アフリカでケニア、ナイロビの次に
むかったのは東海岸に位置するモンバサ。
そこからさらに南に降りて
むかった先はタンザニアのザンジバル島
インド洋に浮かぶ、ザンジバル島へは
大都市ダルエスサラームから船で約2時間。
アフリカにはしては
比較的治安もいいとされ、
とにかく島独特のゆっくりとした時間が
ながれていた。
音楽。
そして
写真には映らなかったが
中でも星空は人生最高のものだった。
島っていいなぁ。
ずっといたい。この島に。
帰りたくなかった。
出たくなかった。この島から。
そう思わせてくれるほど素敵な島だった。
気がつくと数えること
20数カ国回ってきたが、
この島は確実にトップ3には入る。
言葉では言い表せない
ぜひみなさんにも行ってもらいたい。
ザンジバル島。
しかし
観光客が目にする華やかな島の裏には
アフリカ特有の問題が顔を覗かせていた。
『貧困』
それは
誰もがイメージする
アフリカのイメージそのものだった。
ビーチで出会った2人の男性が
その真実を語ってくれた。
今日はあえて
華やかな島ではなく
彼らの人生から見えた
島の本当のすがたを綴ってみたい。
一人目の彼はジョージ。
最初から他の物売りとはどこか
雰囲気が違った。
多くの物売りは
僕を見るなり、商品を持ち寄ってきて
いきなり「いくらならかう?」と
しつこく寄ってくる。
彼は
自分の店をビーチ沿いに
構えているのだが
最初から
「よかったら見ていってください。」
と笑顔を見せてくれた。
アーティスティックな絵やブレスレット
などを主に販売していた。
その接客業態度から
ジョージの人の良さは
すぐにわかった。
ジョージとはビーチで
約2時間話しをした。
最初はなんてことない話しがつづいた。
お互いの文化、僕の旅、島の特産物
などなど。
しかし
僕がどうして今の仕事を選んだのか。
を聞いた時、急にジョージの顔つきが
変わった。
ジョージは
今の物売りをする前
ホテルマンとして働いていたらしい。
ホテルマンと聞くと、日本では
給料もよく安定した生活をおくれている
と思いがちだか、ここではちがった。
観光客のために建てらた
外資系ホテルで
ジョージ達、地元民は
ほぼ強制労働状態で働かされていたのだ。
1日10時間
給料1日10ドル。
繰り返すが
この給料は時給ではない。
日給だ。
東京ならバイト1時間分。
それでも
仕事を選ぶ環境になかった彼は
ホテルマンとして
劣悪環境の中働き続けたという。
でも
彼には夢があった。
それは
島に自分のビレッジを立てること。
彼のいうビレッジとは
ホテルや店が林立する
一つの観光総合施設をつくることだった。
この夢を実現するには
ホテルマンではだめだ。
そう判断した彼は
夢のために
自分で独立する道を選んだ。
しかし、ビーチ沿いでの
物売りも決して楽な道ではないという。
まず彼に降りかかるのは
店の維持費。
その地を借りるのに月3万。
商品をみると
ブレスレットなどの小物は
3ドル以下。
絵などの大きなもなは
20ドル前後。
ざっと商品の材料費、
ビーチの人通りを考えると
月3万の維持費は
彼にとっては安くないと思う。
さらに
島にはオフシーズンが
年に3カ月ほど存在する。
オフシーズンは観光客が激減し、
実際に、ばりばり商売ができるなは
残りの9ヶ月らしい。
いつか自分のビレッジを。
そのために彼は今日も
笑顔で接客をする。
他の物売りと差は
おそらくホテルマンとして働いて学んだ
ホスピタリティだと思う。
2人目に出会った彼はカルロス。
ビーチだった。
ビーチを歩いていると
カルロスの方から
日本人ですか?と声をかけてくれた。
最初はまたいつもの
物売りかなとおもったが
カルロスはギター片手に
僕に言った。
一緒に歌おう。と
そこから
カルロスの仲間も合流し
みんなで約1時間
歌い、踊り続けた。
音楽って
言語がわからなくても
通じ合える不思議なもの。
いつのまにか
みんなと仲良くなっていた。
カルロスが日本人ですか?
と聞いてくれたのには理由があった。
カルロスのお父さんは今
日本で音楽を仕事に働いて
いらっしゃるらしい。
再婚したお父さんの奥さんは日本人。
カルロスとは血は繋がってないものの
カルロスもお父さんの影響で
日本人が大好きだという。
夕陽を見にビーチに来ていた僕は
その後、カルロスと一緒に夕陽を
眺めることに。
カルロスともたくさんの話しをした。
カルロスはもともと
島からフェリーで約2時間離れた
ダルエスサラーム出身。
今は父と同じく
音楽で稼ぐためにザンジバル島へきて、
観光客相手に
バーやストリートで
ギター、ピアノ、バイオリン
を演奏しているらしい。
カルロスにとって
このザンジバル島は
人生を変えてくれた島だという。
カルロスには辛い過去があった。
先程あげた
カルロスが手にもっている写真は
6歳になる彼の1人娘の写真。
カルロスはもちろん結婚しているのだが
三年前に奥さんを病気で亡くしたという。
貧しくてまともに治療ができなかった
そうだ。
娘が奥さんに似てきてね。
と彼は少し悲しそうに話した。
でも、この島にきて
またがんばろうって思うようになったんだ。
娘のためにお金を稼がないと。
彼の言葉には
アフリカの貧困に立ち向かう
強さがあった。
ギターケースに大量に入れられた
奥さんと娘さんの写真を見て
今日も彼は音楽をする。
世の中には
必ず表と裏が存在する。
観光客が笑う裏側に
地元民の涙を見た気がした。
『貧困』
アフリカが抱えるその大きな問題に
歯を食いしばり、涙をぬぐい、
それでも笑顔で生きる地元民。
旅行じゃなくて
旅だからこそ
いろいろな島が見れた。
いろいろ考える機会を与えてくれた
この島には
本当に感謝したい。
また、いつか帰ってこれたらいいな。