他人に対する怒りについて | 丁半博打 人生は選択の連続

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先日、友人Aの友人Bに対する怒りを見て、ちょっと考えてみました。


怒りかたって人によって違うと思います。

とりあえず表にすぐ出す人、溜める人。


感情を大まかに区別すると快と不快とあります。

不快を感じたことに対する表現の一つとして怒りがあると思います。


できれば怒りという感情を持たないで生きていけたら

気持ちが良いという前提で考えて見ます。


同じ不快を与えられたとしても、その不快を与えてきた相手によって

こちらの感情がまったく違う場合がありますよね。



根本のところ、他人と自分を区別する『 区別感 』が原因ではないかなと。


区別感の反対として、身内感、親近感などがあると思います。


まず自分というものが一番、大切という感情。

次に人によって違いはあると思いますが、

子供、

親、

彼氏、彼女、

友人、

他人、

などの順番に区別感が強まると思います。



同じ他人でも

趣味があっていたり

考え方が似ていたり

長年の付き合いでお互いの好みを理解していたり

尊敬しあえたり

することで親近感が増します。


また

相手が自分の欲しいものを持っていたり

力を持っていたり

自分に対するメリットがあったり

喜びを与えてくれたり

することによる打算的な親近感もあるでしょう。



そういった親近感や身内感を持っていない相手から

不快を与えられた時に怒りという感情が生まれます。


そういった怒りの感情を感じた時、

その怒りの感情をできる限り小さくする

もしくは無くす、私の場合の方法をご紹介します。


その不快を与えてきた相手を、

もしその相手が自分だったらとシミュレーションしてみます。


もし自分を置き換えるのが難しければ

上で出した、親近感を感じる相手がその不快を

与えてきたと想像してみます。


そういったシミュレーションをいつも行っていると

だんだんと怒りを感じなくなるか、もしくは少なくなると思います。


お試しください。



そう言いながら、先日横入りして何食わぬ顔をしている

オバサンに対して、怒りを感じてしまいました。


ここで注意してあげるほうが、その人のためかどうかという

議論は、一旦おいておきます。


私は一旦その怒りを感じた後に

いろいろと想像するんです。

どうしてこの人は、何食わぬ顔をできるのだろうかと、

後ろで並んでいる人から受ける視線をどう感じてるのだろうかと、

先に並べるという快と、他人からの悪感情や恥ずかしさという不快を

天秤にかけて快のほうが上回っているんだろうと。

私には恥ずかしくてできないや、ある意味尊敬してしまうなぁと。



ちょっと話がまとまりなくなってきた感がありますが、

今日はこのへんで。