パイという北部の田舎街からブログ更新。
チェンマイから3時間半。
762個のカーブを車で抜け
たどりついたこの街は
音楽と芸術が融合し
独特の雰囲気がある街だった。
時間はゆっくりと流れ
いつまでも居たいなぁと
思っていたら
いつの間にか一週間が過ぎていた。
少し歩けばオシャレな建物。
トイレだってどこかオシャレに見える。
人々は一日中音楽を楽しむ。
自然だって素晴らしい。
パイキャニオン。
知り合いが増え
少し街にでれば
どこからか「ゆーすけ!」
と言ってもらえるほどに。毎日通いつめ
毎日食べ続けた
おばちゃんのカウモンカイ?も
食べられなくなると思うと
少し寂しい。
僕は素敵な体験をさせていただいた。
それは
メモリアルブリッジという
第二次大戦後の際に
日本軍がミャンマーを侵略するために
建設された橋を訪れていた時のこと。
僕達の祖先が理由はあれど
70年程前にこの街のこの村を
侵略して、村の人々を使い
この橋を建てた。
その事実について考えながら
実際にその橋を歩いて渡っていた時、
橋の写真を撮ろうと
ポケットから携帯を取ろうしたら
同時にバイクの鍵が一緒に引っかかって
ポケットから飛び出し
そのまま橋の木と木と間を通り抜け
下の川に落ちてしまった。
(落ちた鍵とその隙間。)
落ちていく鍵はゆっくりと見えた。笑
また、やってしまった。事件。
川はこんな感じ。
濁り過ぎていて、流れもまぁまぁ早い。
この中で小さな小さな鍵を探すことは
砂漠の中から一本の針を探すようなもの。
ただなんとしても
鍵を見つけなければならない。
と言うのもこのバイクはレンタル。
鍵を無くせばもちろん罰金。
さらにさらに、このメモリアルブリッジから
レンタル会社のある街までは約10㎞。
とてもじゃないが日暮れまでに
バイクを押して歩いて
帰れる距離じゃない。
一人途方に暮れ、川に降りて
ズボンをめくり、川につかり
鍵を探していると
どこからともなく続々と村の人が。
いつのまにか
一緒にびしょ濡れになりながら
僕の鍵を探してくれていた。
もう一度言うが
昔、僕らの祖先はこの村の人々を侵略した。
そんな過去があるのに
日本人である僕は
今、この村の人々に助けられている。
なんとも言えない気持ちだ。
どうしてここまで人に優しくできるのか。
なにも言わず
ひたすら川につかり、
自らの服を濡らしてまで、
過去に祖先が侵略された
という事実さえあるのに。
どうして、ただの日本人旅人を
助けるのか。
日本は先進国として
毎年多額の資金をタイ含め、発展途上国に
援助している。
その事実だけを見ると
僕ら日本人は、なにかいつも与えてばかり
いるような感覚になる。
僕が実際にそうだった。
ただ、この鍵を探してもらっている
彼らの姿を見て
僕は彼らから優しさってものを
たくさん与えられた気がした。
今の日本には少しかけている部分を
もらった気がした。
与え。与えられ。
お互い与えたり、享受するものは違えど、
どちらかが一方的な関係では
ないんだなと初めて感じた。
その後
鍵はというと
約一時間近く探して
奇跡的に見つかった。
みんなが自分の事のように
喜んでくれた。
与えられたこの優しさを
僕もしっかりと
誰かに与えたいと思う。
さてパイにもさようなら。
次の国マレーシアへと!!