人生初のヨーロッパ。
アジアと180度違う世界に
驚きを隠せなかった。
街を歩くだけで
まるで絵本の中に入ったみたい。
人、物価、気温、雰囲気
全てがアジアと異なっていた。
僕のヨーロッパは
ウクライナのキエフから始まり
ポーランドのワルシャワ、クラクフ
チェコのプラハ
そして今は
イタリアのヴェネツィアからブログ更新。
ブログのタイトルは
『働けば、自由になる。』
ヨーロッパには少しそぐわないタイトル。
この言葉を見て
あれかと、思う人もいれば
そうでない人もいるはず。
でも大半の人は
?
が浮かぶのではないか。
多くの人の目には
普通の道に映るのではないか。
ただの雪道。
ブログのタイトルとこの道、
両者の共通項は
アウシュビッツ強制収容所
である。
ご存知の方も多いとは思うが、
僕がポーランドの地元のガイドさん
から聞いた話をもとに、
まずアウシュビッツ強制収容所の
軽く説明をしたい。
アウシュビッツ強制収容所は
第二次世界大戦下の1940年、
ドイツ占領下ポーランドで
初めて建設されたナチス・ドイツ強制収容所で
後の第三帝国(ドイツ)がつくったすべての
収容所のなかで最大のものとなった。
ドイツ警察による
ポーランド人の逮捕者増加で既存の刑務所が
溢れたことが開設された理由だった。
また
ナチス・ドイツの恐怖政治を実行するために
設立された収容所の一つでもあった。
その役割は最後まではたし
1942年からなかでも
ユダヤ民族大量虐殺の最大施設と
化した。
とまぁここのような内容は
歴史の教科書で見た人も多いと思う。
この強制収容所で
多くの人が虐殺され
強制労働を課せられ。
僕も高校時代、世界史を学んだ端くれとして
アウシュビッツのことは知っていた。
今となっては
ただの観光スポット。
僕も最初はこれまで見てきた
たくさんの観光スポットと何変わらぬ
感じでアウシュビッツのツアーに参加した。
結果。
言葉にならなかった。
自分の中に生まれた
この感情を表す適切な言葉が
みつからない。
残酷だ。
信じられない。
非人道。
そんな言葉では決して言い表せられない
なにかが確かに
胸の中にのこった。
人々が殺さる前に剥ぎ取られた
2トンもの人の髪の毛。
毒ガス室。
殺された人の骨の粉が入った壺。
人体実験の部屋。
集団首吊り台。
焼却炉。
当日のまま
すべてがそのままのこっていた。
このブログのタイトル
働けば、自由になる。
それはアウシュビッツの入り口に
掲げられた門に刻んである言葉。
先ほどの雪道。
ユダヤ人達が処刑を命じられ
処刑場まで最後歩んだ道。
どのようか気持ちでこの門をくぐったのか。
そしてどのような気持ちで
人生最後となるこの道を歩いたのか。
想像すらできない。
ブログがまとまらない。
ものすごく伝えたいなにかがある。
でもどうしたら伝わるかわからないし
なにを一番に伝えていいのかもわからない。
ネットの普及で
あらゆる情報が手に入る時代だが、
実際に脚を運んで見ないとわからない事は
たくさんある。
自分の身体で世界を感じられる
いまのこの環境に感謝したい。