陰陽の話 | 冒険航路舎

陰陽の話

(やまもと)



おはようございます、船長やまもとです。

ワンピースが大好きです!

あ、服のワンピースではあらしまへん(それも好きやけど)。


ワタシ!

コンビニで、ワンピースを立ち読みして泣けます!!

でも、泣きそうになったら、読み終わるまで我慢します。

で、イソイソと外に出ます。

上を見上げて歩きながら帰ります。


そんな34歳です。



今日は、僕なりに感じている「陰陽」について書いてみます。


鍼灸は東洋医学です。

東洋医学は「思想医学」とも言われ、基礎となっている思想、哲理があります。

「陰陽」と言うのは、その代表格です。


陰には陰の、陽には陽の働きがありますが、それは書いてもキリが無いので割愛。

まぁ、大体想像つきはると思いますので、今から書く内容を読んで、色んなものに当てはめてみて下さい。




我々鍼灸師は、患者さんを診察する際に「陰陽・虚実・表裏・寒熱」というような見立てをしていきます。

これらは全て、表現方法が違うだけで、結局は「陰陽」の働きそのものです。


ただ、陰と言えばなんとなくイメージが悪く、陽と言えばなんとなくイメージが良いのではないでしょうか。

確かにそうなんですが、そこにちょっと落とし穴があります。


陰は「凝固作用」があります。

例えば、このパソコン。

これは陰気の凝固作用があるから「物体」として存在しています。


こいつを焚き火に放り込みます。

当然溶けます。

もっともっと熱を加えたら、多分跡形もなく消えます。

これが「陽」の働きです。


陰気があるから、我々はこの宇宙で「形」を保っています。

陽気だけでは、単なる「気体」になるので形は保てません。

ザックリとですが、こんな風に把握しといて下さい。


陰気は、集めて冷やして固める作用があるため、ジメジメとして薄暗くて陰気臭い・・・と言うことにもなります。

陽気はその逆ですね。


ただ、これらの「現象面」をとって判断するのではなく、その裏にある「働きそのもの」を理解する必要があります。

そうすれば、外見、外形、地位や名声、そういうものに惑わされなくなります。


「偽者ほど、きらびやかに飾って本物らしく見せたがる」

と言います。

これは、まさに陰陽の働きであって、良し悪しを問うものではありません。


なにより、物事には必ず「例外」が存在します。

それがあるから、この宇宙は成り立っているのです。

これも、まさに陰陽の働きです。



陰陽と言えば「陰と陽」と区別されますが、これもちょっと違います。

例えば・・・今、僕はノートパソコンでこれを書いています。

ずっとノートパソコンが欲しくて、こないだね、近くのパソコン工房で買ったんですよ~!!


いや、そういう話ではなく・・・

今見ている画面。

これは、表?裏?中?外?どっちでしょうね。


画面が見えているから表だと決めちゃいましょう。

で、電源落としてパタンと閉めます。

画面は、表?裏?中?外?・・・ややこしいですね。


つまり「オレが表と認識したから表」なんです。

で、表と認識すると同時に、裏が生まれます。


こういうことを「表裏一体」と言います。

武術では「攻防一体」とか、「懸待表裏」などと呼ぶ流派もあります。



例えば、めっちゃいい人!と思ったとします。

でも、100%いい人は存在しません。

陰陽は表裏一体ですから。

でも、人は表の部分を見たがります。

それを信じたがります。

それはそれで別に構いやせんけど、それで痛い目に合ったとしても、相手の責任ではなく自己責任です。

これは、良し悪し、善悪、などを「AとB」と分けるから起きるんちゃうかな~って僕は考えています。



字面通りの善悪が本当にあったとすれば、この地球上でこれほど宗教が生まれることもないし、対立することも有り得ません。


「ワタシはこれを信仰しているから、それは受け入れられません」

と言うのも妙な話です。


いや、戒律と言うのは、それが生まれる背景が必ずあるのだから、あって当然です。

しかし、それ以外のものを否定する理由にはなりえません。


そこに優劣は一切存在しません。

存在するとすれば、単なる誰かの思惑です。

それに乗せられているだけか、意図的に乗っているのかのどちらかでしょう。


僕は、いくつかの武術流派を学んできました。

しかし、流派が強いのでも優れているのでもなく、強い人が強いだけです。


だから「最強の格闘技はこれだ!!」と言う謳い文句は変です。

まぁ、あれは宣伝だから、それで面白いんですけどね!




そこで次の段階。

陰陽は「働き」であると書きました。

あ、書いてへんかな?


現象としての陰陽のほかに、働きとしての陰陽があります。

「動く」「止まる」と言うのも陰陽で、これが働きです。


これは、季節や時間で把握するのが易いと思います。


四季がありますね。

昔の人は、陽の極みを「夏至」と名づけました。

陰の極みは「冬至」ですね。

その中間にあるものを「春分」「秋分」と名づけました。


この話は、易の話になってくるので、また後日。



夏至と言うのは、陽を極める「点」のことで「陽中の陽」となります。

そこから冬至に向かいます。

つまり、夏の陽気に陰気が混じってくるので、これは「陽中の陰」となります。


冬至に至れば「陰気極まり、陰中の陰」となります。

で、次は夏至に向かって陽気が増してくるから「陰中の陽」となるわけです。


夏と冬では、あまりにも気温が違うため、春と秋で考えてみます。

例えば、春と秋で、ある一日の昼の気温が20度だったとします。

同じ20度です。


数字としてみれば同じですが・・・同じだと思いますか?


東洋的に見れば、両者は異質です。

片や陰気が増加中、片や陽気が増加中です。

これはエネルギーの働きが違います。


だから、同じ温度でも、山の景色が違いますし、風も雲も違います。

人の着るものもやはり違うし、気分的なものも違うかも知れません。


こうして、陽から陰に向かうことを「陰遁」、陰から陽に向かうことを「陽遁」と呼びます。

春は陽遁の季節で、秋は陰遁の季節となります。



これね・・・人も社会もたぶん同じなんです。

僕の経験と実験上から、どうも同じ原理、働きなんです。


例えばですね~、人には表があれば裏があるのは当然。

現象面を表とすれば、その裏が必ずある。


それは「疑う」ことではないですよ。

ただシンプルに「こういう働きがあるのは当然」と把握しとけばよいのです。


疑うってのは、ある意味「陰」の働きで、これが強まると固まって動けなくなる。

これは「居着く」とか「病」と僕は呼んでいます。

当然、この逆も危ない。


陰陽は常に表裏一体です。

そうして、常に動いています。

時間が止まらないように、常に動いています。


だから、人は変わって当たり前なんです。

「あの人変わったわ!」「いう事が前と違うわ!」

と言うのは、ある意味当たり前です。


姿勢が変わるだけでも、人は簡単に変わります。

陰陽というのは、常にこうやって動いています。

それが自然です。



大切なのは、現象という表に見えるものの裏にある働きを見ることです。

武術で言えば、一々現象化された動きを見ていたら、フェイントに簡単に騙され、殴られ、折られ、斬られて終わりです。

治療でも全く同じです。


それらの裏にある働きを、同時に見ておけば良いのです。


陽だけ見てもダメ、陰だけ見てもダメ。

これらは「表裏一体」だから、常に同時に見ておけば、早々不覚を取ることはありません。