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『普通』ってなんだろう。


このブログをいつも読んでくださっている
みなさんもぜひ考えてみてください。







あなたの『普通』はなんですか。

  




あなたにとって『普通』とは。







僕の普通。
考えると難しいものだ。
まぁ一重に『普通』といっても
色々な事象に対しての『普通』がある。







例えば日常に対しての『普通』。

旅中の今ならば、
朝起きて、シャワーを浴び
昨晩、ぼんやりと決めたルートへ
リュックを背負ってパンをかじりながら
ゲストハウスを出る。
たまに1人で。たまにその場の友達と。
途中で喉が渇いて、道端で水を買って、
小銭はエクスチェンジできないため
貯めるとだめだからと財布をあさる。
途中で "你好!! Chaina " と声をかけられ、
"Japan"と言い換えし、
トゥクトゥクのおじさんや
バイクのにいちゃんのキャッチを 
笑顔で断り。
"Have a nice day"と一言かけると
"Same to you"と言われ
目的まで、また歩く。

目的地につくなり
ローカルな人々と
あれこれ話し、その場に浸かる。
日暮れまでに宿に帰ろうってことで
帰りは疲れ、妥協のトゥクトゥクへ。
値段交渉でもめ、少し腹を立てながら
結局のところ、トゥクトゥクより安い
マタトゥ(アフリカの乗り合いバン)
を選択。


ゲストハウスに帰ると
ただぼけっとしながら日記をつけ
たまにブログを更新し
夜は同じゲストハウスに泊まる
世界中の旅人と乾杯する。


とまぁざっとこんな感じだろうか。


日本にいたら
普通の大学生。
このブログを読んでくださっている
大学生とそこまで違わない、
単位が〜。一限か〜。バイトが〜。
サークルが〜。彼女が〜。
飲み会うぇい。とか言いながら
日本での大学生活を送っている。





将来・人生に対する『普通』

僕は今大学三年生後期だから
あと一年半大学生をして、
その間に就活をがんばり
内定をもらい
卒業したらその会社へ入社。
定年までその会社に残る可能性もあれば
途中で転職したり、独立する可能性も
持ちながら生活。
結婚して、子供も作り、
願わくばマイホームを立て、
孫が出来て
退職後は地元伊勢で少し
みんなと笑いながら死んでいく。


まぁこんなもんだろう。







このブログを見てくださっている
みなさんも
僕の『普通』と大きくずれはないはずだ。








でも世の中には
たくさんの『普通』が存在する。





僕の
『普通』が普通じゃなくった。
『普通』ってなんだよ。
って思うことがあった。



ケニア。
ナイロビにあるキベラスラムで。




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キベラとはナイロビにある地区の名前。
スラムとは都市部で極貧層が居住する
過密化した地区のことであり、
基本的に不法占拠してつくられる。


キベラスラムは
アフリカのなかでも最大の大きさをほこる。
ナイロビ人口の約半分、100万人が
そこで生活する。


そこで暮らす人々は
毎日2ドル以下で生活している。

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2ドル。
日本ならなにができるだろうか。
大学に行くバスの片道分。
学食なら付け合わせのサラダ一皿分。



水だって、使うのに一苦労。
住民共同のポンプから各家庭が
それぞれバケツをもって水を汲む毎日。

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廃棄設備も整っておらず
ゴミ箱もなければ
トイレすらない。
この下の写真の黒く溜まったヘドロは
ゴミのかたまり。
トイレはゴミ袋にして、家の外に
捨てるだけだという。
それ故、街全体になんとも言えぬ
匂いが立ち込めている。

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この時は一応
ゴミを掻き集めていたのだが
ゴミ収集車なんて存在するわけもなく
このあと干からびて
人々が歩く時に踏むことで
固まって地面にしていくらしい。



道だって道と言っていいのか。
わからない。
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唯一と言っていいほど
学校だけは存在した。
スラムをまわるなかで
子供達の笑顔には唯一救われた。

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ブログを読んでくださっている
皆さんに
少しでもスラムをしってもらいたく
今回は動画もあげてみたので
ぜひ見て欲しい。
ありのままのスラムを。







メデイアを通すとどうしても
美化されたり、人々の想像通りに
つくられてしまうが
これが編集なし、そのままのスラムだ。 






このキベラスラムは
もちろん立ち入り禁止区域で
凶悪犯罪も多発する地だった。

国境なき医師団やジャーナリストが
いくような場所。
決してバックパッカーが訪れる
地でなかったのだが、
縁があり、地元の信頼できるガイドを
雇うことができてこの地区に
入られせていただくことになった。





ガイドをしてくれたコリンズさんは
キベラスラムに住む方なのだが
色々、お話をいく中で
彼の『Usual(普通) 』という言葉が
ものすごく僕に重くのしかかった。





『普通』がなにか分からなかい。





彼らには
これが『普通』なんだ。





僕には『普通ではない』
ことが
彼らには『普通』。





生まれた時からそうだから、
とコリンズさんは語る。




たしかに
僕は生まれた頃から
水に困ったことはないし
食事も満足に取っている。
電気だってボタンを押せばついたし、
テレビだって見れる。
お風呂も毎日入れる。
遠くには車や電車、
歩くのが面倒なときは自転車がある。
塾というものがあったし、
ゴミも定期的に業者が回収してくれる。




よく考えたら
僕の『普通』は世界の普通ではない。




その地におりたら
その地の人の眼鏡をかけて
『普通』を考えないといけない。



スラムの方々に援助をすることや
寄付をすることそれは
発達を促進させるという面で
良いことだとおもう。
ただ彼らを下にみたり、かわいそうだと
感じる事とはまた少し違う気がした。
いずれの姿勢も、彼の『普通』を
考えられていない態度だからだ。





僕はこのスラムで一つの誤ちを
犯した。


ガイドしてくれたコリンズさんに
"幸せですか"と聞いてしまったことだ。



今考えると
すごく失礼なことである。
彼らの『普通』をまるで
幸せじゃない
という答えを求めるかのように質問をし、
否定してしまったからである。





冒頭の写真は紛れもなく
スラムの子供達の心からの笑顔だ。







きっとこの世界に『普通』はない。
僕が感じたように
僕の『普通』は
誰かの『普通』ではないから。






自分の『普通』の眼鏡だけでものごとを
判断しては決していけない。





色々な人の眼鏡をかけれる
『普通』は存在しないと知りながらも
色々な『普通』を理解できる
そんな大人になりたいと
感じさせてくれたキベラスラムであった。