今回はペルーからブログを更新。
旅も何カ国目を迎えただろうか。
1人旅を再開してから
僕がむかったのはペルー、アレキパ。
世界遺産である
聖サンタ・カタリナ修道院をはじめとする
観光スポット目白押しのこの街は
首都リマに次ぐ
ペルー第二の都市とされている。
でも振り返ると
あんまり観光していない。
というのも
僕がこのアレキパを訪れたのは
観光のためではなかったからだ。
理由は一つ
ある人物に会うためだ。
ある人物とは、、、
そうアレキパのママこと
サンドラさん。
アレキパを訪れる
日本人バックパッカーの中では
ちょいと有名なサンドラさん。
ホームステイという形で
日本人バックパッカーを中心に
僕のような旅人を受け入れている。
なぜ、ちょいと有名なのか。
それは
彼女がふるまってくれる手料理故だ。
言われる程バラエティーに富んだ
彼女の手料理。
くそ馬鹿男2人旅で
毎日、肉(基本的に鳥と牛を交互)と飯
という男料理しか食べてなかった
僕の胃袋は完全に満たされた。
ママに会いに来たのか
料理に会いに来たのかは
おいておいて、
ありがとサンドラママ。
そして次に僕が向かったのは
お待ちかね、クスコ。
もうクスコといえば一つしかない。
皆さんご存知
マチュピチュである。
マチュピチュ。簡単に説明を。
尖った絶壁の山々がそびえる
ウルバンバ渓谷の山間
標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ。
マチュピチュとは老いた峰を意味する。
この遺跡はスペイン人から逃れるために、
あるいは復讐の作戦を練るために、
インカの人々が作った秘密都市だった
ともいわれている。
16世紀半ば、インカの人々は
高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、
さらに奥地へと消えてしまう。
その後400年以上にわたって
人の目に触れることなく、
1911年にアメリカ人歴史学者
が初めて見た時には、草に覆われた
廃虚となっていた。
マチュピチュにまつわる多くの謎は
未だに解明されていない。
そのマチュピチュ
想像以上にアクセスが
険しかった。僕の場合。
紹介した通り
400年以上にわたり
人目に触れなかったのである。
それだけ
山奥にある。
変わることもなく
僕はビンボーバックパッカー。
基本的にどこに行こうと
金額=旅の快適さ
である故
逆に僕の旅は
必然的に過酷となる。
マチュピチュへ向かう
高額=一番快適な方法は列車で約3時間かけて
その麓街まで行き
そこから20分ほどシャトルバスで
マチュピチュへ行くルート。
しかし
ビンボーバックパッカー僕の場合は
まずは、クスコからバスで8時間
その次に僕を待ち受けるのは
南米のジャングル。
勘弁してほしい。
わけのわからない植物。
なぞの生物の鳴き声。
恐る恐る突き進む。
ジャングルをくぐり抜けると
そこに待ち受けるのは
約3時間の
"Stand by me " 線路の上を歩く旅。
こんな過酷な道を
寂しがり屋かつおしゃべりの僕が
一人で歩けるはずもなく
さっそく仲間をつくる。
左からアメリカ人のマイク
イギリス人のアリー
オーストラリア人のジャクソン。
三人の愉快な仲間ともに
麓街へ向け線路をひたすら歩く。
途中、
鉄橋があったり。
線路を歩くこと3時間。
ようやく麓街に到着。
そこで3時間程仮眠をとった後
次は山登りを1時間半。
このマチュピチュまでの道
標高0mならまだ
なんとかなりそうではあるが
さすが天空の城とも言われるマチュピチュ
基本的に辿る道は標高は2500m-3000m。
アホかて。
標高に対応できずに亡くなる人もいるとか。
笑い話にならないほど過酷であった。
でも仕方ない
僕はビンボーバックパッカーなんだから。
途中
マチュピチュなんて行きたくねぇよ
と思ったりもしたけど
なんとかマチュピチュへ到着。
突如として現れるのその古代都市に
僕は言葉を失った。
なんだこれは。
今まで感じたことない感覚。
世界中、いろいろな遺跡を見てきたけど
ここはなにかが違った。
なんだろう。
今でもわからない。
ただただ
身体が全てが
スパークした。
何百年か前に
ここに暮らす人々が確かにいた。
そして今僕は
彼らと同じ地に立ち
同じ景色を見ている。
考えれば考える程
スパークがとまらなかった。
そんな時
ふと僕の頭をよぎったのが
ランドセルだった。
今回の題名
「12年間のランドセル。」
何故マチュピチュにきてランドセル。
僕が小学生の頃使っていたランドセルは
12年間使われた。
もちろん僕が12年間使ったわけではなく、
僕が使っていたランドセルは
従兄弟からのお下がりだったからだ。
それ故
みんなピカピカのランドセルを背負って
入学式を迎える中
僕のランドセルだけボロボロだった。
そのランドセルは牛皮で、できていたらしく
プラスチック製ではなかった事から
余計に味を出しすぎていた。
ある時僕は
そんなランドセルのことで
とある奴にばかにされた。
「お前のランドセル、ボロボロやん。」
その一言に腹を立てた僕は
言い合いになり最初的に
そいつの顔面を思いっきり
殴ってしまった。
殴られたそいつは
大泣き。
その事実を知った
殴られたそいつの親が激怒。
翌日僕は校長室へ。
そしてその夜
親と共にそいつの家に
頭をさげに行った。
全然謝る気なんてない僕の態度は酷く
そいつの親は
教育委員会に訴えるやら
どうたらこうたらと、、、
ちょっとした事件になったことがあった。
ただその時
担任の先生だけは僕を叱らなかった。
「佑介、なにごとも長く続けるって
素晴らしいこと。」
「そのランドセル、大切にもう6年間
使いなさい。」
先生は確かにそう言ってくれた。
だから僕はそこから馬鹿にされようが
なにを言われようが
6年間そのランドセルを使い続けた。
小学生を卒業した時は、
ランドセルのことなんて忘れていた
やっと中学生か
くらいにしか思ってなかったが
今、振り返ると
僕が背負っていたランドセルってのは
人の何倍も
価値があるものだったんだと思う。
ようやくあの時
担任の先生が怒らなかった理由がわかった。
先生はきっと
このランドセルが価値を生むことを
知っていたんだ。
12年間持ったランドセル
何百年とそこにそびえ立つマチュピチュ。
もちろんその年数は大きく違えど
本質的なことは
なんら変わりないと思う。
なんだって
他の人や物より
長く続けばそこに必然的に価値は生まれる。
そして
その年月が多くの人を魅了するようになる。
マチュピチュが僕に思い出させてくれたのは
そんなランドセルの話だった。
まさかこんなところで
あのランドセルを思い出すとは。
でもこれもまた
旅が僕に教えてくれた大切なこと。
ただ続ける。
ひたすら続ける。
時にそれが人から
当たり前だと思われることであっても
続けることこそ
価値を生む近道なのかもしれない。
それは、なんであろうと
意外と難しいことだから。
マチュピチュってのは
本当に不思議なところだった。
言葉では言い表すことのできない
訪れた人にしかわからない場所。
僕が感じたのは
そんなことだったが
きっとみんなそれぞれ
違うなにかを感じたんだと思う。
また何年後かに来たいな。
次は一番楽な方法で。
ブルジョアコースで。
その時もまたマチュピチュは
僕になにか今とは違うことを
考えさせてくれるに違いない。
次はボリビアへ。