身体感覚という言語 | 冒険航路舎

身体感覚という言語

(やまもと)



おはようございます、やまちゃんです。

仲間がみんなあだ名を使うのが、ちょっと羨ましいと思った今朝。


これを書き始めたのは朝。

でも、さっきまで患者さんが続いてしまったので・・・




改めて・・・・こんにちは!



まぁ、なんでもそうなんですが、鍼灸と言うものも「感覚」がとても重要になります。

この「感覚」っちゅうもんはどこにあんのか?

はい、自分の身体にあります。


身体には、様々な情報をキャッチする機械があります。

「感覚受容器」とも呼ばれます。



例えば最近急に寒うなりましたね。

一体「何が寒いと認識しているのか?」と言うことです。



生理学的に見れば、気温の変化、大気の情報を皮膚直下にある「温度受容器」がキャッチします。

それを電気信号化させ、シナプス(神経繊維)を通って脳に伝えます。

ほんで、脳がその情報を処理して、身体の各器官に指令を送ります。


「非常事態発生!生体を維持するため、各部署に指示を言い渡す!」

こういう自発的な反応を、恒常性とかホメオスタシスと言ったりします。


東洋哲理的に見れば、そこには「意」とか「気」の働きが大きく関与してきます。




先日、往診の帰り道。

iPodで、ワンピーステーマ曲を聴きながら、夜の道を歩いていました。


ふと、足の裏に違和感を感じました。

「ん?」

足元を見ると、たくさんの落ち葉がありました。


秋ですね~・・・・と言う話やないです。


素足でなくても、ちゃんと路面情報をキャッチしとるって事です。

これは当たり前すぎて見落としがちですが、実はすげ~ことです。


路面の情報をキャッチするのは「靴の底」です。

ええ、僕の身体じゃないですね。


しかし、靴の底からの情報は、靴の中に浸透し、靴下に到達。

靴下は、靴底からの情報を足の裏に伝達。

そうして、足の裏の皮膚表面から、その中にある受容器に情報を送り・・・・あとはさっき言ったとおりの行動をします。



僕の感覚からすれば、意と言うもんは外に飛んでいきます。

もちろん中にも飛んできます。


で、そこにある情報を拾ってきます。

今回の場合、僕の意は、靴の底まで広がっていました。

だから、アスファルトとは違う情報をキャッチしたと仮定できます。


情報を知る。

これを「意識」と言うんとちゃうかな~と、古い本などを読んでいて理解しています。


脳の科学で言うと「マッピング」とか「ペリ・パーソナルスペース」ってのが似てくるかな。

大脳における空間把握能力のことです。



意識は、感覚器にアクセスすることで「実感」を得ます。

これは、ひたすら訓練して精度をあげると、もっと細やかな情報分析が可能になると思っています。



僕の味覚受容器レベルでは、一流ソムリエのような鋭い分析は無理です。

なんでかっちゅうと、そういう鍛錬をしていないからです。


同じ原理とわかっていても、無理なもんは無理です。

本腰入れて取り組めば、多少は磨かれるでしょうが・・・


それこそ「個性」っちゅうやつですね。

僕には、百種類の水を嗅ぎ分ける能力はいらんくて、毒か毒じゃないかの判断がまず出来ればOKです。



まぁつまり、我々は頭で認識はしていないけれど、意識が何らかの情報を拾っては身体に送り込んでいるのです。


「あの人なんかいや!」「あの人好み!」

「あの場所いや!」「あの音楽好き!」


まぁこういうのも全て同じ原理原則といえるでしょうね。



我々は、この空間を把握して生きています。

認識するかどうかだけの違いです。


こういう事を認識したら、世界観が変わります。

それが、開運にも通じるんちゃうかな?

と思っています。



何も、黄色い財布を持ったからっちゅうて金持ちにゃならんのです。

そんな安易になるなら、世界はもっと激しく変わります。


そうならんっちゅうことは、そうならん理由がちゃんとあるってもんです。

黄色い財布は、ただの黄色い財布です。

派手です。


使い方を知った人間だけが、その効果を知るのだと思います。

どうやって知るか?

多分ですが、感覚で取ってしまう事です。

その感覚ってのは、やっぱり自分の中にあるんです。


そうやって感覚で取った人が、黄色い財布の効果に気がついたのでしょう。

でも、それが取れない人間には、単なる黄色い財布です。



それは「実感」がなくてはダメです。

実感の取れないものは、脳で作った妄想の場合があります。

でも、実感と妄想の境界ってのは、とてもわかりにくいものがあります。


だから、身体の感覚として取れているかどうか?が重要になるんですわ。




変な話・・・・歩いてて犬のウンコ踏んだことある人!!

独特の感覚が足から伝わってきますね?


はい!

それを、今思い出してください。

足の裏に、その感触を取れますか?

いや~な気分になれますね。

その感覚が取れれば、それは「無いけれど在る」と言うことになります。


黒板に爪を立てて「キ~~~~~ッ」てやっている自分を想像してください。

身体に「いや~~~ん」て感じが出たらOKです。

無ければ妄想、あれば実感。



映画マトリックスや無いけれど、今手にしているものは、本当に手にしているのか?ってこと。

それは、皮膚の感覚器が電気信号に変えて脳に送り、脳が作り出したものを「ある」と思い込んでいるだけ。


逆に、「無い」というものが、本当に無いのか?

っちゅうことですわ。


目の前に梅干は無いのに、食べることを想像した瞬間に、顔がすっぱい顔になって唾が出ませんか?

無いけど・・・本当にないの?

あると信じているけど・・・本当にあんの?


その辺を自分の感覚で、厳しく見なきゃいけない。


すぅさんも書いてたけど、気があるとか無いとか言う前に、空気はあんのかよ!ってことです。

「気功ってなんか胡散臭いよね」

と言う前に、エンジェルとか神とかパワーストーンとか守護霊とか。

それはあんのかよ!!ってことです。


ないとは言わんし、なんかそういうもんがおるとは思います。


が!

自分の胃袋を感じますか?腸は?腎臓は?血管は?神経は?DNAは?

あるといわれているからあると思っているけど、ほんまにあんのか!?ってこと。



東洋医学と言っても、西洋医学の勉強が多いです。

解剖や生理学なんて、「は??」ってなもんでした。

大嫌いでした。

赤点、追試しまくりでした。


頭に詰め込むだけの知識ってのは、どうも苦手なんですよね。

それを克服させるために、教科書の内容を、全て自分の身体と、身体感覚に当てはめました。


おかげで、仕組みは随分把握できました。

ほんで、何とか一発で国家試験も通りました。


そんな学生時代。

解剖実習ってのがあって、神戸大学医学部の解剖実習の見学をしました。

めちゃめちゃ貴重な体験です。


大量の献体を触らせて頂き、臓器や神経やら色々手にとってみました。

これ幸いと、とにかく色々触ってきました。


しかし、それは他人のものやし、僕の脳の中で感覚情報として処理しただけのもの。

守護霊だ、神だ仏だエンジェルだの言う前に、それらにすがる前に、一番身近で、一番大切な「自分の身体と身体感覚」に目を向けて欲しいと思うわけです。


それらが洗練されてくると、自ずと神も仏もエンジェルも実感として感じとれるでしょうし、そういう人は安易にそんな事はいわんようになるでしょう。







鍼灸では、パッと人の雰囲気を見て、実際の皮膚や動作を見て、話を聞き、脈を取って、お腹に触れます。

これは、目に見えない情報を、自分の感覚で取っているのです。


そうすると、目には見えない内臓の状態や、精神状態を意識が拾って、僕に教えてくれるようになります。

後は、その情報分析能力の正確さ、緻密さ、速度をあげるだけです。


やはりそれは、鍛錬して身につくもんだと思うわけです。



鍼灸ってのは、ただ筋肉のこった部分に、てきとうに鍼を打って、電気を流せばええってもんちゃうわけです。


靴の底からの路面状態を把握するように、触れたその奥に隠れて見えない情報を、意識して捉える。

これが東洋医学の極意!

僕はそう考えています。