ピーナッツバターとーすとのブログ

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昨日、知人に誘われ

「耳をすませば」

という映画を観た



以前数回見たような記憶があるのだが、

全くストーリーを覚えておらず、

初めて観るような感覚で物語を楽しめた



ここ2週間、徹夜の連続だったが

昨日はゆっくりとした夜を過ごせた

誘ってくれた友人には心から感謝している





中二病とは実に定義が曖昧な言葉だなと思う

インターネットで意味を調べてみたが

具体的なイメージが湧かない

ひとまず“思春期の頃に抱きがちな変な思想と言動”という解釈にしようと思う







昨日見た「耳をすませば」と言う映画

まさに“中二病”を患ったキャラクターばかり出てくる

会ったことはないが、自分の読む本をいつも自分より先に読んでいる

図書館のヘビーユーザー「天沢誠二」に

密かな恋心を抱く主人公、

ちょっとシャイな感じだが夢を追う少年天沢誠二、

主人公と三角関係にある主人公の友達と、同級生の野球部員

皆それぞれ違ったニュアンスの“中二病”を抱えていたように思える






普段ネガティブあるいはからかい目的などで使われるこの言葉

しかし僕にはその“中二病”のキャラクター達の姿が美しいと感じられた

みんな真っ直ぐで、純粋に真剣にそれぞれの事に不器用ながらに向き合う姿勢が

とても美しい物の様に僕には思えた

最後のシーンで天沢がいきなり結婚の申し出をしたのには

正直ちょっと唐突すぎるだろうと気はしたが、

それも“中二病”と純粋すぎる真剣さ故の事であろう







純粋さをある意味なくした大人たちの世界で僕は今生きている

今日も誰かの武勇伝(つまり、ただのナンパストーリ)を聞かされた

正直僕は全くそういうジャンルの話には興味が無い

なぜなら、ただひたすら下品なだけで全く美しさと言う物を感じさせないからだ

だから不特定多数の人間と関係を持とうとする人の気持ちがいまいち分からない

人間は大人になる過程のどこで純粋さを無くすのだろうか







僕が「耳をすませば」のキャラクターと同じ年の頃、

僕はひたすら大人になりたいと思っていた

だってお金は持ってるし自分のやりたい事だって

いちいち親に許可を得ることなく出来ると思っていたからだ

勿論大人になって失う物など無いと思っていた






でも「現実は違った」といったところか





色々な物事に慣れていくたび人は新鮮さや純粋さを無くしていく






ある意味僕もその例外ではないだろう






ただそのピュアな部分を失った生活もしくは環境にあるからこそ

あの映画の美しさに気が付けたのかもしれないと思う

逆に子供のままだったら気づけていなかっただろう












もう中学を卒業してから何年も経つ

季節はまた秋になる

ちょっと冷たい風と真っ赤な夕焼けが

今でも僕の心に焼き付いている初恋の相手の顔を

ふと思い出させる



過去に戻りたいと思ってもそれは無理な話

でも昔感じていたものをふと思い出してみたり

同じ気持ちになって物事を考えてみたり、

そのような事ならいくらでも出来る

おじさん街道まっしぐら(?)な自分であるが、

たまにこうして昔の思い出に浸ってしまう事がある

歳を取って気づくことの多さには

いつも考えさせられるばかりではあるが

“中二病”の自分から学ぶ事も多い






昔は大人になる事ばかり考えていたが

その当時しか味わえない事を経験できた貴重な時間だったと今では思ている