第Ⅳ部 夏
27.直美さんと四季の花
家を出て左に少し行くと、小学校へ行く急な上り坂とバス通りの緩い上り坂に道が分かれる。バス通りを自転車で7・8分行ったところに直美さんの家があった。
道路に沿ってマサキの垣根があるのだが、丈が低いため中の庭が見渡せる。入り口は赤いバラのアーチになっており、そこをくぐると玄関まで30mぐらいの細い道が続く。庭は四季の花で彩られているが、ビワや桃や梅など生り物の木も植えられている。
春は三色スミレ・チューリップ・ヒヤシンス・フリージア・スズランなどに大島桜が彩を添える。春の花が終わると、アジサイによる紫と白のモザイク模様が庭に広がり、梅雨が明けるとカンナ・ヒマワリ・芙蓉などが夏を主張する。そして秋には、コスモス・ダリアにナデシコ・ケイトウなどの花が咲き誇るのである。
「勉強をしに行く」
と言っては月に二三度、僕は直美さんの家へ行った。
色白で顔がふっくらとしたかわいい子で、声は少しこもった感じなのだが頭の回転が速く、何か問いかけるといつも気の利いた答えが返ってくる。学校の成績も優秀で、体育は少し苦手のようだが残りはすべて「5」である。
一緒に勉強をしたあと、僕たちはよく庭を散歩した。
花に誘われてミツバチや蝶、てんとう虫なども集まってくる。二人でいると甘く優しい匂いが流れてくるが、それは必ずしも花の香りだけではないように感じられた。
◇
僕の父は鹿児島県の出身で、古典的な薩摩隼人である。
男尊女卑の血が脈々と流れていて、家では食事に箸をつけるのは必ず父が最初、風呂も一番風呂でその次が僕と決まっている。もし誰かが父より先に風呂に入ろうものなら、お湯を全部抜いて沸かしなおすという始末。勉強しているとき答えに迷ったりしていると、
「女のけっされ」(めめしい意気地なし、の意)と言われて叱られた。
しかし僕が直美さんの家に行くのに、
「勉強をしに行く」と言うと、父は黙認した。
僕の小遣いは月四百円と決まっていたが、鉛筆やノートを買うのだというと父はいつも百円札をポンと出し、
「これで買いなさい」と一言いい、お釣りは求めなかった。
しかしある時、僕の成績が直美さんを越えたことがある。父は僕を呼ぶと
「もう勉強は一人でやれ」と命じた。
━ 上り坂を自転車で漕いで行くのはかったるいよ ━
もう彼女の家の花を愛でる事も、甘く香しい匂いを嗅ぐこともできなくなった。
28.ジョージ君とおもちゃ
ジョージ君の本名は譲治。天然パーマで鼻は高いが純粋の日本人だ。
彼は島に2軒ある日本旅館のうち大きい方の一人息子で、学校の成績は決して良くはないがいつもニコニコしている。
彼と話をしていたとき「家におもちゃが沢山あるから夏休みになったら遊びに来ないか」と誘いがあった。普段は家の手伝いがあり遊べないが、夏休みは旅館の書き入れ時でアルバイトを雇うため暇なのだという。
夏休みが始まると、僕はその言葉を思い出しジョージ君の家へ遊びに行った。
旅館は学校から歩いて二三分の高台にあり、木造3階建ての「本館」と「離れ」からなっている。
自宅はその横にあって、外見は地味だが中に入ると広い玄関に屏風が置かれ、熊の剥製が訪問してきた者を威嚇している。また、床の間も立派で何やら訳の分からない文字が書かれた掛け軸が掛けてあり、柱などもお寺にあるもののように太く大きかった。
ジョージ君の部屋は二階だった。南に面しており陽当たりが良く、窓を開けると街が一望できる。遠くの方には伊豆七島の島々が眺められる。沖にはタンカーが停泊していたが、岸に近い所には白い帆を掲げた一隻のヨットが見えた。風を受けながら強い日差しの中で、一筋の軌跡を作ってゆっくりと進んでいる。
ジョージ君の部屋の隅には木製の立派な勉強机と椅子があったが、真新で使っている形跡はない。机の上には木製の本棚があるのだが、学校でしか開かれたことのない教科書が整然と挟まっていた。よく見ると机の隅の方や本棚の横には埃がたまっている。
僕がおもちゃを出してくれと催促をすると、押入れからおもちゃ箱を取り出して来た。箱は3つほどあったが、剣玉やトランプ、アトムや鉄人28号などのブリキのおもちゃ、レゴやその類の備品などが雑然と入れてあった。
「他にはないの?」
僕は聞いてみたが、おもちゃはこれだけだという。
ジョージ君はトランプを出してきて、七並べをやろうと僕を誘ったが、僕は二人じゃつまらないと断った。
―そうじゃないんだ。おもちゃって言うのは、8の字型をしたコースを走らせるレーシングカーや、トランスで走らせるエイチオーゲージ、ラジコンカーの事なんだ。
僕はおもちゃの概念に大きな隔たりがある事を知った。
━ 期待なんかするから失望するのだ ━
それ以降、ジョージ君の家へは遊びに行っていない。
29.ブーちゃんと夏祭り
夏休みが始まり二週間ほど経った8月のある日、ブーちゃんが僕を誘いに来た。
「ニシも祭りに行くズラ?」
ブーちゃんの本名は幸夫というが、どういうわけか誰からもブーちゃんと呼ばれている。
明日から夏祭りがあり子供たちが山車をひく。お神酒所で衣装を貸してくれるから一緒に行こうという。僕たちは本町通りの入口に設けられたお神酒所に行き、奥にいるおばさんに声をかけた。
「山車引くから服貸してけえろ」
用意されて出てきたのは、白いハチマキに地下足袋、股引に黒い帯、そして背中に「本町」と白抜き文字で書かれた青い法被だ。
「これに着替えて明日の朝9時にここに来るズラ」
ブーちゃんと別れると家に帰り、さっそく衣装を試着してみる。鏡に映った自分を見ると、言いようもないドキドキ感が僕を襲う。
夜寝る時、着ていたパジャマをまたその衣装に着替えなおして眠りに就いた。
◇
次の日は朝6時に目が覚めた。
母に、もう着替えたと言い朝食を摂って神酒所に行く時刻になるのを待つ。時間はなかなか過ぎて行かずもどかしかった。少し早いと思ったが9時になる20分前に家を出た。神酒所までは歩いて二・三分である。
神酒所にはブーちゃんが既に来ていた。鶴雄君や松中君、アベチャンたちもいる。
彼らはみんな眉間から鼻の頭にかけてひとすじ白粉を付けていた。ブーちゃんに尋ねると、奥に行けばやってくれるという。中を通って行くと白い瓶を持ったおばさんがいて、並んでいる子供たちに次から次へと白粉を付けてくれている。僕も同じように付けてもらい鏡をのぞいてみると、これまで感じたことのない衝撃が走った。
今まで知らなかったもう一人の自分がいる。白い線をたった一本鼻筋に引いてもらっただけなのに……
気がつくと山車の出発時間になっていた。
山車自体はそんなに大きなものではないのだが、白い布がまかれた長いロープが付いており、子供たちは一列に並んでそのロープを引いて本町通りをゆっくり歩いてゆくのだ。通りの両側には観客が並んでおり、そこには父や母たちの姿もあった。
大人の観客は、山車を引いている子供たちの懐に飴やガムやせんべいなどのお菓子を入れてくれる。通りの最後まで行き、また神酒所に引き返した時には、どの子供の懐もお菓子でいっぱいに膨れ上がっていた。
祭りの総代と呼ばれる偉い人の挨拶があったが、だれも聞いてはいなかった。話が終わるとみんなウキウキしながら帰って行く。一刻も早く家に帰り、お菓子をチェックして食べたいのだ。
◇
家に帰ると僕は手鏡を持って自分の部屋へ入った。
眉間から鼻の頭にかけて白い線が一本ついているだけなのだが、別人種か別人格か別の生き物になったように思え、それが僕を恍惚とさせた。
「何をしているの?」
母の呼び声で我に返った。
羞恥心が一気に沸き起こり、僕は炊事場に駆け込み顔を洗った。
━ 普段の自分に戻るんだ ━
僕は着ていた衣装を、丸めて洗濯機に投げ入れた。
30.父と波場の港
カンカン照りが続く夏の朝、
「アジを釣りに行くから竿と魚籠を用意しておきなさい」
と父に言われた。
アジ釣りは、本町港でイヤというほど釣っており、結局すべて前の堀に捨てたという苦い経験がある。そのことを話すと、
「あんな小さいのではなくて、釣れるのは魚屋で売っているようなやつだ。」
と父は重ねて言った。いま波場の港に中型のアジが入ってきているという。
さらに、仕掛けとエサはむこうで買うから心配ないという事だった。
―一体父はそんな情報をどこから仕入れてくるんだろう?
一瞬そんな疑問がよぎったが兎に角いそいそと出かける準備をした。
まだ強い日差しの照り付ける夕方の4時半、僕たちは本町港のバス停から波場の港行きのバスに乗った。
波場の港は島の南端にある。もともとは火口湖だったのだが、津波や地殻変動で湖の一部が崩れ海とつながってできた港だそうだ。
大きな台風が近づいたりすると他の浜の漁師たちは、自分の船をこの港に避難させる。が、外海を回遊している魚たちも荒れた海を避けて港に集まってくるため、イナダ(小さめのブリ)やカンパチやなど思わぬ大物が港内で獲れたりもするらしい。25分ほどバスに揺られて港に着くと、父は近くの釣具屋で仕掛けと撒き餌を買い求めた。仕掛けは7本鈎に赤や青の毛糸がまかれたサビキと言われる擬餌鈎で、撒き餌はオキアミとよばれる小さいエビのようなエサである。
港内には既に何人かの釣り人が竿を出している。中には浴衣に貸し竿で釣りをする観光客の姿もあった。あちこちで竿がしなり、銀色の魚体がキラキラ光って上がってくる。
父は仕掛けを道糸に繋ぐとさっそく海中に垂らした。撒き餌はビニール袋に入っていたが、開けるとプーンと鼻につく臭いがした。それをミルク缶に移し、カレーライスを食べるようなスプーンで掬って自分の仕掛けの近くに撒くのである。
魚が集まってくるとすぐに竿がブルブル振るえ、20cmぐらいのアジが上がってきた。
確かに本町港で釣った時のそれより大きい。しかも外洋を回遊しているためか、海水と同じ透き通った群青色をしている。
父は自分が座っている魚籠の穴から魚を中に入れた。魚は中でピチピチ音を立てている。魚籠の中には既に 「アイスノン」と氷が入れてあり、鮮度が保たれるのだと言う。逸る気持ちを竿に込めて僕も仕掛けを落とし込み、コマセを撒いた。
すぐに魚が集まりだして間髪を入れず竿先が小気味良く震え、感触が手元に伝わってくる。手首のスナップを利かせると銀色の魚体が揺れながら上がってきた。なるほど魚屋で普通に売っているようなアジだ。以前本町港で釣ったそれとはヒトアジ違っていた。すぐバケツに海水を汲んで魚を入れようとすると父が‟水は入れるな”という。生かしておくと魚が跳ねて外に飛び出してしまうのだ。言われた通りにして僕は釣りを続けた。魚が増えてくるとバケツの中で跳ねる音が不規則なリズムを奏でる。
やがて夕焼けが終わりに近づく頃、魚の大きな群れがやってきた。薄闇の中、海の澄んだ青色が薄紙を重ねるように鈍く変わりかけている海中に、魚の群れで黒くなった塊がうねるように押し寄せてくる。仕掛けを落とし入れ撒き餌をするとワッ、と魚が寄ってきてハリに喰いつく。
7本バリの疑似餌仕掛けに3匹、4匹と魚が鈴なりになって上がって来た。魚を外してバケツに入れるのがもどかしいぐらい、父と僕は釣りにのめり込んだ。
何度かやり取りをして、またブルブルの当たりに応じスナップを利かせ抜き上げようとすると、竿先が一気に海中に引き込まれた。
「重い!」と感じたのも一瞬で、竿はすぐ軽くなった。
上げてみると仕掛けがない。
「回ってきたな。マサにやられたズラ」
隣で釣っていた人がポツリと僕に言った。
アジの群れを追ってきたヒラマサが、釣り上げようとしている僕のアジに喰いつき、一気に仕掛けごと食いちぎっていったのだ。
糸だけになった竿を持って呆然としている僕を見た父は、
「そろそろ帰る時間だ。帰ろう」
と仕掛けを上げて竿をたたみ始めた。
僕のバケツには30匹を超える魚が入っていたが、父の魚籠へ一緒に入れてもらい僕たちは午後6時半の本町港行き最終バスに乗りこんだ。
◇
家に帰り数をかぞえてみると合わせて85匹。大漁だ!
まず大きめの30匹を選り分ける。
次に母が残りの55匹の腸を全部出し、ぜいご(アジの尻尾近くの堅いうろこ)を落とすと、10匹は今日食べる刺身用、15匹は塩焼き用と煮つけ用で鍋に入れた。
残る30匹のうち20匹は塩焼き用とフライ用で、はらわたとぜいごを取ると冷蔵庫に保管し、残る10匹は皮を剥いで身を包丁で叩き始めた。
叩きながら母は摺り下ろした生姜と味噌・葱を入れ、出来た摺り身をボールに入れて冷蔵庫に仕舞った。この摺り身はそのまま食べてもご飯のおかずで美味しいのだが、団子にしてお吸い物の具や、小判型にして大葉で挟みフライパンで焼いて食べるのである。僕はこの焼き物(島ではサンガと呼んでいる)が大好きだ。
さて最初の30匹だが、父は
「アベチャンの家に持って行って、今釣ってきたばかりのアジだと言い渡して来なさい」という。
くさやを作っているアベチャンの家に行き、父の言ったとおりにするとアベチャンのお母さんが交換でくさやを10匹、新聞紙に包んで渡してくれた。
島では物々交換がごく自然に行われており、畑で作った野菜や田舎から送られてきた米を交換する人もいる。交換した“くさや”は二・三か月は保存しておけるのだ。
━ この前釣ってきたものとは大違い。大は小を兼ねるんだ ━
僕は生臭くなったバケツを乾かすために勝手口から外に出た。見上げると夏の夜空に満天の星が散りばめられていた。
31.従兄弟とアオダイショウ
「今日、従兄弟が遊びに来るぞ」
日曜日の朝、突然父がそういった。
午後バイオリンの稽古から帰ってくると、根戸川(東京の東部)の叔母さんと二人の男の子が来ていた。
目がくりくりっとした子は僕より一つ下、色黒で痩せている子は僕より二つ下の従兄弟だという。二人の顔はまったくタイプが違うのだが、髪型はどちらも床屋に行ったばかりのスポーツ刈りで、今日のために散髪してきたのが見え見えだった。
父は僕に「二人を虫捕りに連れて行ってやれ」と命じた。
どうやら〝島ではカブトやクワガタなんか取り放題だ〟と父が吹聴したらしい。島に来たのは虫捕りに来たためで明後日には帰るという。
確かにこの時期、カブトムシやクワガタムシはいやになるほどいる。島の子供たちはそういった虫にほとんど興味を示さない。したがって虫も擦れておらずのびのびと暮らしており、取ろうと思えば取り放題ということになる。
僕は小学校の裏山のクヌギの森へ二人を誘った。
カブトやクワガタは夜行性なのだが、クヌギなどの幹には樹液が出ている所がありそこに昼間でもカブトやクワガタのほか、カナブンや蝶・蜂・ハエなども集まってくる。クワガタは、枝葉にも停まっていて樹液の出ている木をトンと蹴るとボタボタ落ちてくることが多く、カブトは日中土に潜っており幹の下を掘ると地中から現れることが多い。
たまに友達と捕りに行くことがあるが、その時はバケツや要らなくなったヤカンを持って行き、入れ物一杯に虫を捕ってくる。メスが捕れると全部逃がし、角や大きなハサミのあるオスだけを持ち帰ってくるのが常だった。
捕ってきた最初のうちは段ボールの箱で飼ったりしていたが、知らないうちにいなくなってしまう。猫にでも食べられたかと思い、母に聞くと
「翅があるんだから 飛んでいくのは当たり前でしょ」
との答えが返ってきた。なるほどその通りだ。
クヌギ林に到着して、中に入って行くとすぐカブトやクワガタが幹の蜜を吸っている木があった。僕は“木に集っている虫をつかまえた後は、必ずその木をトンと蹴とばし幹の下を掘るように”と二人に言うと、林の中へ分け入った。
ヤカンとバケツが虫で半分ぐらいになったころ、
「あとは帰りながら探そう」と言って、虫を探しながら違う道を戻った。左右から藪が迫っており、細い道が曲がりくねっている。
大きく曲がった道の先を見て僕は“ハッ”となった。ヘビがとぐろを巻いて道の真ん中に居座っている。一瞬たじろいだが、二人を連れてきている手前物怖じするわけにはいかない。
「ヘビだ!跳び越えろ!」
ついてくる二人に叫ぶと、大きくジャンプして後ろも見ずに小道を駆け下りた。僕はヘビが大嫌いなのだ。小学校の裏まで一気に駆け下り、立ち止まって二人を待った。僕は手ぶらだったが、いとこ達はそれぞれ虫の入ったバケツとヤカンを手に提げており、すぐに林を下りては来られないはずだ。20分ほど待ったが二人は現れない。もしかしたら別の道を行き、抜かされたのかもしれないと思い、ゆっくり歩いて家に向かった。
帰っても二人はまだ戻っていなかった。母には
「二人は別の道を帰ってくる」と言ったが、迷子にでもなっているのではという心配と一人で逃げ去ったという後ろめたさが募って来る。といって探しに行く勇気もなかった。
やがて小一時間ほどすると二人は仲良くバケツとヤカンをぶら下げて帰って来た。どうだったか尋ねると、道にいたヘビはアオダイショウで鹿児島の実家ではよく目にする。おとなしいヘビで噛みついたりはしない。ちょっと蹴とばして、逃げようとする尻尾を捕まえ振り回して遊んでいたという。
僕はバツが悪くなり適当に相槌を打って夕飯が済むと早々に部屋へ引きこもった。
◇
次の日もまた二人は虫捕りに行こう、と僕を誘ったが‟頭が痛い”と仮病を使い一日中寝ていた。二人は仕方なく叔母さんたちと島内観光に行ったらしい。僕は布団の中で早く二人が帰ってくれることを願いつつ、狸寝入りを続けていた。
━ 年上は逃げるのだって先なんだ ━
その翌日僕が持ってゆくためにあげた二つの虫籠に、カブトとクワガタを詰め込めるだけ詰め込み、二人は帰って行った。僕はホッとしたが、一番年上の従兄弟としての威厳は、地に落ちた。
32.大坪君とプール
体育は大好きだったが、夏のプールは嫌だった。
僕はカナヅチなのだ。
7月の中旬を過ぎると体育の授業を海辺の町営プールで行う。最初は、水(といっても海水)が肩のあたりまで入っていて、準備体操をしたあとプールの中で一列に並ぶ。そして前の人の肩を両手で持ち、歩いて2周する。
一旦休憩が入り、その間に先生達が3コースと4コースの間に仕切りのウキを張る。それから先は、泳げる者と“カナヅチ組”で別メニューとなる。
泳げる者は平泳ぎで広い方のスペースを一方通行で一列になって泳ぐ。遠泳の練習である。カナヅチ組は端っこでバタ足の練習をしたあとプールのコースのスタート地点まで歩き、そこから面かぶりで25m先のゴールを目指す。息が続かなくなると立ち上がり、息を吸ってからまた面かぶりを繰り返してコースを往復するのである。
カナヅチ組と言っても男子は僕ひとり、あとは女子が3人の合計4人でプールの三分の一のスペースを独占している。
しばらくするとまた休憩が入る。その間に仕切りのウキが外され、プールには海水が満たされてそこからは自由時間、泳げないカナヅチ組の長く屈辱的な甲羅干しの時間となる。
◇
ある日、例によって海水が満たされプールサイドで休んでいると、友達の一人がプールの端で僕に向かって手招きをして叫んだ。
「珍しいものがいるズラぁ。ニシも早く来るズラぁ」
僕は応じて立ち上がり、声の主の方へ歩いて行く。プールサイドの中ほどまで歩いた時、突然腰のあたりを強くドン、と押された。僕は大きくジャンプしてプールに飛び込んだ。立とうとするが背は届かない。手をバタバタさせ息を吸おうとするが、顔を上げるとまた体は沈み、口と鼻から海水が入って息が詰まった。
頭がパニックになりとにかく何か叫ぼうとして口を開ける。するとまた口から海水が入ってきてますます息ができなくなってくる。
もうダメか!
と思ったその時、急に体が浮き青空が見えた。誰かが僕の後ろから首を持って顔を上げるようにし、泳いでプールの縁へ連れて行ってくれた。引率で来ていた男の先生が、飛び込んで助けてくれたらしい。上がると僕はプールサイドにあおむけに寝かされた。したたか水を飲んでいたため先生がお腹を押すたびに口の横から海水が漏れこぼれる。目を閉じたままでいると、
大丈夫?
というさまざまな声が聞こえてきた。高い声、低い声、こもったような声、ハスキーな声……
本当は目を開けられるのだが、涙があふれ出しそうになっておりそれを悟られるのが恥ずかしく、閉じたままで仰向けになっていた。三々五々生徒が帰って行ったあと、入川先生が近づいてきて僕に尋ねた。
「もうだいじょうぶ? 一人で帰れる?」
僕は軽くうなずくと、わざとゆっくりした動作で更衣室に向かう。海パンの上から半ズボンをはき、開襟シャツを着て外に出た。帰り道、今日の出来事を両親にどう説明しようかと思うと気が重かった。
家に着くと「疲れた。食事はいらない」と言って、僕は自分の部屋に籠った。布団を敷きタオルケットを掛けると、涙があふれてくる。やり場のない屈辱感と恥ずかしい思いが僕を襲うが、どうして良いかわからないまま知らず寝入ってしまった。
次の日は日曜日だった。日曜学校・習字・バイオリンと忙しいのだが、どう言い訳して休もうかと布団の中で思案していると
「友達が来ているわよ。起きなさい」
という母の呼び声で無理やり起こされた。玄関に出てみるとそこには大坪君が立っていた。
「昨日はゴメン」
とひとこと言って新聞の包みを差し出し、僕の返事も待たずに踵を返した。昨日、僕をプールへ突き落としたのは大坪君だったのだ。包みを開くと中には立派なイシダイが入っている。彼の家は漁師を営んでいるが、イシダイは漁でもめったに取れない高級魚である。僕は母に昨日のいきさつを話さざるを得なくなった。
◇
次の日僕は、イシダイのお礼を言いに大坪君の家へ行き、プールの件は別に気にしていないと言い添えた。が、しばらくの間僕は大坪君を避けた。決して嫌いになったわけでも、無視しようとしたわけでもない。意識すまいと思えば思うほど、存在が気になるのだ。あの時の卑屈な思いが、泳げない事の無念さが、みんなの「大丈夫?」という呼び声が、いちいち僕の気持ちの一番触れてほしくない部分をチクチク突き刺す。忘れようとすればするほど雑多な感情が僕の心を支配し、大坪君の姿を見ると条件反射のように思い起こされてくる。
━ ひとつぐらいは不得意な事だってあるんだ ━
そんな事があった二三日後
「少し話がある」と父に呼ばれた。
「今学期限りで島を離れる。二学期からは東京だ」
何の前触れもなく、不意を衝く言葉が僕に投げかけられた。
33.雪子さんと長グツ(Ⅳ)
島を発つにあたって、唯一の心残りがあった。50m競争で雪子さんに3連敗していることだ。
―島に居られるのはあとわずか。悔いは残したくない。
父に告げられた次の日から僕は、再び6時に起きて中根浜に向かった。浜に着くと波打ち際に一本線を引き、そこから百十歩あるいたところにもう一本線を引く。歩測で50m。学校の運動場で実際に測ってみたからほぼ間違いない。クラウチングスタートで構えると
「ヨーイ、ドン」
自分で号令をかけダッシュした。ゴールに到着すると息を整え、またスタートの構えをしてダッシュを繰り返す。
―腿を高く上げ腕を大きく振る。
それだけをイメージして走り続けた。10往復ぐらいしただろうか。汗が額から流れ落ちランニングシャツがベト付いてきたので、浜から上がり家路についた。帰りながらも電柱一本半を目安にダッシュする。スピードが乗ってくると同時に気持ちも高揚してきた。
―最後の勝負だ
引っ越しも迫ってきた霧雨の降る夏の日、僕と雪子さんは学校の校庭にいた。うわさを聞きつけ、興味深げに何人かのクラスメートが集まっている。その中には夏樹ちゃんや直美さんの顔も見えた。
「ヨーイ、ドン」
スタートダッシュはほぼ同じ、中間も並んでいる。僕は意識して体を前傾し推進力を引き出そうとした。あと10m、5m、ゴール!
ゴールを切ったのはほぼ同時。いや、わずかに僕の方が先に出ているように思われた。線の横にいた友達の判定は同時。しかし、彼女がポツリと言った。
「少し負けた」
僕は彼女に向かって微笑むと、軽く頷いた。
◇
帰る道すがら僕はウキウキしていた。夕飯もいつになく美味しい。風呂に入りさっぱりして早めに床に就いた。眠りに就こうとしたその時、不意にゴール前のシーンがa頭に蘇ってきた。僕は必至でゴールを目指していたが、横を走っていた雪子さんはチラッ、と僕を見たような気がする。
―彼女は僕に勝たないように、スピードを抑えたのではないだろうか。
抱いた微かな疑問はみるみる暗雲となって僕を包み込んだ。
―雪子さんは僕に花を持たせてくれたのだ。
失望と恥辱と少しの怒りで僕の心は張り裂けんばかりとなった。
━ なぜ楽しんで走らないの ━
耳慣れた甲高い声が奥の方から聞こえてくる気がしたが、僕は首を左右に振って打ち消した。
―でも負けなかったンだ。判定だって同時だったし、雪子さんだって負けを認めたじゃないか。
その後も雪子さんが走る長グツ姿と表情は、市場でお父さんから魚を受け取って自分の家まで走るそれと全く変わらない。
僕は島に重い足跡を残して去ることとなった。
34.別離
夏休みも終わりに近い晴れた日の午後、父は左手に上の妹の手をつなぎ右手にトランクを提げ、母は左手に下の妹の手をとり一番下の弟を背負い、僕はリュックを背負い小さな手荷物を両手に持たされて本町港の桟橋に立っていた。
午後2時発の貨客船紅葉丸に乗船し、帰郷するためだ。
桟橋にはクラスメートが十数人と入川先生も見送りに来ている。みんな一列に並んで紙テープを持っていた。
船底の二等船室に荷物を置くと、一階のデッキに戻った。まだ時間があったので手を伸ばして一人一人と握手し、紙テープの端を受け取る。
隣にいた父も、見送りに来ていた役所や警察関係の人と握手をして紙テープを受け取っていた。
定刻の午後2時。銅鑼が鳴りロープが杭から外され、錨を上げる鎖の音が聞こえた。
船はバックしながらゆっくり桟橋を離れて行く。演歌歌手が唄う波場の港唄が拡声器から流れてくる。
皆が手を振り何か叫んでいる。僕も思いきり手を振ったが、視野がだんだんぼやけてきた。涙がポロポロと頬をつたわる。
赤・黄・緑・青・白……様々な色の紙テープが絡まり重なり合い、たるんで散って、やがて海中に消えていった。みんなの顔の見分けがつかなくなったのは、決して船が離れてゆくためだけではなかった。
「中に入ろう」
父に促されたが、僕はもう少し居ると言ってそこに残った。太平洋の潮風が僕の顔を叩く。三日山の煙は変わることなくたなびいている。島がだんだん小さくなって行き僕の視界から消えようとしていた。
再び涙で目が潤んでくる…
━ また来ればいいじゃないか ━
だがその日以降、僕は伊豆仲島へは行くことはなかった。
エピローグ
一年後。
夏休みも終わりに近いある朝、父が
「ここに載っている子は知っているんじゃないか」と朝刊を僕に渡した。
それは東京地方版の8行ほどの記事だった。
海で児童が溺れ死亡
25日、伊豆仲島警察署によると
伊豆仲島の仲根浜で海水浴に来て
いた鈴本雪子さん(8)が高波に
さらわれ、行方不明となった。
海上を捜索していたところ同日
未明、漁船が鈴本さんを発見し救
助したが、病院で死亡した。
僕は愕然とし、もう一度新聞の活字を追った。が、間違いないことがわかると呆然とした。急いで伊豆仲島の鶴雄君に電話をかけてみると、明後日がお通夜でその次の日が告別式だという。
― あの足が速く泳ぎの上手な雪子さんが・・・
その日は何もする気になれずボーッとしていた。
一年前、僕の徒競走の挑戦を冷ややかに受け入れた切れ長の目と長グツ姿、ゴール前でチラッとこちらを見た視線が鮮やかに蘇ってくる。
― 結局僕は、ショートカットと白い長グツの後ろ姿しか見ていなかったンじゃないか!
頭が混乱し、めまいがした。
気がつくと夕方になっていた。僕は、「散歩に行ってくる」と言って外に出た。近くの都立霊園の白い塔の奥に、一面にクローバーが咲いている小高い丘がある。僕はそこに座り夕日を眺めていた。
西を見ると茜色の空、右側に秩父連山左側に丹沢の山々がくっきりと稜線を引き、中央に富士山がその姿を誇っている。
不意に以前仲島灯台で見た、水平線の向こうにある富士山を思い出した。
涙があふれてくる……
突然、目の前に一匹の白い雌の鹿が現れた。真っ白なその鹿は、キラキラ輝く黒い瞳で僕を見つめる。しかし直ぐに踵を返し、見事に発達した後ろ脚を見せて遠ざかって行った。
白い鹿は秩父のすそ野まで行くと山を駆け上り、今度は向きを左に変えて暮れなずむ秩父の峰々を渡って行く。
富士山を一跳びし丹沢の辺りに達すると再び方向を変え、今度は紫紺から藍色へ変わりつつある空に昇って行った。やがてそれは漆黒の闇に吸い込まれてゆくのだろう。
━ いずれはニシの番ズラ ━
一瞬のささやきが脳裏を通り過ぎた。
僕はトボトボと家路についた。
了
波場の港
