要もありません。

パッと来たらパッと出るだけ。



僕が憧れた中国の武術家は、「半歩崩拳 遍く天下を打つ」と称されていました。

崩拳と言うのは、直突き(ストレートパンチ)と、解らない人はイメージしといて下さい。


ここでのポイントは、「一歩」ではなく「半歩」と言うことです。

ここでも、僕の体験談があるのですが、それはまた話す時が来るかも知れません。



「一歩」と考えると、どこかで「大きく出る」と思い込む場合があります。

人の心理ってのは、ちょっと過剰にやりすぎたり、逆に手前で手を抜くことがあります。


飯を腹八分で止めたいなら「六分」で止めると、大体「八分」くらいです。

と、考えておくと良いかと思う。


一歩踏み込むと、怖くて足がすくんだり、もしくは出せてもそこで動きが止まる場合があります。

こういうことを「居着く」と言います。


何事も居着くと終わりです。

だから、半歩くらいの感覚がちょうど良い足運びになるようです。



まぁ、そんな感じで半歩出る感覚を取ってきたので、突きを出すことにしました。

パッと出ながら、彼女の顔面に突きます。

それにあわせて、彼女もパッと前に出ます。


顔への突き(実際には、彼女の反応に合わせて速度と位置をずらせますが)は、見事に手で払われました。
払った本人が驚いていました。


顔の前にハエが飛んできたら、無意識に手で払うでしょ?

そういう身体の反応がちゃんと出るんです。



これをね、数回やります。
すると、彼女の中に自信という名の力が沸いてきます。
顔つきが変わり、パッと明るくなってきます。


で、次は何も言わずに右フックを出しました。




見事に止められたぁぁ!!



もちろん僕が、彼女の反応を引き出すように仕向ける必要もあります。

反応を見極め、調節しながら打ち出す必要はあるんですが、予想以上に良い反応で止められましたね。


本人も、自分が何をしたのかは、後から気がつくわけです。
(ここが重要なポイント)

無意識に身体から出てくるものは、とうぜん予定調和では無いということです。

だから、思考で認識するのに少し時間がかかります。


これを、頭で考えながらやると動けません。

もしくは「こうきたらこうする」と言う、パターンで考えても無理かと思います。


そんな事を考えながら、自転車に乗ったり車の運転はしやへんでしょ?

それと同じです。



後は何度か繰り返し、その「出来る」と言う感覚を実感させます。
その上で、職場や日常の中での応用方法を解説します。

こういう風に、自分の身体の中にある「感覚」。
それを自分で把握して取っていき、その感覚を日常で再現出来れば、その人そのものが変わるんやと思う。


それもなしに、応用ば~~~~っかり伝えても役にたたん。

無駄ではないけれど、応用が全く利かなくなる場合が多いです。



基本の身体感覚が取れれば、応用に関してはちょっと話したり、見せたり、体験させるだけで事足ります。
自転車に乗れるようになれば、鼻歌歌いながらでも、立ちこぎでも、片手でも両手離しでもできるようになります。

応用ってのは、そういう感じだと僕は考えています。





感覚だけで身体がないのはダメ。
身体だけで感覚がないのもダメ。
知識だけで感覚と身体がないのはもっとダメ。



こうして、無から有が生み出され、無限の応用変化を成してくれる。

なんとなくですが、そんな風に感じています。