先日、オークションでチェコの古いボタンの見本帳を落札しました。

今では見ることのできない可愛らしいカラフルなボタンが硬い台紙に縫い付けられていますが、デザインが繊細かつモダンで、なかにはラインストーンが付いているボタンもあって素敵ですよね。

台紙の上の部分には、1889年パリ万国博覧会のゴールドメダルのデザインと1893年シカゴ万国博覧会での最優秀賞のメダルのデザイン、そしてヤブロネツ・ナド・ニソウ市と思われるの都市の風景が描かれています。
見本帳を作った会社が、二つの万博で賞を受賞したということがわかります。
このボタンを製造した会社がかなり有名だったのでしょう。

この可愛らしいボタンがいつ、どこの工房で作られたか、そしてその工房がまだボタンを作り続けているのかどうか、とても気になって
ヤブロネツ・ナド・ニソウ市にあるガラス・アクセサリー博物館の学芸員であるペトル・ノヴィー氏著書の本を取り寄せてみました。
北ボヘミアのアクセサリーの歴史について詳しく書かれていて、チェコ人の私でも驚く情報がたくさん載っていました。
例えば、19世紀のヤブロネツ・ナド・ニソウ市は、アクセサリーなら何でも手に入る世界で唯一の場所で知られ、アクセサリーの輸出会社がなんと140社もあった等々・・・・

それぞれの輸出会社がショールームを持ち、新しいデザインを年2回春と秋に発表し、専属デザイナーだけでなく、工房の職人や取引先のお客さんからのアイディアも取り入れて、毎年それぞれの輸出会社が1000以上の新しいデザインが生み出し流行を発信していたそうです。

出来上がったサンプルは、アクセサリー、ガラスボタンやガラスのバングル、金属のアクササリーなど多岐にわたり、厚紙の台紙に縫い付けられ、ショールームで保管され、人気のデザインには特許もとられていました。

ヤブロネツ・ナド・ニソウ市とその周辺のアクセサリー製造販売の規模があまりに大きく、私の購入したボタンのサンプル帳がどの会社で取り扱われていたか、どの工房で作られていたことを調べるのは、本だけではとても無理のようです。

ただ、台紙にチェコスロバキアからの輸入品とフランス語で書かれているので、チェコスロバキア共和国が誕生した1918年以降、歴史に翻弄され、ナチス・ドイツの侵略でチェコスロバキアという名前がなくなった1939年それ以前のものでしょう。デザインから判断して、1920年代のものではないかな~と個人的には思います。

今度チェコへ行って機会があったら、ガラス・アクセサリー博物館の学芸員さんに詳しく聞いてみたいと思っています。