東洋医術者は鍋奉行 | 冒険航路舎

東洋医術者は鍋奉行

(やまもと)



こんばんは、やまちゃんです(←くどい)



さっき患者さんを治療しながら、つい口にしてしまった言葉。


「人を寄せ鍋とするなら、東洋医者は鍋奉行。西洋医者は各素材に対するスペシャリスト」

我ながら、何とも微妙な例えを、こりずに毎回毎回してしまうもんやな・・・(苦笑)




西洋的な手法ってのは、とにかく物事を細分化して、とても緻密に分析していきます。

対して東洋的な手法ってのは、起きた現象から大元を広く捉えようとする傾向にあります。

これはあくまでも「傾向」です。


「顕微鏡を覗くと宇宙が見える」

と言う言葉があるそうですね。


これは、なんとなくそうだろうなって思います。

物質をとことん細分化して、素粒子の世界に入ったとたん、一気に宇宙そのものを見る世界に入るようです。



西洋医学では「○○科」と言うのが、とにかく細かく別れています。

まさに、その分野のスペシャリストです。

統合医療が言われつつありますが、やはりその中では細分化されています。


会社でもそうですね。

経理、総務、営業、企画、アメニティ、受付、役員・・・細分化されています。

それぞれがスペシャリストとして腕を振るいます。

今の社会構造もそうなっています。

だから、効率よくまわるのでしょう。



では東洋医学はどうか?

鍼灸師にせよ、湯液家にせよ、気功師にせよ、人体というものを丸々見ます。


今日の患者さんは、鍼が苦手です。

だから、手技と小道具を使いました。



今日は膝を中心に見ました。

でも、膝は膝だけの問題に収まりません。

冷え、むくみ、高血圧、腰痛、頭痛、何らかの持病・・・一つの体に、色んな症状が出ます。


僕は面倒くさがりなので、何とかそれらもまとめて改善させたい訳です。

部分から全体を何とかしたいのです。




全体から部分へ行けば、部分から全体に行くのが理です。

どっちも無きゃだめなんですが、要は初めの入り口がどこか??ってだけの違いです。

やがて、部分=全体、全体=部分って感じになってきます。




さて、今日は膝をゆるめる手技をしました。

難しいことはやりません。

関節部分を中心に、ゆさゆさ揺すったり、筋肉をつまんだりして緩めるだけです。


ある程度やってから「どないですか?」と聞きます。


「なんだか、足先まで暖かくなりました」

「でしょ。あとなんか感じます?」

「足が軽いです。」

「足だけ?」

「あ、体全部が軽い感じがします」

「あとは?」

「なんだか眠たい感じと、お腹がすいてきました」

「でしょ」

「膝だけ触ってもらったのに、なんで?」



ここからの説明が難しいわけです。

「経筋が緩み、気が通ったから血と津液が動き出したんですよ」

なんて言って通じるなら楽ですが、それは不可能です。



「え~とですね・・・鍋みたいなもんですよ」

「鍋?」

「そう、ちゃんこ鍋とか寄せ鍋。○○さんと言う一つの鍋があるわけです。そこには、心臓とか胃とか、肩とか膝とか、神経とか髄液とか、色んな素材があるんですわ。」

「はぁ」

「ほいで、○○さんそのものは、その素材から出た複雑で濃厚なダシなんですよ」

「はぁ」

「膝を触るっちゅう事は、結果として鍋そのもんのダシに影響を与えるって事なんですよ」

「はぁ」

「僕らは、その鍋の状態を見ている鍋奉行。安もんのシイタケを入れても旨いけど、丹波篠山産のシイタケならもっとええダシでしょ?」

「はぁ」

「そういうものが必要な時には、スペシャリストのお医者さんに行ったらええんですよ」

「はぁ」

「僕らは、ダシが薄けりゃ味を足し、濃ければ薄め、具が足りんかったら足し、煮えたら配るんです。だから鍋奉行」

「はぁ」

「例えばね、ブルーベリーが目にええって言われたでしょ?」

「はいはい」

「仮にね、胃腸が弱くて、消化吸収力がなかったとする」

「はぁ」

「ほんで、目にええから言うてブルーベリー食ったらどうなります?」

「あぁ、消化もされんでそのまま出るわね」

「でしょ!?ほんなら、ブルーベリー食うたら目がようなんのか!?っちゅうことなんですわ」

「なるほど」

「僕らの仕事は、そういうええもんが、きちっと消化吸収される体を作る手伝いをするんですよ。そうなれば、ブルーベリーの薬効成分が目に効くかもしらん」

「なるほど」

「まぁ極端なたとえ話をしましたけど、足先に鍼打って肩こりが消える原理とか、膝ゆすっただけでこういう感じになるのは、理解できるでしょ?」



「はい、なんとなく」


・・・・なんとなくかよっ!!



と、膝をさわりながら話をすること40分。

元気に帰っていかはりました。



江戸時代の漢方医に、後藤艮山と言う人がいました。

この先生は「一気留滞説」を唱えました。

これは「百病は、一気の留滞によって生ずる」と言う理論です。


東洋には気の思想があります。


荘子は「人の生は気のあつまりなり。あつまれば生となり、散ずれば死となる」と述べています。

また、僕が中国武術を学んでいた際に聞いていたのは「意至れば気至る。気至れば物動く」というものです。


膝の痛みは、そこに気が留滞したものです。

それを動かして流せばよいのです。


流れ出すと、全体に影響を及ぼすようになるのです。


「アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる」

そういう言葉があります。


膝に留まった気を、ちょっと揺り動かせば、やがて体に変化が起きてくる。

そうして気が至れば、血液や筋肉、内臓なども動き出す。


こういう理に従って、鍼灸師は鍼を打つのです。