現在、南米3000Kmヒッチハイクに挑戦中。
今日の記事はいつもより長くなってます。
僕の億転び、兆起きのヒッチハイク
見てください。
ざっとこれまでをまとめてみると
ヒッチハイク初日、開始1時間で250Kmを
難なく走破し調子に乗る。(赤ライン)
すると着いた地はかなり有名な
ヒッチハイクの難所。2日間待ち続けた末に
奇跡的に同じ宿に宿泊していた
キャンピングカーカップルに救われ
涙の脱出。プラス300Km。(黄色ライン)
さらに翌日そのキャンピングカーに
同席していたイスラエル人が
僕らのためにトラックの運ちゃんを
捕まえてくれて、トントン拍子で
これまた350Km追加。(青ライン)
今日はそのトラックの運ちゃんの
お話から書いていければとおもいます。
イスラエル人が僕らのために
ガソリンスタンドで直接交渉してくれた
トラックはなんと、、、
このサイズ。でかい。
なんだかヒッチハイクぽくなってきた。
めちゃくちゃなんにもなく真っ直ぐ続く道を
ひたすらひたすら北へ。
乗せてくれたのはチャーリー。50歳。
すごく穏和な方で、
なんの問題もなく、次なる目的地
ペリトモレノにつく。
これは軌道に乗ってきた。
エルチャルテンで2日待ったからな。
あらだけ派手に転んだら
これくらい起きてもらわないと。
しかし
人生ってそんなに甘くない。
これで
そのままストレートに
次から次へと車が捕まって
3000Km走破。ちゃんちゃん🎶
なんて分けない。
だいたいこれまでの人生を考えたらわかる。
中学の頃、サッカーで骨を折って、
必死のリハビリの末、復帰したと思ったら
復帰の日のトレーニングで
チームで一番ヒョロイ奴にこかされて
また骨折。
浪人の時も
人生初めて合格の文字を
第9志望の大学で目にし、今年はいける
とか思ってたら
そのあと第8志望まで見事に落ち続けたり。
うまくいって
また転び。また転び。の人生。
そんな人生も全く振り返ず、
ペリトモレノについた僕は
面白いくらい鼻が伸びていた。
「ヒッチハイク余裕。」
うきうき。
もうバックパックが踊っていた。
わけのわからない犬ともパシャり
できちゃうくらい。
この笑顔が崩れ落ちるなんて
考えても見ず。
青木家、渡辺家のみなさんへ
この先読まないでください。
泣きます。ごめんなさい。
ペリトモレノ。
通称・地獄。
相棒のだん曰く
1億円貰っても
この街には戻ってこないらしい。
まず1日目。
ペリトモレノについた僕らは宿を探した。
前日はガソリンスタンドで
テント暮らしだったし
布団で寝たいからだ。
探した。
安宿ゼロ。
だいたいいつも一泊1000円のところに
泊まっている僕らに
一泊5000円〜は高すぎる。
この時点で
この街には滞在せず
ヒッチハイクを続けることを選んだ。
これがすべてのはじまり。
基本的に
ヒッチハイクの本拠地は
ガソリンスタンドが多い。
みなさん想像するヒッチハイク。
つまり道端で親指立てながら待つパターン
よりも、ガソリンスタンドでするほうが
ガソリンを入れるドライバーに
直接話しかけることができるので
車が捕まりやすいのだ。
さらに南米のガソリンスタンドは
日本のガソリンスタンドより設備が
充実していて
食堂やWi-Fi、なかにはシャワーを
完備しているところまである。
初日
もう心はだんじりの上に乗る人
レベルに舞い上がっていた僕らは
話しかけまくった。
数時間経過。
おかしい。つかまらない。
トラックの運転手が長距離移動の可能性が
高く、トラックの運転手を中心に
声をかけていたが全くつかまらない。
そこに追い討ちをかけるように
土砂降りの雨。気温もさがる。
次第に会話がすくなくなっていく。
だんじりは何処へ。
気づくとガソリンスタンドの中に入らざるを
えなくなる状況に。
ちなみにこのガソリンスタンドの営業は
24時間ではなかった。
7:30〜23:00。
つまり、23時までには車を
見つけないとまずい。
気づくと時計は
22時半。
雨の中、同情を買う作戦で
少し郊外に出て道路にぽつんと立ってみたり、
2人だと捕まりにくいから
1人1人少し距離を置いて分かれて
ヒッチハイクをしたり、
トラックの運転手だけでなく
ガソリンだけ入れて街に帰ることが多い
普通車にも声をかけたりした。
それでもダメだった。
「これ今日寝るところなくない。」
「、、、」
えっ。これって。
ガソリンスタンドが閉まる30分前。
2人の顔は真っ青だった。
寝袋は?テントは?
そんな素晴らしいものありません。
貸してくれる人は?
そんな天使いません。
目の前には
一つのダンボール。
「これ。今日の部屋。」
その名も
その名も
BOX20。
野宿が決まった。
それでも外で寝るのは危険すぎる。
ここはまだパタゴニア地方
寒さや治安の問題故だ。
するとガソリンスタンドの横に
バスターミナルが併設されていることに
2人は気づく。
片言のスペイン語で営業時間を聞くと
謎に午前3時までとか。
ほんとにちゃんと聞き取れた正しい情報
なのかも分からないまま
とりあえず建物の中へ
ガソリンスタンドから続くそのドアを抜け
ガソリンスタンドが閉まる直接に
僕らはバスターミナルへ。
先程のダンボールをBOX20を半分に切って
2人で二等分して
下に敷いて寝るスタイル。
ちなみに奥にイスを並べているのは
フランス人のアクセル。
当日にバスがキャンセルになり
急遽野宿を余儀なくされたこれまた不運な男。
バスターミナルでとりあえず寝ていると
ガチャっという音が。
あれ。
バスターミナルが完全に施錠さらた。
バスターミナルに閉じ込められたのだ。
まぁ僕らからすれば
より安全になったと解釈はした。
いつもみたく
寝ようとしてみる。
寝れない。
まず底冷えが半端ない。
そして硬い。
眠れないまま、
午前1時。
ガチャ。
謎にバスターミナル営業開始。
何時やねん。
誰がこの時間に、、、
って、続々と人が入ってくる。
あーもうなにがなんだかわからない。
と思っているうちに
忘れかけていた午前3時。
バスターミナルが閉まる。
南米。午前3時。
完全に外に追い出されることに。
寒さは想像してください。
外にでて30分すると
まずメッシュ生地の靴を履く
僕の足の感覚がなくっていく。
足の指は完全に動かない。
いやほんとに死ぬ。
ここにいたら死ぬ。
冗談ぬきに死ぬ。
2人は考えた。
高校時代
やることがなかった僕らは
無意味によく川にいって焚き火をしていた。
木々を集めて、トイレットペーパーを
公衆トイレから頂戴し、
それを着火材にして
燃えやすい枯葉をその上にかぶせ、
最後に継続する火のもとになる
大きな木々をセッティングする。
慣れたものだ。
よし。あれやろ。焚き火。
身体をあっためないと死ぬ。
青春時代のあの焚き火が
まさかこんなところで
活きるとは。
弟がくれた
スイスのアーミーナイフで
(今までフランスパンを切ったのと
ワインを開けたことしかなった。)
木を切る。
ありがとう我が弟よ。
なにしているのかわからなくなる。
ただただ暖かい。幸せなひと時。
するとアクセルが一言。
「これ暖かいけどまずいと思う。」
「警察きたらめんどくさいぞ。」
高校時代なら
警察がきたら逃げたらよかったけど
今はバックパックもあるし
南米で警察から逃げたら
何されるかわからない。
見ると煙があがっている。
こらはやばいなぁ。
やめておこう。
焚き火も終わり。
また寒さが
僕らを襲う。
火を消している内に
いつのまにか
アクセルがいなくなっていた。
数分後、凍えながらひたすら
朝をまっていると
アクセルが走って帰ってきた。
「Hey guys come on!!!」
それはそれはもう映画のワンシーン。
アクセル曰く
完全に建物の中ではないが
小屋を見つけたらしい。
小屋って言われたからついていくと
これ。(翌日撮影)
夜のここはめちゃくちゃ怖かった。
これは小屋ではない。
使われなくなったコンテナ。
でも寒さと怖さ
寒さの圧勝だったので
3人でコンテナの中で一夜をすごした。
朝まで結局
一睡もできず
ガソリンスタンドオープンの7:30を迎える。
身体はぼろぼろ。
お腹はすいているし、
身体は痛いし、
眠いし、、、
そんなこんなで
ペリトモレノの2日目がはじまる。
朝から夕方まで
それでも無い力を振り絞り
ヒッチハイクを再開。
結果、夕方まですべて空振り。
このままでは
今日も昨夜と同じになってしまう。
そして僕らはまず
寝袋を買いにいくことに
マイナス4度まで耐えられる寝袋を
非常時に備えて購入した。
この決断が
良くも悪くも功を奏す。
この日もガソリンスタンドが閉まる
23:00まで車はつかまらず
結局野宿again。
ヒッチハイクの神様〜。
さらに2日目の夜は
ガソリンスタンドの管理人が
あまりにも長居しすぎた
僕らに目をつけて怒りだし
バスターミナルからも追い出されて
いきなり外。
こんなのヒッチハイクでも
バックパッカーでもない。
ただのホームレスだ。
この夜の天気は大荒れ。
寝袋が唯一の救いとなり
ついに僕らは3日目の朝を迎える。
「バス。バス。バス。」
「もう死ぬ。」
何度言ったことか。
何度転んだことか。
それでも立ち上がれ。
と変なプライドが僕らに喝をいれる。
守る必要なんてなんにもない
くだらないプライド。
馬鹿な大学生の小さな小さなプライド。
3日目の朝も
ひたすらやってくる車のドライバーに
声をかけまくる。
ガソリンスタンドの店員さんよりはやく
ドライバーの元へ行き
拙いスペイン語で話しかける。
「こんにちは。」
「お元気ですか。」
「日本人です。」
「名前はゆうすけです。」
「どちらに行かれますか。」
良く考えたら、おかしな会話。
でもおかしいとかおかしくないとか
考えている時間なんてない。
ただやってみるだけ。
車を捕まえるために。
転び続けたその先は
また立ち上がれるはず。
するとヒッチハイクの神様は
まだ僕らを見捨てなかった。
一度は断られた
ご家族が僕らのその頑張りを
見てくれたのか
「どちらまで行かれるの。」
と話しかけてくれた。
「どこでもいいので北へ。」
3日ぶりに
車をゲット。
またまた奇跡。
そして僕らは
地獄ペリトモレノを抜け出したのだった。
めでたしめでたし。
となったら
七転び八起き。
タイトルは
億転び、兆起き。
続きます。災難は。
車に乗ってから
まだ問題があるなんて
まだ転けるなんて
考えてもみなかった。
北へ走り続けること
2時間。
車が止まった。
いや止めたのではない。
止まらざるを得なくなったのだ。
大雪のせいで。
南米で大雪ってなんですか。
想像と違うんですけど。
車を押しつつること二時間。
足の感覚がなくなるagain。
自分がなにをしてて
ここはどこなのかわからなくなる。
ヒッチハイクってこんなにも
大変なことなのか。
なんで俺
ヒッチハイクしてるんだろ。
ただ人生と同じで
派手に転んだ分だけ
そのあと起き上がれた時
見える景色はなににも変えられない。
さて次こそ
起きあがるとき。
何度転んでも起きあがれ。
這い上がれ。
雪がやんだ。
車が走り出す。
北へ。
兆起き。
車は800Km進んでいた。
僕らを拾ってくれた
パトご家族は
なんと僕らを800Km乗せてくれた。
七転び八起き。
少ない少ない。
人生なんて転けてなんぼ。
特に僕の人生は
ほんとに派手に転ける。
ただそのあと
こうやって必ず
立ち上がれる。
億転んだら
兆起きあがってやれ。
今しかできない経験って良く言うけど
きっとこう言う事なんだと思う。
派手に転けられるのも
まだ自分になにもないからだ。
ヒッチハイクとか
世界一周とかそういうことじゃなくて
今しかできないって
こうやって
派手にたくさん転けることなのかもしれない。
これからも
億転び、兆起き。
さてヒッチハイクも
半分を切った。
必ず3000Km。ゴールが見えてきた、